藤井健太郎が語る、嵐だけのスター性 『ひみつの嵐ちゃん!』ディレクター時代の経験、舞台裏での5人の姿
嵐の軌跡を語るうえで欠かせない番組のひとつが、『ひみつの嵐ちゃん!』(TBS系/2008年4月〜2013年3月)だ。ドラマやライブで国民的な人気を確立し、まさに時代の中心を駆け上がっていた5人は、この番組のなかで“バラエティの顔”としての魅力も強く刻みつけていった。
その根底にあったのは、やはり5人の圧倒的な“仲の良さ”である。お互いの関係性を深く理解しているからこそ生まれる自然な掛け合い、遠慮のないイジりとそれを笑いに変える受けの力、そして台本に頼らずとも展開を転がしていく瞬発力。嵐のバラエティは、“仲の良さ”という目に見えない土台のうえで成立していたと言っていい。
さらに、楽屋で見せるリラックスした素顔や、スタッフとの距離の近さも番組の空気を形づくっていた。カメラが回っていない時間も含めて魅力的だった嵐という存在。リニューアル期から番組に参加したTBSディレクター・藤井健太郎が、当時の制作現場とともに、その姿を振り返る。同世代だからこそ感じ取れた素顔、そして活動終了という節目に向き合う5人への思い――。あの時代の空気を知る視点から、嵐というグループの本質をあらためて紐解いていく。(佐藤結衣)
「変わったグループだと思います(笑)」間近で見つめた嵐の関係性
――藤井さんが『ひみつの嵐ちゃん!』に携わったのは、いつ頃でしたか?
藤井健太郎(以下、藤井):番組自体は2008年春に始まっていて、僕はその年の秋頃にディレクターとして合流しました。当時の嵐は、松潤(松本潤)の『花より男子』(2005年・2007年)への出演をきっかけに、一気に国民的アイドルへの階段を駆け上っていたタイミングだったと思います。番組も当初は“社会科ナゾ解明TV”の副題がついていて、取材対象だったりVTRだったりがメインだったんですが、「嵐だからこそできる形にしよう」と、2009年の春からは本人たちの魅力を中心に据えた、みなさんがご存知の形にリニューアルしました。
――藤井さんといえば、『水曜日のダウンタウン』をはじめとした“攻めた”お笑い番組を作ってきた印象が強くあります。芸人さんとアイドルにおける“笑い”の違いはありますか?
藤井:芸人さんのようにワードで笑いを作るのは、なかなか同じレベルでというわけにいかないところがあると思いますが、お互いの関係性やポジションを使った展開の作り方などは、旧ジャニーズ系のグループの方たちって培ってきたものがあるのか、テレビに出たての若手芸人などと比べてもよっぽど上手かったりしますよね。そもそもSMAP以降のグループは、基本的なバラエティのスキルがとても高かったと思いますし、アイドルでありながら、やはり本気でバラエティに向き合っていた印象があります。僕もちゃんとお仕事をさせてもらったアイドルは嵐が初めてでしたけれど、彼らもそうした立ち回りがとても上手かったし、その後、Kis-My-Ft2の番組を担当させてもらったときも、やはり若いころから鍛えられているからなのか、バラエティでの対応力が非常に高くて驚きました。場数が違うのかもしれないですね。なので『ひみつの嵐ちゃん!』でも、こちらから細かく展開までお願いをするというよりは、ご本人たちで自発的に立ち回ってくれていた印象です。ライブではカッコよくて、誰もが知る人気者なのに、ときに三枚目を引き受けたり、しっかりバラエティ的な立ち回りができるのは素直にすごいなと思いましたね。
――そういう意味でも嵐はバランスが良かったと言えますか?
藤井:そうですね。最初から5人のバランスが良かったというよりは、おそらく、やっていくなかでお互いのポジションを考えて、きれいに収まっていったということなんじゃないですかね。
――収録現場でも、5人の仲の良さを感じる場面はありましたか?
藤井:まず、楽屋が5人同じ部屋でしたし、そのなかでも常に和気あいあいとしていた印象です。メンバー間の仲の良さはもちろんですけど、スタッフに対しても非常にフレンドリーでしたね。アイドルグループも芸人コンビも、駆け出しのころは仲が良くても、キャリアを重ねていくと自然に日常での距離は離れていってしまうことがほとんどじゃないですか。それは、別に不仲ということではなく、友人のような関係からビジネスパートナーに関係が変化することで。でも、嵐に関しては、そういう雰囲気は僕が関わっていたタイミングでは一切なかったですし、おそらく今にいたるまでその変わらない関係性できているはずですよね。すごいですよね。変わったグループだと思います(笑)。
――藤井さんとメンバーはどのような関係性だったのでしょう?
藤井:僕は大野(智)くんと同い年で、メンバーたちと年齢が近かったこともあってか、なぜかお互いにタメ口で話すような関係でした。その少し前にあった『学校へ行こう!』のチームもまさにそんな感じで、ディレクターたちとメンバーが近い距離感でいい関係を築いていて、彼らもそういう先輩を見ていたはずなので、そんな風なスタッフとのコミュニケーションの取り方が、当時は受け継がれていたスタイルだったのかもしれないですね。楽屋に本番で使うためのテレビゲームがあったときは、メンバーと一緒に遊んだりだとか、ついつい友達みたいに過ごしてしまったこともありました。
――5人と取り組んだ企画のなかで、思い出深いものはありますか?
藤井:やっぱりいちばんは毎週のようにやっていたので「マネキンファイブ」ですかね。あとは、最初に自分がメインで担当したのが「編集でヒューマンビートボックス動画を作る」という企画だったので、それも印象に残っていますかね。「ネット動画を嵐がカバーする」という大枠のなかで、メンバーに色々な音を口で出してもらって、それを編集でヒューマンビートボックス風に仕上げるという。一発目の担当だったので絶対失敗できなかったし、編集にかなりウエイトがある企画だったので、頑張らざるを得なくて。そのときは映像を作る前に、まずは音楽ソフトを使って普通にビート作りみたいなところから始めるという、ややテレビディレクターの範疇を超えた作業をやっていましたね。