MORE STAR ソロインタビュー Vol.7:萩田そら「村川緋杏さんがロールモデル」 持ち前の“ポジティブ”で変える心の根本
FRUITS ZIPPER、CANDY TUNE、SWEET STEADY、CUTIE STREETを輩出したアソビシステムのアイドルプロジェクト「KAWAII LAB.」。リアルサウンドでは、第五弾グループとしてデビューしたMORE STARの連載インタビューをスタート。メンバー全員がデビュー前にプロジェクトの次世代メンバーであるKAWAII LAB. MATES(略称:メイツ)として活動し、切磋琢磨の期間を経て、2025年12月12日の『KAWAII LAB. SESSION vol.17』でステージデビューを果たした。
リアルサウンドでは、そんなMORE STARの“今”に迫る連続インタビューを企画(毎週木曜日更新予定)。全員インタビューに続き、ソロインタビュー Vol.7となる本稿では、紫色担当の萩田そらに話を聞いた。
とにかく明るい。インタビューが始まって最初に感じた印象であり、終わる頃には段々とこちらまで元気になっていることに気づいた。その源泉は、萩田の持つ天性のポジティブ思考であり、アイドルにとって非常に大きな才能であると思う。しかし、そんな彼女の半生は、さまざまな種類の涙とともにあった。幼少期からMORE STARとしてデビューするまで、その全てを明るく朗らかに語ってくれた。(編集部)【インタビュー最後にプレゼント情報あり】
【オリジナル動画】第7弾:萩田そら 趣味、特技、尊敬する先輩は?
『TOKYO IDOL FESTIVAL』での運命的な出会い
――萩田さんは、どんな学生時代を過ごしていましたか?
萩田そら(以下、萩田):中高一貫校に通っていて、英語でミュージカルを上演する部活に入っていました。今振り返ると、その頃から歌って踊ることが好きだったのかなと感じます。ただ、「本気で歌やダンスを極めよう」とか「これを仕事にしたい」と考えたことはなくて。そもそも学校は芸能活動が禁止されていたので、アイドルとは無縁の学生生活でした。
――いつ芸能に興味を持ちましたか?
萩田:幼稚園の頃に『アイカツ!』(テレビ東京系)を観ていたのもあって、目立つというか表に立つ職業にちょっとだけ憧れは持っていましたけど、本格的に「人前に立ちたい」と思ったのは、KAWAII LAB. MATESのオーディションを受けた2023年の夏です。きっかけは家族がコロナウイルスに感染したときに自分だけ陰性で、みんなの看病をしていたことでした。お母さんに「頑張ってくれたお礼に、好きなものをひとつ買ってあげるよ」と言われて、2日後に開催が決まっていた『TOKYO IDOL FESTIVAL』(通称『TIF』)のチケットを買ってもらったんです。きゃんちゅーさん(CANDY TUNE)、ふるっぱーさん(FRUITS ZIPPER)とか、KAWAII LAB.のアイドルさん目当てで観に行ったところ、初めて生でパフォーマンスを観てビビビっと衝撃が走りまして。「私も表に立つことを仕事にしたい」と思って、すぐに履歴書を送ってオーディションを受けました。
――昔からアイドルはお好きだったんですか?
萩田:アイドルに強い関心があったというよりは、 “衣装”に興味があったんです。昔から裁縫が好きで、暇さえあればポーチを作ったり、ハンカチに刺繍したりしていて。「次は何を作ろうかな」と考えていたときに、ネットでいろいろ調べていたらアイドルの衣装が出てきて。それまでは“衣装を作る人がいる”という発想がなかったんですけど、「頑張れば自分でも作れるんだ」と知りまして。フリルとか、ピンクのリボンがいっぱいついている世界観が好きだったので、「私がやりたいのはこれだな!」と。そこから調べていくなかで、KAWAII LAB.にたどり着きました。
――それで『TIF』に足を運んだと。
萩田:そうですね。1日で大勢のアイドルが観られると聞いて、ひとりで行きました。
――ひとりでフェスに行くのはハードルが高くなかったですか?
萩田:フェスの知識が全くなかったので、ハードルが高いという感覚すらなかったです。そもそもペンライトを振る文化すら知らなくて。初めてのライブだと普通はコールでビックリすると思うんですけど、コールが起きたことに気づかないくらいステージに夢中になっていて。本当は衣装を見たくて行ったはずなのに、気づけば皆さんの存在自体に惹かれたというか……その日で自分の人生が変わりました。
――そこからは、どのようにしてアイドルの世界に入っていくんですか?
萩田:当時はまだKAWAII LAB. MATESがなくて、KAWAII LAB.の次世代グループのオーディションだと思って応募しました。ただ、そのことは誰にも言っていなかったんです。一次から二次審査のあいだもずっと秘密にしていて、三次審査まで進んだタイミングで「これはきちんと打ち明けないといけないな」と。それだけ本気だったので、まずはお姉ちゃんに相談しました。すると「やってみればいいじゃん!」と背中を押してくれて、「でも、お母さんにはちゃんと伝えなきゃダメだよ」とも言われて。お母さんには、たぶん泣きながら話したと思います。勇気を出して打ち明けると、最初はアイドルのことも芸能のこともあまり知らなかったので、「アソビシステム? KAWAII LAB.?」と心配そうにしていたんですけど、最後は「自分がやりたいならいいんじゃない?」と受け入れてくれました。それで三次審査に合格し、KAWAII LAB. MATESのメンバーとして活動することが決まりました。
――KAWAII LAB. MATES加入直後のことで、印象に残っている思い出はありますか?
萩田:自分はダンスも歌も教わったことがなくて、メイツに入ったときはダンスのレッスンがとにかく大変で。一緒にレッスンを受けているメンバーは、経験者が多かったので自分だけが置いてかれている気がしていました。人生で初めて劣等感を感じたというか、初めての挫折だったのかなって今振り返ると思います。あと、ダンスの先生は愛を持って接してくれる分、指導にも熱量がある方で。私があまりに何もできないから、時には厳しいアドバイスをいただいていて。それまで優しい環境で育ってきたので「頑張っているのに、なんで褒めてもらえないんだろう?」と思いながら、いつも泣いていました。
――それまでは家族や学校の先生にも怒られることがなかった?
萩田:なかったですね。私、勉強ができないんですけど、母も父もすごく優しいので「勉強以外のいいところを伸ばせばいいから」「そららしくいればいい」という教育を受けてきて。できないことに対して何か言われるとか、熱く指導されることが初めてだったから、ビックリして泣いていました。
――学生時代の部活動も、時に厳しい言葉を言われることがあったと思うんですけど。
萩田:学年全体で叱られることはありましたけど、個人の名前を出して「あなたはここができていない」と言われることはなかったですね。しかも自分的には頑張っているし、できているつもりだったので、最初はビックリしちゃいました。
――その指導に対して精神的に滅入ってしまったのか、「これは愛の言葉なんだ」と前向きに受け止めて頑張れたのか、どちらでしたか?
萩田:当時は「すごい! 私、怒られてる!」と思っていて(笑)。今も楽観的なんですけど、メイツに入った当初は今の自分から見ても「この子は大丈夫かな?」と心配するくらいの超楽観的。怒られても全く気にしないし、「何で褒められないんだろう?」くらいのマインドだったので、落ち込むよりかは褒められたいなと思っていました。
――そのポジティブマインドは、いつから始まっているんですか?
萩田:小さい頃からずっとそうで、お母さんも「あなたに怒っても意味がない」と言うぐらい、怒られても本当に気にしなくて! “自分は自分”と思い過ぎるところもあるんですけど、私は周りの悪いことも全然気づかないんです。
――どういうことですか?
萩田:今もそうなんですけど、昔から、空気の悪さにあまり気づかないタイプで。あとから「実はあのときこんなことがあったんだよ」と聞いて、私だけ知らなかった、ということもよくありました。いいことしか見ていないというか、幼い頃からずっとそうでした。
――それはご家族の影響ですか? それとも元々の性格ですか?
萩田:元からポジティブで、めっちゃ天真爛漫で明るかったのと、お母さんから「人の悪口は言わない」「人の嫌なところを見るんじゃなくて、いいところを見なさい」と言われて育ったので、母の教育もあるのかなと思います。