牛来美佳、「いつかまた浪江の空を」に宿る物語 震災後の歩みから楽曲リリースに至るまで
いろいろな方に受け継がれていくような曲に
――今回の楽曲には、二本松市に避難している浪江町出身の小学生21名の歌声が入っています。これはどなたの発案で進められたんでしょうか。
牛来:2015年1月に山本さんのディレクションでこの曲のレコーディングをしていたんです。その作業が終盤に差し掛かったときに、歌いながら「浪江のこどもの声とかあったらいいのにな」ってふわっと思ったんです。そのことを山本さんに伝えたら、「僕もちょうど思ったんだよね!」って。以心伝心でした。
――こどもたちの歌声は「せーの」で、一気に録音したんですか?
牛来:そうです。山本さんがマイクとレコーディング機材を持ってきてくださって、二本松の仮校舎の教室にマイクを1本立てて、そこでみんなに歌ってもらいました。こどもたちの歌入れまで2、3週間しかなかったので、当初は最後のサビと、ハミングだけを録る予定だったんです。だけど、音楽の先生も曲を気に入ってくださって、音楽の時間だけじゃなくて、通学のマイクロバスの中でも曲を流してくださったらしくて、こどもたち全員が最初から最後まで歌えたんです。なので、山本さんが最後に「せっかく覚えてくれたから、1回、最初から最後まで録音しましょう」ってフルコーラス歌ってもらったんです。だから、実際にこどもたちが歌ってるパートが当初の予定より増えて、楽曲が完成しました。
――こどもたちのどのような言葉が印象に残っていますか。
牛来:「浪江に帰ったら何したい?」っていう話をしたんですけど、答えがすごく素朴なんですよね。浪江の家が本来の家族の場所みたいな気持ちがすごくあって、「浪江のおうちに帰って、家族のみんなでご飯を食べたい」とか「この曲はいい歌だから家族で歌いたい」とか。大人だけじゃなく、こどもにとっても浪江にある自分の家が家族の場所なんだなって、改めて思わされました。あと、ひとりの子は浪江への思いが強すぎて何も言えずに泣き出してしまって。その姿を見ると、まだまだデリケートなことなんだなとも思わされました。
――牛来さんは2018年に『G-namieプロジェクト実行委員会』を立ち上げ、復興支援チャリティライブなどを2021年まで4年間開催してきました。これはどんな目的で立ち上げたんでしょうか。
牛来:避難先の群馬県太田市で出会った方々に、震災から一歩踏み出したイベントを開催したいという話をしたときに、賛同した方々が有志で集まってくださったんです。震災にまつわることでも意外と知られていないことがあるんですよね。たとえば原発事故によって強制避難させられた場所は、震災翌日の早朝に避難指示が拡大されたため、救えたはずの命が救えなかったんです。
――そうなんですね。
牛来:津波の被害があって、体の半分以上が水に浸かっている中、町の人が「明日、救助隊が来るから頑張ろうな」って声をかけていた。その救えたはずの命も救えずに町を強制的に出なくてはならなかったという現実があって。そういう話をすると「翌日の朝早くに? 知らなかった」という声がたくさんあって。私の経験をもとに、当たり前の大切さってなんだろう? とか、そういうことを考える時間、共有する場所を作りたかったんです。
――今回の「いつかまた浪江の空を」は2015年にYouTubeで発表され、今年3月に配信リリースされました。山本さんに楽曲依頼してから10年、発表から7年の年月が経っています。
牛来:そこに焦点を当てただけで感慨深いです。この曲がどこに伝わっているんだろう? みたいに思いながら歌っているときもありましたし、近年はコロナ禍で歌う機会がまったくなくなった時期もありましたから。そういう年月を経てのリリースに、こういうことってあるんだという驚きの方が勝っているし、まだちょっと実感が沸いてないところもあります。
――今後、この曲をどのように歌っていきたい、伝えていきたいと思っていますか?
牛来:浪江の空の下で、たくさんの人が当たり前の生活をして、町が潤えばいいなっていう根本的な願いは変わらないです。あと、今回のリリースにあたって山本さんが合唱譜を作成してくださって無料でダウンロードできるようになっているので、いろいろな方に受け継がれていくような曲になってほしいです。震災から10年以上経つので、震災を知らない小学生たちもいる。そういうこどもたちが歌うことも意味深いと思うので、そういった意味でも合唱曲として広まってほしいなと思います。
――牛来さんの強い思いから生まれた楽曲ですが、一方で、牛来さんの手を離れて一人歩きしていってほしいという思いもありますか?
牛来:少しありますね。離れて暮らしている同郷の友人から連絡が来て「ダウンロードしたよ」とか「聴いたよ」って言われるたびに、こうやっていろんな人に届いていくのかなって思うので。今は「あぁ、良かった。夢じゃないんだ」っていうことを噛みしめている感じです。それも歌い続けてこなければ繋がらなかった大切なご縁のひとつだと思いますし、なんでもそうだけど続けていくということ。時に心が折れそうなこともありましたけど、諦めない。そういう気持ちが本当に大事なんだなって、今回のリリースによって改めて思いました。
――牛来さんの目に今の浪江町はどう映っていますか?
牛来:今の浪江町はただ空間だけが存在してるっていう感じです。要は解体してナンボ。解体しないことにはこれから先の復興も目処が立たないので、とにかく解体が進んでいるんです。震災前だったらここからあの建物は絶対見えないという場所から、今は見えるっていう不思議な風景になっていて。それは復興に向かっていくために必要な空間なんだろうなと思いますけど、今回の曲の歌詞にある、私たちの“元の未来”はどんどん消されていくというか。
――〈いつもいつも 歩いていた道〉がなくなっているんですね。
牛来:そうなんです。復興に向かっていると思えば喜ばしいことなんですけど、ばっさりとなくなってしまったから。震災で家の中がぐちゃぐちゃになって、窓ガラスが割れて、その隙間からカーテンが風に吹かれている。震災以来、誰も住んでいなくて朽ち果てた家があった。そんな風景がサッとなかったことになるっていう。なんだかすごく不思議な感覚なんです。
――記憶にある浪江の風景は戻らないと。
牛来:あと、故郷って必然的に地元の友達が集まってくる場所だったんです。大型連休とか夏休みになると、みんな浪江に帰ってくる。そういった意味では町の風景も戻らないし、私たちのコミュニティも分散してしまった。そういう悲しみもありますね。
――今回の楽曲を浪江町で聴ける日を心待ちにしている方もたくさんいると思います。浪江町でのライブで特に印象的だったステージを教えてください。
牛来:去年11月に浪江町で開催されたイベントですね。屋根のない野外ステージで、上は空だけという場所で歌ったんですけど、その日は晴天で青々とした綺麗な空で、「いつかまた浪江の空を」日和だったんです(笑)。そのときは応援してくださっている方々が群馬から泊まりがけで来てくださって。その方々がめちゃくちゃ泣いていて、私ももらい泣きしそうになりながら歌いました。やっぱり浪江の空の下で歌うと特別な感情になりますね。楽曲を配信リリースしてからは、まだ浪江で歌っていないので、早く歌いに帰りたいです。
※1:https://realsound.jp/2022/04/post-999417_2.html
■配信情報
「いつかまた浪江の空を」
配信URL
https://king-records.lnk.to/namienosora_gorai
1.「いつかまた浪江の空を」
作詩:牛来美佳・山本加津彦/作曲・編曲:山本加津彦
2.「いつかまた浪江の空を(オリジナルカラオケ)
Chorus:浪江・津島小学校に残った21人の子供たち(2015年、仮校舎の教室にて収録)」
3.「いつかまた浪江の空を」(インストゥルメンタル)
G-namie project https://gnamie-project311.jimdofree.com/
合唱譜の無料ダウンロード https://namienosora.com/
■番組情報
『新・BS日本のうた』
※観覧募集は終了。O.A日はオフィシャルサイトを参照。
https://www.otacivichall.net/events/event/6628.html
■ラジオ情報
『牛来美佳のいきなしGo!Light!!』
毎 火曜19:30~20:00
再)木曜10:30~11:00
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