平理央がラブソングを通じて伝えたいこと 楽曲制作の原体験からデビューまでを振り返る
1999年生まれのシンガーソングライター、平理央。15歳で好きな女の子に告白するためにギターと作曲を始めたという彼は、それ以来、ラブソングを書き続けている。丸みを帯びたエアリーで聴き心地の良い声と、曲によって変化するカラフルでポップなアレンジ、でもその真ん中を貫くのは王道のJ-POPをこの時代の色で塗り替えたいという真摯な想いだ。今年2月にリリースされたばかりの配信シングル曲「ライブラリ」はそんな彼による渾身のラブバラード。この春に大学を卒業してアーティストとしていよいよ本格始動するという平に、初のインタビューを行い、音楽制作の原点から最新曲「ライブラリ」における制作エピソードなど、じっくりと語ってもらった。(上野三樹)
ニンテンドーDSのボイスメモに録音するところから始まった音楽制作
――15歳のときに音楽を始めたそうですが、それまでに聴いてきた音楽や楽器の経験はどういうものでしたか。
平理央(以下、平):最初にいいなと思った音楽は、玉置浩二さんでした。2010年頃、僕が小学生だったときに安全地帯さんが活動を再開するということでテレビに出演されているのを見て、シングル『蒼いバラ/ワインレッドの心(2010ヴァージョン)』を聴いて、衝撃を受けました。そこからは小学校の登下校時に、iPodをランドセルに忍ばせて安全地帯さんや玉置浩二さんをずっと聴きながら通っていました。当時のJ-POPって明るめの曲が多かった印象でしたが、ちょっと陰の部分やメランコリックな大人の雰囲気が強烈だったんだと思います。
――小学生で人間の陰の部分を受け止める感性があったんですかね。
平:どうなんでしょう(笑)。玉置浩二さんのカリスマ性のあるエネルギーに惹かれて、中学生になってもずっと好きで聴いていました。
――そんな小学生時代を経て、15歳のときに好きだった女の子に告白するためにギターと作曲を始めたそうですが、どうしてそういう方法を選んだんですか。
平:当時、好きだった子が同じ中学の後輩だったんですけど、なかなか接点を持つのが難しいので学校で有名になるしかないと思ったんです。僕が自分で曲を作って歌ってるということが学校で広まると、その子に認知してもらえるかなと思って。生徒会長をやっていたので、給食の時間に好きな音楽を流せる権限を持っていたんですよ。そこで玉置浩二さんの曲などをたくさんかけながら、間に自分で作った弾き語りの音源を流したりしていました。今考えると恥ずかしいんですけど。
――学園祭に出るよりも効果的な方法ですね。
平:半ば強制的に全校生徒が聴いてるわけですからね(笑)。先生のなかには反対する人もいましたけど、ラジオみたいに喋ったりもして、好きにやらせてもらっていました。
――曲作り自体はいつ頃から始めたんですか。
平:ニンテンドーDSにボイスメモ機能があるんですけど、小学生のときからそこに自分で作った歌を吹き込んでいました。「スノーフレークのスカート」という曲があるんですけど、それもDSに録りためていたなかの1曲です。なのでもともと自分で歌は作っていたんですが、人に聴いてもらうときにアカペラじゃ様にならないから中学生でギターを始めました。ギターを弾くようになってからは、カバー曲の弾き語りと作曲を同時に始めて、録音もDSからスマホになりました。音楽理論も何も勉強していない状態でいきなり始めたので大変さもありましたけど、最初から自分の表現をできる喜びの方が大きかったですね。
――では好きな子に告白するために何曲でも聴かせられる状態ではあったと。
平:そうですね。全部その子への告白みたいな曲でしたから。今思うと、すっごい迷惑かけちゃったなと思うんですけど、お昼の放送のたびに告白してたって感じですかね。
――平さんの楽曲制作の原点がラブソングなんですね。
平:そうですね。最初に作り始めたのがラブソングなので、今でもテーマになっていると思います。中学時代に好きだった子には最終的に卒業式で面と向かって告白したんですけど、そのときに「あの曲は実は君への歌なんだよ」って打ち明けました。そしたら「一旦持ち帰らせてください」って言われて、一週間後にLINEで振られて……それで、その曲をYouTubeにアップしました。未発表の「ロンリー」という曲なんですけど、その曲をきっかけに今のレーベルの人やマネージャーに声をかけてもらったので、その子には感謝しています。僕みたいに、ちょっと変わった生徒会長に好かれる女の子の気持ちって恥ずかしいだろうし……その子はずっと楽しそうに学校に通っていたんで良かったんですけど、繊細すぎる子だったら学校に来れなくなっちゃったりしたかなと思って。とはいえ、今となっては迷惑かけちゃったかなと思うんですけど、当時は「聴いてよ!」って気持ちしかなかったですね。
――その子に想いを伝えたくて始めた音楽が、失恋に終わった。それでも音楽を続けた理由って何だったんですか。
平:それはどうしてだったかな。もちろん音楽が好きっていうのはあるんですけど……あ、高校に入ってすぐ好きな子がまたできたんですよ! 渋谷にある高校だったんですが、そこに可愛い人がいっぱいいて。すぐ好きな子ができて、次はその子に曲を書きました。好きな子ができなかったり、私生活で恋愛以外の悩みがあったらそれを歌にしてたのかもしれないですけど、当時は曲を書く一番大きな理由が、好きな子が眩しすぎて他に目がいかなかったっていうのはあるのかも。心が動いたらすぐ歌にする、それをずっと繰り返していました。
――では高校時代にも曲を作り続けていたと。
平:そうですね。高校に入ったら好きな子とすぐに付き合えることになって。しばらくはその子に大好きと伝える歌をずっと作っていました。ラブラブだった時期はアップテンポな曲やオシャレな曲が書けて、喧嘩をしたら「もうすぐフラれるんじゃないか」みたいな曲、別れたら付き合ってた頃のことを思って今までありがとうみたいなバラードを書きました。
「毎日、黒歴史を作ってるみたいなところがある」
――シンガーソングライターになりたいというプロ意識が芽生えたのはいつでしたか。
平:曲を作る上で、J-POPとして強いものを作りたいみたいな気持ちは、DSに歌を吹き込んでいる最初のときからありました。プロ意識と言うには全然甘いですけど、すごく広く伝わるキャッチーなものを作りたいというのは、恋をして曲を作りながらずっとテーマとしてありましたね。伝わるってどういうことだろう、曲を通して自分の恋を重ねたりして共感してもらえるにはどうしたらいいだろうとずっと考えてきました。
――恋愛に没頭してその時々の自分の感情に向き合って曲を書いていくのは、結構しんどいときもあるんじゃないですか。
平:しんどいですね。普段、生きていても感情が動きますが、それを音楽にして表現するとアップダウンがさらに増幅されるので。でも、そこに快感を覚えていたのかもしれないです。音楽によって自分の気持ちを増幅させることで、鳥肌が立ったりクラクラするような感覚があって。それにやみつきになって中毒のように歌を作り続けていたんだと思います。だから学校では全然勉強ができなくて、ただ恋をして毎日曲を作っている人でした(笑)。高校時代に100曲ほど作っている間に、偏差値が70くらいの進学校に行ってたのに、自分の偏差値が30くらいまで下がりました。
――2019年9月、本格的に音楽活動を開始されたということですが、このタイミングで音楽活動における状況はどのように変わっていったんですか。
平:美術系の大学に入ったんですけど、それと同時にライブハウスで弾き語りをしたりと音楽活動の幅を広げました。高校時代も何度か弾き語りライブはしていましたが、より本格的に始めたのが2019年でした。いろいろと仕切り直して「売れたい」みたいな気持ちが芽生えたんです。高校生の頃から今のマネージャーに声をかけてもらっていて、たまに「最近どうなの?」みたいな話を聞いてもらっていました。そのマネージャーと自主レーベルを立ち上げて、2人で頑張っていこうという感じになったのが2020年くらいで、今のビクターエンタテインメントのスタッフさんとも「一緒にお仕事していけるように頑張っていきましょう」ということになりました。大学は途中で1年休学しまして、今4年生で、この春卒業します。
――これまでにリリースされた曲に関してもいくつかお伺いしていきたいんですが。まずは昨年5月に配信リリースされた「やさしい嘘」について。この曲は〈そうだね今改札から走ってくるのは/もう運命とかじゃなくて ただの青春だった〉という歌詞が本当に素晴らしくて衝撃を受けました。
平:ありがとうございます。嬉しいです。
――目の前にいる相手との関係はもう過去のものなんだなという、リアルタイムでそれを俯瞰しちゃってる感じがします。
平:この曲も実話ベースなんですけど。僕は大学を休学したりしてたから、ちゃんと授業に出て一生懸命勉強するような学生とはちょっと違っていて。でも当時の彼女はしっかり勉強も就活もする真面目な人だったんです。デートのときに、いつもギターを背負ってくる自分と、就活のあとにスーツで来る彼女との対比が、申し訳ないなと思っていたりして。僕はずっと青春やってる情けないヤツで、でも彼女は、僕をこれから人生を共に歩んでいこうとするパートナーとして見ていて。音楽を続けたいという僕の想いをわかってくれようとしたけど、分かち合えなかった2人を、音楽で昇華できたらと思って書いた曲です。
――未来へと繋がらない恋の儚さや虚しさをリアルに書かれてると思うんですけど、こうした価値観の違いに直面したとき、まだ20歳くらいの主人公たちが素直に別れを選択できるのか? っていうのは私、結構考えちゃいましたね。
平:まあ、おそらく、そんなことはないんですよね。きっとまたどこかで「あの頃は良かったね」なんて2人で喋れたら、それは僕の夢でもあるんですけど。そういう意味では最後の〈例えまた生まれ変わっても/僕ら二度と出逢えないから〉の部分はちょっと強がりと言うか、乱暴な言い方をしてるんですよね。運命かどうかなんてこの歳じゃわかんないけど、無理やり切り捨てるように言い切ってしまうところが、この2人に向けられた神の視点というか、“やさしい嘘”なんだっていう意味でタイトルにしてるんです。
――なるほど。リアルタイムで経験したことを歌にしながら俯瞰した視点を入れていく。それはもう職業病みたいなもので、恋愛しながらどこかシンガーソングライターの視点で状況を見てるところがあるんじゃないですか。
平:おそらくそうだと思います。何十年後かの自分が今の自分を見ているように、俯瞰した視点がある気がします。不器用だし、行き当たりばったりなダメな人間ですけど、なんかそういうところがあるんですよね。
――でも、生徒会長をして好きな女の子に自分の曲を聴かせてたって話を聞くと、積極的で陽キャみたいなイメージも沸きますけどね。
平:それこそが余裕のない男がする行動ですよ(笑)。
――そっか(笑)。後で反省したりして?
平:もう毎日、黒歴史を作ってるみたいなところがあるんですよ。後で考えたら記憶に蓋をしちゃいたいみたいなことばかりなので、リアルタイムで曲を書いてるときがもしかしたら一番、冷静なのかもしれないです。過去のことを思い出そうとすると「うわっ」ってなっちゃうから、リアルタイムだからこそギリギリ俯瞰できるのかも。
――今日の黒歴史は今日残して、振り返らなくていいように?
平:処理してるのかもしれないですね。作品にしちゃうと、もう自分のことだとあまり思えないというか、だからこそ歌えるんだと思います。そうやって日々、曲作りをしてちゃんと出していかないとメモリ不足になって何も考えられなくなるので、なるべく早く出力して、自分とは別物にしておかないと前に進めないところはあると思います。