真矢との別れに寄せて LUNA SEAというバンドの要――おおらかなドラミングと変わることのなかった心根

 LUNA SEAのドラマー・真矢の逝去が報じられた。テレビではライブでの演奏シーンや昨年9月に地元の秦野市のイベントで闘病からの復帰を誓う姿が繰り返し流れ、ネットでは親しかった人たちのコメントが溢れ、枚挙のいとまがないほどだ。

 LUNA SEAのメンバーはもちろん、彼らの記念すべき1stアルバム『LUNA SEA』(1991年)をリリースした「Extasy Records」の創設者でもあるYOSHIKIや昨年2月に東京ドームで共演した同レーベルの後輩でもあるGLAYのメンバー、またサポートした相川七瀬などが、彼への惜別を吐露している。

 そのなかのひとつ、ギタリストの土屋昌巳がX(旧Twitter)に記した一文は、簡潔に真矢を語っていて胸を打つ。

「30年前、僕がロンドンで初めて真矢君に会った時、SUGIZO君が『町で一番の太鼓叩きです!』と胸を張って真矢君のことを紹介してくれました。あれからLUNA SEAがバンドとしてどんなに巨大になろうとも、SUGIZO君にとって、メンバーにとって、真矢くんはずっと『町一番』の最高のドラマーで、かけがえのない親友だったのです」(※1)

 LUNA SEA結成以前、まだ高校生だった真矢はSUGIZO(Gt/Violin)とPINOCCHIOというバンドを組んでいた。隣接する市の高校では、INORAN(Gt)とJ(Ba)が「LUNACY」というバンド名で活動を始めていた。Jは自伝『MY WAY』(リットーミュージック)で当時を回想している。

「真矢くんとSUGIZOは、俺たちとは別の高校のひとつ上の学年だった。演奏が上手いという評判も聞いていたが、彼らの当時の音楽性は自分たちとは違っていた」

「真矢くんは今と同じように当時からオープンな性格で仲間も多かったし、俺やINORANの先輩とバンドを組んでいたりもしたので、そこからつながりができていき、ごく自然に話すようになっていった」(ともに『MY WAY』より)

 知り合った当時は、音楽性が違ったことから、親しくなったとしても両バンドが組むとは誰も思っていなかったが、Jは高校卒業が迫った頃には「バンドで高みを目指そう」と覚悟を決め、真矢に声をかけた。

「俺からの申し出に対して、彼は『NO』とは言わなかった。ただ、『SUGIZOとも一緒にやっていきたいんだ』と伝えられた。そして結果的には、彼ら二人がこちらに合流してくる形になった」(『MY WAY』より)

 4人が揃った当初のボーカリストが抜け、RYUICHI(Vo)が参加して、LUNA SEAは現在のラインナップに。そして、彼らの快進撃が始まった。こんなエピソードを知ると、SUGIZOが真矢を「町一番のドラマー」と誇ったのも頷けるし、今に至るLUNA SEA 5人の結束の強さも信じられるというものだ。

 ドラマーとして、という以上に、LUNA SEAというバンドの要は真矢だったのではないかと思う。ドラムという楽器は、すべての演奏の土台になるものだ。ステージで4人の背中を見ながら彼らをまとめるビートを叩き出していた真矢への信頼は、計り切れなかったに違いない。1stシングル表題曲の「BELIEVE」のキレッキレのビートは、初期LUNA SEAのサウンドを決定づけた。また、「THE BEYOND」(2020年)でのおおらかなドラミングは楽曲のスケール感を増し、バンドの存在すら大きく感じさせるものだった。

LUNA SEA - 「THE BEYOND」MV

 真矢がロックドラムに目覚めたのは高校生の頃だが、能楽師の親のもとに育ったことから、幼い頃から和太鼓に親しんでいたようだ。父親が車のなかで脳に関する録音を再生し、それを解説してくれたのが面白かったとか。想像だけれど、マイクなどを使わずに生音で演奏する能楽から、彼は打楽器の本質を吸収していたのかもしれない。本格的にドラムを始めると、つのだ☆ひろのドラムスクールに参加、その後そうる透に師事している。こうした向上心が、バンドにとって大いに力になったことは想像に難くない。私は取材の場での彼を知るだけだが、いつも明るく周囲を気遣う人だった。

 こんな言葉が私のパソコンに残っていた。

「常に必死でありたいですよね。人間がやっているバンドなんで、メンバーの年代によって好みも変わったり、やりたいことも変わったりするでしょうけど、心根だけは変わっていない」(2013年取材データより)

 1989年にスタートしたLUNA SEAは多くのヒット曲を残して2000年に一度“終幕”を迎える。だが、その後に数度の活動再開を経て、2010年より活動を再開。2025年には35周年を記念し、冒頭にも書いたGLAYとの対バンとワンマンによる東京ドーム2DAYSを成功させ、真矢はそのステージで存分に力を発揮していた。けれど、数カ月後、すでに彼の体は病魔に蝕まれていたことを私たちは知ることになる。そして、地元のイベントに登場して復帰を誓い、「待っていて」とファンに呼びかけていたのだが、2月25日にLUNA SEAメンバーたちから彼の逝去が知らされた。

 傑出したミュージシャンであり、多くの人の信頼を得ていた真矢との別れを惜しむ声は、途切れそうにない。

※1:https://x.com/tsuchiya_masami/status/2025750798412759509

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