遊助、15年間変わらない感謝の想い アルバム『Thank 遊』で考えた、“遊助”がある意味

 遊助が、アーティスト活動15周年を記念してアルバム『Thank 遊』をリリースした。本作にはデビュー曲をアレンジした「ひまわり-応援花-」やTHE BOOM「風になりたい」をサンプリングカバーした「風になりたい~海風~」ほか、先行配信曲「洗濯者」など新曲含む全13曲を収録。本作に至るまでの経緯やアルバムタイトルからも伝わる感謝の想い、15周年を迎えた今の心境などについて話を聞いた。(編集部)

“自分が自分である意味”を考えた10周年からの5年間

――3月11日にアーティスト活動15周年を迎えた遊助さん。15年という数字に対する実感はいかがですか?

遊助:10周年からの5年間は、1~5年目や6~10年目よりも早かった気がするな。もうそんなにやってるんだよなって思います。人間で言うと15歳って義務教育が終わる歳で、自分で人生を切り拓いていかなきゃいけない時期だと思うんです。そういう意味でよりリアルな世界が目の前に広がり始めた感覚があったし、コロナとか、この5年で世界的にもいろいろな出来事が起こったじゃないですか。自分らしさや自分の可能性について考えつつ、時代の目まぐるしい変化にアジャストしなきゃという意識もありつつ……という感じだったんですけど、その中で、今だからこそのやりがいとか、「あっ、だから遊助って意味があるのか」ということを感じることができて。この5年間は濃かったし、あっという間でした。

――過去のインタビューでは、1~5年目で遊助の土台を作り、6~10年目では「みんなが遊助をこう見るなら、次はこんなことをしてみよう」というふうに発想していったとおっしゃってましたよね。

遊助:10年でワンセットみたいな感覚なんです。デビューした時は「今の勢いだけじゃなくて、ちゃんとした土台を作っておかないと、5年後10年後がヤバい」と思っていたからすごく必死だったんですよ。同じように、10周年を終えた時に「今もう一度筋肉を鍛えておかないと、15周年とか20周年の時にキツいな」と思って。それは音楽だけじゃなくて、お芝居やバラエティもそう。この先を考えたら、人間としての能力をもう一段上げないといけないと思いながらここ5年は動いてたように思います。

――そうして自分を鍛える中で、音楽活動のやりがいや意味を再発見したという話でしたね。

遊助:自分が自分である意味をやっぱり考えたかな。昔だったら家族でテレビを見て、クラスでも昨日見た番組の話をして、というふうに同じような文化をみんなで共有してる感覚があったけど、今はそうではないじゃないですか。同じクラスのこの人にはこの話が通じるけど、他の人には全然通じない、ということもよくある。流行りものは人それぞれという時代だからこそ、表現者としての自分の存在意義を改めて考えさせられたし、毎日現場に立たせていただくことで自然と身につく経験値は確かにあるけど、それに甘えて、価値観が偏ってしまっていた部分もきっとあったんだろうなと思ったんです。

――なるほど。

遊助:さっき言った「筋肉を鍛える」っていうのは、改めて自分をパカッと開いて、いろいろなものを見たり感じたりして、どんどん吸収していこうって話なんですけど。そういうことをやってみたら、個人が尊重されること自体は素晴らしいけど、それはある意味みんなバラバラというか、一人ひとりが孤立しがちな状況になってるんじゃないかと思ったんです。SNSとか自分の意見を発信できる場所をそれぞれが持てるのはいいことだけど、自分の部屋にこもってずっと携帯を見ていると、自分のほしい情報しか入ってこないし、どのアプリ開いてもAIが「あなたは野球が好きですよね」って言ってくるし。

――そういう風潮が加速すると、一人ひとりがどのように変化し、社会はやがてどうなっていくと思いますか?

遊助:AIに寄り添っていく人が増えるんじゃないかな。「あなたはひまわりが好きですよね」「元気な人ですよね」「野球が好きですよね」とAIが言ってくるのに対して、今度は人が「こういう情報が欲しい」「じゃあAIにこういうふうに言えば教えてくれるかな」とAIに合わせて行動するようになる気がします。

――分かります。私も仕事でChatGPTを使う時にスクリプトの書き方とかを考えてしまいます。

遊助:そんな時代だからこそ、生物(なまもの)としての温もりとか、耳に入ってきた時に「私ってこういうものが好きだったよな」「私の考えって間違ってないよね」と思える言葉を曲にちゃんと落とし込んでいきたい。流行りものはすごいスピードで変わっていくし、昭和の考えと平成の考えと令和の考えは全然違うかもしれないけど、人が人として生まれながらに求めているものってそんなに変わらないと思うんですよ。おじいちゃんもおばあちゃんも子どもも「これを待っていた」と思うような言葉とか温度って絶対にあると思う。一回タイムしてみんなで集まって「ああ、そうだよな」「よし、解散」って確かめられるような……明日からまた頑張るために一度戻れる場所を作れるアーティストになりたいなって。遊助だからこそ作れるレシピをもう一度考え直さなきゃいけないという感覚は強くありました。

――生の温もりを大事にする感覚はアルバムからすごく伝わってきました。感謝を伝えるための曲ではまっすぐに「ありがとう」と歌ってますし、感情をぶちまけるようなことでも誤魔化さずに表現してますし。

遊助:うん、そうですね。

――アルバムの収録曲からは、「人って本来幸せを求めているはずなのに、どうしていがみ合ってしまうんだろう」という疑問や、「もっと楽しめればいいのに」という提案の姿勢を感じました。コロナ禍をきっかけに人と人との繋がりの大切さを再確認しているはずなのに、また軽視するようになってはいないか、と警鐘を鳴らしているような。

遊助:4年前の自分がこの部屋を見たら「なんで消毒液なんてあるの?」って違和感を持つと思うんだけど、コロナ前はどうだったかって、もう忘れつつあるじゃないですか。そう考えると、忘れる能力って時に残酷ですよね。全部が当たり前になっちゃって、幸せを一つひとつ噛み締められなくなるから。

――そうですね。

遊助:俺、 人生って“1秒1秒を楽しく刻んでいけるか大会”だと思ってるんですよ。生まれた瞬間から死ぬことは分かってるんだから。それなのに、SNSの「いいね」の数ばかり気になって、近場の幸せを大事にできなくなっちゃって、大事な人がいなくなってから気づくなんてもったいなくない? ってずっと思ってたんです。人生失敗することも後悔することももちろんたくさんあるし、分かんないことも忘れちゃうこともたくさんあるかもしれないけど、自分のところにやってきた出来事一つひとつをちゃんと噛み締めて、「これから何が起こるのかな」って想像しながら生きる方が、濃く楽しく生きられる気がしていて。もちろん俺も失敗や後悔をたくさんしてきたけど、「バラエティってどんな感じだろう」「アスリートの人たちが見てる景色ってこんな感じなのかな」と興味を持ちながら、人よりいろいろな景色を見てきたつもりではいます。そうやって自分という乗り物を運転しながら、人生というドライブを楽しくやってきたので……俺ずっと楽しいんですよ。

――それは素晴らしい。

遊助:強がりじゃなくて、本当に。10代、20代、30代、マジでやり残したことないし、40代も今のところめちゃめちゃ楽しいんです。「自分ラッキーだな」「ついてるな」って思えた方が幸せだと思うので、なんでそう思えるのかっていうレシピをこのアルバムに落とし込めたらと思って。まあ、「誰かの役に立てるような言葉や音楽を作りたい」と思っているのは今年だけじゃなくて、いつもそう思っているけど、そういう想いの集大成を作ってみようかなと思ったのが、今回のアルバムなんですよね。小さい頃は「“ごめんね”と“ありがとう”だけはちゃんと言いなさいよ」って散々言われたはずなのに、照れくさかったり、プライドとか意地が出てきちゃったりして、言いにくくなっちゃいがちだから。改めてちゃんと「ありがとう」から始めていこうということで、『Thank 遊』というタイトルをつけました。

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