【対談】田中ヤコブ(家主)× 漫画家 いがらしみきお:“自分のための創作”に宿る嘘のなさ 『ぼのぼの』の哲学と音楽の可能性

「なるべく自分から出てきたものだけで作品を作りたい」(田中)

いがらし:今はメジャーデビューどうこうじゃなく、ひとりで楽曲を作ってネットにアップして活動している人もいっぱいいるじゃないですか。でも音楽を作るモチベーションというものを考えたときに、自分が好きなものを作れればそれでいいのかどうかっていう問題があると思いますが、田中さんは時代の最先端とか、そういうものを目指しているわけではないんですか?

田中:はい。全く目指してないです。

いがらし:それは、田中さんと私が唯一違うところですね。私は、いつも誰もいない方向へ行って、誰もやっていないところでやろうとした。それが、すなわち“最先端”であるという結果論ですけどね。だから自分が好きなことを描くより、それを描いた人がいないことを描くのが唯一のモチベーションでした。自分は中学に入った頃からは、ガロ系(『月刊漫画ガロ』に端を発する実験的でアングラ色の強い漫画の総称)とか同級生はほとんど読んでいないような漫画を読んでいましたから。そうすると『巨人の星』とか普通の少年漫画の世界にはもう戻れなくなっちゃって。田中さんも、周りの友達は聴いていない音楽を聴いていたんじゃないですか?

田中:そうですね(苦笑)。

いがらし:田中さんには、プロデューサーのような人はいるんですか?

田中:いえ、いません。だからすべて自分で決めないといけないですね。特に音楽制作での繋がりというものはないので、隔絶された自分の家でひとり黙々と作業するということしかないです。友達もいまだに全然いないですから。でも自分も、なるべく自分から出てきたものだけで作品を作りたいんです。The Beatlesとか昔の音楽を聴いた上で、今自分ができるものを出したい。だから、なるべく近しい人からの影響を受けたくないというか、自分が本当に好きだったもの以外からの影響は受けたくないと思ってるんですよね。もちろん、いい種であればどんどん飲みたいという気持ちはあるんですけど、飲む種と飲まない種の選別を自分の中ではっきりするために、“口が悪くなる”傾向があるんです。嫌いなものを嫌いと言わないと、余計な種を飲んでしまうことになってしまうので。

いがらし:自分で選別する必要はありますよね。田中さんは、誰かが作った音楽を聴いて、「これはどうして俺が作れなかったんだろう」と思うことはありますか?

田中:あります。

いがらし:そういうものにも、あまり影響されない?

田中:それこそ先生が好きとおっしゃっていたPink Floydとかを聴くと、やっぱり同じようなものは絶対に作れないなと思います。偉大な壁を感じるというか。

いがらし:意地でもアレンジして、全然別のやつにしてやるとか思っちゃったりしてね。

田中:それを自分でできる何かに変えて出したいというか。まったく同じような模倣品にはしたくないという気持ちはありますね。

いがらし:ちょっと話は飛ぶんですが、『ぼのぼの』が今年40周年になるので、それを記念して韓国の美術館で展示会をやってるんです。そこへ映画監督のパク・チャヌクさんが会いに来てくれて話したんですけども、彼の会社はモホフィルムと言って、日本語の“模倣”という言葉から来ているんです。たぶんパクさんは、芸術は全部模倣だと思っているんだと思います。漫画も手塚治虫さんが作ったかというと違って、手塚さんはもっと前の時代の人から影響を受けている。でも、その中で模倣から逃れられた作品というのが、初めて“本物”になるのであり、そういうものの中にしかオリジナルはない。世界の歴史が今の文化を作り上げたのだと思います。やっぱり人の行くところに行きたくないっていう気持ちはありますけどね。

田中:そうですよね。僕もコピーはいろいろしてきたんですが、なるべく単なる模倣にはならないように、自分で噛み砕いて、排泄物として出すようにしています。だから、うんこのようなものかもしれないです(笑)。自分というフィルターを一回通して出さないといけないなと思っています。

いがらし:自分を通さないと作品にならないですもんね。

「音楽に一番近いのは“匂い”だと思うんです」(いがらし)

田中:そうやっていろいろなものを吸収する中で、僕は特に歌詞の面で、いがらし先生の言葉にすごく影響を受けています。先生の作品は、徹底的に冷めた目線で書かれているような印象があるんですね。それこそエンタメ性のなさというか、遠慮のない言葉というか。誰かを慮っていない言葉がたくさん出てくる。普段考えていることが、フィルターなしにそのまま作品に出ているような。そういう言葉選びみたいなものに、すごく影響されたんです。

いがらし:自分というフィルターを通すけど、そのフィルターを通すことによって逆に純度が高くなってしまうことはありますよね。そういうものはそのまま出すしかないと思います。

田中:なるほど。最近、僕は友達から二面性があると言われたんですけど、いがらし先生にもそういう面はありますか?

いがらし:二面性どころか、五面性くらいありますよ(笑)。漫画というのはそういう多面性で描くものなので。取材とかで、「いがらしさんはご自分の描いたキャラクターのどれに似ていると思いますか?」ってよく聞かれるんですが、答えるたびに違います。今聞かれたらぼのぼので、ちょっと前まではボーズくんでした。

田中:そうですか。ちなみに僕は今、アライグマの親父ですね。

いがらし:アライグマの親父は、自分の中の一面を煮立てて煮立てて、どんどん味を濃くして完成したキャラクターですね。だから人が言ってはいけないことを言わせたい。人が困るようなことを描きたい。読み切りで何ページか描いてくださいという注文があるんですけど、そういうものを描くときはとにかく楽しい。続けて描かなくてもいいし、一回だけだから、大体言ってはいけないことを描きます(笑)。

田中:(笑)。

いがらし:前に『炎上犬ゲロベロス』という読み切りの漫画を描いたことがあります。“炎上”という言葉が少し流行り始めた時期に描いたものです。背中にスマホをくくりつけたチワワが歩いていると、女の子が「わあ、かわいい!」って寄ってくる。そうすると犬は、スカートの中を盗撮して、それをネットにあげてお金を稼いでしまうんです。バレたときにその犬が毒づく言葉がヤバかったですね。田中さんも、好き勝手にやった曲っていうものはありますか?

田中:基本的には自分の作品も、嘘はつかず、なるべく遠慮しないような書き方を工夫しているという感じですね。

いがらし:偉いですね。漫画でいう嘘は演出の範疇だと思っていますが、音楽にも演出ってありますか?

田中:最先端の技術を使えば、いろいろな演出もできると思います。歌の音程を後で変えたりとか、そういうことはもう全然できちゃうんです。

いがらし:面白いですね。一番最初にデジタル化されたのは音楽ですからね。

田中:ただ、自分はそういうものを使わないで、オーガニックに作るっていうことは意識しています。

いがらし:田中さんはすごく誠実なミュージシャンですね。私が田中さんの音楽で最初に聴いたのは、「いつかのにほひ」でした。聴いた瞬間、「あぁ、いいな」と思いました。私は音楽に一番近いのは“匂い”だと思うんですよ。たとえば街を歩いていて焼き鳥の匂いがすると、「おっ」と思うじゃないですか。音楽にもそういうところがあると思うんです。普通に生きている時間で、不意に音楽が聴こえてくると、意識がいっぺんにそっちへ持っていかれる。そういうところが匂いに似ていて、すごくいいですよね。記憶と密接に結びついている。

田中:あぁ、なるほど。

いがらし:このあいだ『愛はステロイド』という映画を観ていて、エンドロールに曲が流れてきたとき、やられました。ウルウルきてしまった。映画自体はそんなに感動するタイプのものでもないんですけど。やっぱりそこが音楽の一番強いところですよね。全然違うステージに持っていかれてしまう。たとえば香水はファーストインプレッションというか、パッと嗅いだその瞬間のものじゃないですか。でも、香水にストーリーや時間をつけたら、それは音楽だなと思うんですね。そういう意味でも、音楽に敵うものはないんじゃないかというのが私の意見です。一方で、漫画はやっぱり漫画でしかない。決して匂いにはなれないし、匂いと同じような存在になれるのは音楽しかないと感じます。

田中:非常に面白いご意見でした。けれどお言葉になってしまうんですが、『ぼのぼの』やいがらし先生の作品を読むと、小さい頃の部屋の記憶や光の加減なんかを、匂いのような感じで思い出すことはすごくあります。漫画でもそういう効果があるんじゃないかなとは個人的には思いますね。繰り返し読んでいた漫画が、記憶に結びつくこともあると感じています。

いがらし:確かにそういうことはありますね。でもそれは、あくまでも記憶に結びついているんですよね。でも音楽ってそうじゃない。今言った『愛はステロイド』のエンドロールの曲は、そのとき初めて聴いたんですよ。それなのにすごく動揺して、感動したんです。きっとメロディラインとか、使われている楽器とか、私の中のいわゆる琴線に触れるような何かがあったんだろうなと思うんです。そう思うと、やっぱり音楽って理屈を超えてくる。匂いも同じですね。それと同じような感覚を使って、時間とストーリーを与えることができる音楽はすごいなと思います。

田中:まさに今おっしゃったようなことが、「いつかのにほひ」でやりたかったことです。自分は散歩がすごく好きなんですけど、散歩しているときに感じる洗濯物の匂いとかが、すごく懐かしく思うことがあります。それが音楽に似ている感覚があって、そういう匂いを彷彿とさせるようなものを音で表現できないかなと思って、この曲を作りました。

いがらし:わかります。私も毎朝散歩をしているんですが、人の家の朝食の味噌汁の匂いがすると、ものすごくお腹が空きます(笑)。

田中:すごくよくわかります(笑)。

いがらし:散歩ももう30年近く続けていますが、そうすると歴史や物語ができちゃうんですよね。道で見た小学校に入る前くらいの子どもが、そのうち見かけなくなってしまう。大学に行ったのかなとか、就職したのかなとか、もしかしたら結婚したかもなとか。あるいは、何年か前に初めて見かけたワンちゃんが、最初は尻尾をピンと立てて、タッタッタと楽しそうに歩いていたのに、年をとってだんだんと元気がなくなって、尻尾はダランとして歩き方もガタガタしてきて、そして、ある日突然見かけなくなってしまう。物語がそこででき上がってしまうんですね。散歩というのは、ただ歩いているだけなのに、自分の中で生まれてくるものがありますよね。だからやめられない。でも、これを何と言っていいのか悩みますね。やっぱり“散歩”なのかなって。

田中:僕も、散歩の中にあるエンタメ性のなさがすごく好きです。何も生まれないのに、何かが生まれてくるような感じがいいですよね。先生の作品にも、そういう“散歩性”みたいなものを感じます。歩いているような速度というか。

いがらし:散歩の漫画も描いたことあります。おじいさんと、ちょっともっさりした野良犬のような大きい犬が歩いてきたのを初めて見たとき、それがペコっと頭を下げて「山から来ました」って挨拶したように見えて、それで描いたのが『山からくん』という漫画です。私の中では完全に作品になっていたので、『山からくん』だけは描きたくなって描いたんですよ。何年間にわたる散歩を作品にして描く場合もありますし、散歩というのは一つのメディアだと思います。

 でもそういうのって他にもありますよね。料理でも、作るとか食べるだけじゃなくて、自分の中に作品としてあると思う。だからきっと料理のエッセイとか書けるんだろうけど、みんながみんなエッセイを書けるわけじゃない。作品になる前に忘れられてしまう。

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