鹿野淳が東京で見つけたフェスにとって宝島のような場所ーー苦節10年以上の『TOKYO ISLAND』立ち上げの背景を語る
リアルサウンドでは現在、今年の夏フェスの動向に注目した特集『コロナ禍を経たフェスの今』を展開中。その一環として、さいたまスーパーアリーナで開催されている音楽フェス『VIVA LA ROCK』プロデューサーとして知られる鹿野淳に取材を行った。
今回インタビューするに至ったのは、鹿野が同じくプロデューサーとして関わる新たなフェス『TOKYO ISLAND』が、9月23日、24日、25日に東京・海の森公園にてスタートすることから。同会場は現在整備中で未開園、苦節10年以上でようやく今回の開催が実現したという。今年の『VIVA LA ROCK』や、『VIVA LA ROCK』の利益1500万円を使って2015年に開催したプレイベントも振り返りつつ、この地でイベントを開催するに至った背景に迫った。(編集部)
“クソ動線”と言われ続けてきた『VIVA LA ROCK』
――まずは今年の『VIVA LA ROCK』を振り返ってみていかがですか?
鹿野:開催するまでは、今年はめちゃくちゃ難しい年だなと思ってたんですよ。去年は他のフェスがほとんど中止していたので開催すること自体に意味があったんですが、今年は開催すること自体にはそこまで大きな障害がなかった。ただ、ブレーキやルールを普通に受けとめると、なんとほぼ去年と変わらなかったんです。そのこと自体に僕は大きな挫折を感じたし、そういう制約が多い中でも参加者の皆さんには全力で楽しんでもらいたいし、2021年に開催した数少ないフェスだからこそ2022年への新しいストーリーを作りたいし、個人的なモチベーションの問題もあるし……そういったことを全部含めて激しく難しさを感じていました。でも、実際に開催してみると、100点どころか180点ぐらいの雰囲気だったんですよね。何よりもお客さんが去年とは全然違うモードだったんです。僕らはもっと緊張感があって我慢強くライブやフェスを楽しむ時間になると思っていたんですが、実際はたくさんのルールを守りながらも、コロナ前へ戻った錯覚を覚えるほど楽しんでくれていた。正直ものすごく驚きました。最悪な世の中だと思った2021年の春から1年経って、世の中がウィズコロナの感覚を持ったことが、今年の『VIVA LA ROCK』の空気にも反映されていたんだと思います。あと、ゴールデンウィークを過ぎたころからライブやエンタテインメントに関する規制が段階的に解除されたことも大きいです。他のライブやフェスもゴールデンウィーク前後で雰囲気が全く違うので、『VIVA LA ROCK』を開催した時期は、まさに大きな転換期だったと感じています。それもあって、たった3カ月前とは思えないほど遥か昔、ジュラ紀ぐらい前の出来事のような気がしますね。
――あの時期のフェスがあったからこそ、いま夏フェスが開催できているのかもしれないですね。
鹿野:そうなんですかね。僕は今年、プロデューサーとして大きなことを成し遂げたとはほぼ思っていないです。僕らはもっと違う景色を予想して開催したけど、お客さんがはっちゃけて、アーティストがそれを心に認めてライブをやって、そしてお互いルールを守ってくれた。これは僕らの範疇じゃないというのが正直な感覚です。
――早いもので、『VIVA LA ROCK』は来年10回目を迎えます。
鹿野:ありがとうございます、やっとって気持ちもありますけどね。『VIVA LA ROCK』って5年目以降、毎年苦しんでいるんですよ。明確な試行錯誤の連続。ありがたいことに集客は1年目からずっと恵まれていますが、同時に“クソ動線”とずっと言われ続けていました。毎年様々なやり方で改善しようと努力しましたが、もう動線をなくすしかないと思って、6年目からは巨大なスペースに仕切りのない2つのステージを置くスタジアムモードに切り替えました。それでやっと解決できたと思ったら、7年目でコロナが来てしまって。とにかく『VIVA LA ROCK』を絶やしたくなかったので、3日間で30組のアーティストを呼んでオンラインで開催して、8年目も他のフェスがほぼ中止する中で、どんなルールでも受け止めて楽しんでやるという気持ちで開催した。そして9年目、今年は先ほど申し上げた通りですね。だから5年目以降、毎年違うフェスを新しく立ち上げている感覚なんですよ。だから苦しいこともあるけど根本には喜びがあるから、その歓喜の苦しみをずっと重ねて来た気がします。
実際、10年目もどうなるかわからないですよね。色々とコロナ前の形に戻せるんじゃないかと思いますが、現実的にさいたまスーパーアリーナではまだ声出しできていないし、お酒に関するルールも厳しい。何よりも多くのビバラを好きな方々も、以前の雰囲気や自由を自ら体現することに不安を覚えているであろうこと。仮にコロナが落ち着いていたとしても、みんなライブでの遊び方を忘れちゃってると思うんです。そこへ急に「元に戻っていいよ」と言われたら興奮状態になって危険なことも出てくるんじゃないかという危惧もあるかもしれない。そういうことも含めて運営に関してはたくさん悩みながら粛々と来るべき春に向けて準備を進め始めています。
『VIVA LA ROCK』を立ち上げた2014年には、フェスブームがとっくに出来上がっていたので「今さら新しいフェスを立ち上げるのか」と言われたこともありました。そんなフェスが10年も続いたという事実は、これまで関わってきてくれたスタッフにとってすごく大きな価値があると思います。10年という数字に加えて、『VIVA LA ROCK』というフェスを定着させられたことも喜ばしいですよね。10回という回数は、その定着を自ら認められる勲章かもしれないと思います。ロック好きが集まる場所や、“埼玉と心中する”という言葉を信じてくれた人たちとコミュニケーションをとる場所を作ることができた。無上の喜びがありますね。
お台場から2キロも離れていない場所に広がるファンタジー
――そんな『VIVA LA ROCK』を続けながら、9月に海の森公園にて新たなフェス『TOKYO ISLAND』を開催。立ち上げに至った経緯を教えてください。
鹿野:野外フェスだからビバラとは根本的に違うのですが、自分がこうやって旗を振っていたり、運営や制作が割と同じ仲間で構成されているのも事実です。『TOKYO ISLAND』は、お台場の埋め立て島である海の森公園を見つけたことがきっかけで立ち上げました。2011年に見つけたときから、この場所で何かやりたいと強く思っていたんですが、当時は木一本生えていなくて、まるで公園という感じではなかったんです。ま、今も割とそうなんですけど(笑)。だからここを使うには何年もかかるなと当時から長い目で見守ってました。
実は2014年に『VIVA LA ROCK』を立ち上げた際の候補地もここだったんですが、その時もまだ使える状況ではなかったし、さいたまスーパーアリーナとの出会いもあって、結局は使用に至りませんでした。そんな中、2016年頃から公園として開園するという話が出たので、2015年にプレイベントを開催して、公園が開園する2016年に本開催をする予定で『TOKYO ISLAND』プロジェクトをスタートさせました。ただ、ここは交通の便が悪くて今も1時間に1本しかバスが通っていないんじゃないかな? 行政からも最初は「こんな場所で本当に数万人のお客さんを入れるイベントができるんですか」と言われたので、我々ならできるということを証明するために、同じ年の『VIVA LA ROCK』で出た利益の1500万円を使って2015年にプレイベントを開催しました。自分たちで雑草を刈り取って、鉄骨を手持ちで運びながら坂を上ってステージを建てるという超手作りでやったんです。楽しかったし、そういうスタッフと開催するフェスなのが、このフェスの味噌でもあります。
でもその後、海の森公園が東京オリンピックの会場に決まって、公園の開園は2020年から2021年以降に延期になり、僕たちはこの場所へ立ち入ることもできなくなってしまいました。2016年からのフェス開催を申請していましたが、それも一旦立ち消えです。そして去年オリンピックが終わった後に、「『TOKYO ISLAND』を2022年に開催してもらえないか」という話が来て、ようやく今回の開催に至ったという形ですね。だから似合わないですけど、まさに苦節10年以上の中で今回ようやく開催することになりました。
――フェスを立ち上げたかったというより、その場所を使いたいという思いが先にあったんですね。2015年に開催してから今年まで、別の場所でやろうというアイデアはなかったんですか?
鹿野:このフェスに関しては、他でやるという選択肢は1%もなかったです。というか何度も同じことを言い続けていますが、フェスって場所とスケジュールがほぼ全てなんですよ。よってあの場所を使うことが一番の目的でしたから。場所柄、音量制限とかもないんです。耕されてないのに、お台場から2キロと離れていない。バスで10分ほどで着くなんて、無茶苦茶便利なファンタジーじゃないですか。音楽フェスにとっては宝島のような場所なんですよ。
――そこまでこの会場に鹿野さんが魅了された理由はなんだったのでしょうか。
鹿野:とにかくこの海の森公園を見つけた時の「ただのファンタジー」しか感じなかった、あの感動が全てだったんです。まず、東京なのに何にもないというのが良かった。今回の開催に関しては水も通ってないし電気も通ってない場所に、それらを大量に持ち込んで完璧なフェスをやるんです。最高だと思いません? 東京テレポート駅から車で10分もかからない場所なのに、何もないんですよ(笑)。ありえないほど面白い体験です。それから景色も素晴らしいですね。片方にはディズニーランドや東京スカイツリー、お台場が見えて、もう片方には湾岸地帯と羽田空港。それが全部パノラマ状に見渡せるんですよ。特に夜景! 本当にとんでもないですよ。あの夜景を見ると勝手に「東京とは何か?」をわかった気になる。他にも東京には素晴らしい公園がたくさんありますが、海の森公園は特にスケール感がある場所だと思います。なんせ東京ディズニーランドとほぼ同じ大きさなんですから。さらに、公園として本格的に開園する前のゼロ地点から使うという未知のチャレンジにも、今年の開催の魅力を感じています。東京の夢が全部見渡せるのに、東京の中で最も未完成なはずの場所でフェスティバルを開けることなんて、なかなかないと思うんですよ。このチャンスを是非、楽しんでほしいです。
――確かに場所から一緒に作っていくのは新しい感覚ですね。開催時期を9月に設定したのはなぜですか?
鹿野:このフェスでは、東京で夜空を見ながら泊まるキャンプができるようにしたかったんです。コロナ禍以降のキャンプブームやアウトドアブームに便乗していると思われるかもしれませんが、実は開催を決めた2014年から「『TOKYO ISLAND』はキャンプをして泊まること込みのフェスなんだ」とずっと言ってきました。実際に公園に泊まること自体がチャレンジングなことなので、そこの交渉にもすごく時間をかけましたしね。参加者の多くは関東近郊から来ると予想しているので、ある程度便利な場所に住んでいる方々がちょっと不便だけど都心からすぐの場所で空を見上げて星を見つめながら、「ちょっと不思議で変な時間だったけど楽しかったね」って笑い合うことにすごく意義があると思ったんです。キャンプとなると、次の日の予定や時間を気にするのは嫌じゃないですか。それなら9月のシルバーウィークがいいなと。夏休み期間にやりたい気持ちもあったのですが、『TOKYO ISLAND』は音楽メインのフェスじゃないにせよ、他の音楽フェスが多く開催されている時期に割って入るのもどうだろうか、など色々なことを考えてこのタイミングになりました。しかもテントで泊まることを考えると9月中旬以降が一番過ごしやすいですしね。新潟や長野でやるフェスなら夏でも夜は涼しいかもしれないですが、東京の8月は現実かなり厳しいと思うので。
海の森公園が隣接する有明やお台場エリアは、「ニュー東京」と呼ばれる場所です。この地域に住んでいる人たちの休日の過ごし方を目にする機会があって、大体20代から30代の夫婦と、幼稚園から小学生くらいのお子さんという組み合わせの所謂ニューファミリーが、芝生の上にサンシェードテントを立てて、お父さんと子供がボール遊びをしている間にお母さんは本を読んで、近くにあるショッピングモールでお昼ご飯を買って食べ、今度はお母さんが子供と遊具で遊んでいる間、お父さんはビールをグイッと……というのをスタンダードな時間だと感じたので、僕は2014年くらいにこれが新しい東京のファミリーのリアルだと設定して、こういう方々が来るフェスを作りたいと思いました。音楽ファンだけではなくファミリーが来て、子供が広い空やフェスの空間を堪能して感情豊かになって将来にも繋がっていく。ある意味、そんなカルチャーや音楽への跳び箱の踏み台みたいなものになりたいと思ってます。それが『TOKYO ISLAND』の初期コンセプトなんです。泊まって、東京を見つめて、音と空間と時間を楽しむという。