バトル番組をきっかけに“中国ダンスブーム”が到来 ダンサーが日本でレッスンを受けることも主流に

 「これって日本のメディアに掲載されるんですよね? 知っていますか? ここ数年、中国では、日本でストリートダンスのレッスンを受けるのが流行っているんですよ。私の周りのストリートダンスを踊っているダンサーは、ほとんどが日本でレッスンを受けた経験があります」。chichiにそう言われた時、今回の記事には予定していなかった内容だっただけに、ただただびっくりした。と同時に、これは絶対に話を聞かなければと思った。

 chichiによると、2015年に上海のあるダンススタジオが、日本のストリートダンスのダンサーをよび、ワークショップを開催したのがきっかけになったとのこと。ワークショップを受講したダンサーがSNSでつぶやき、動画を流したことで「日本のダンサー、レベル高い!」「私も習いたい!」ということで、日本への旅行ついでに、ワークショップで教えていたダンサーが所属する日本のスクールに行きレッスンを受ける人が増えたということらしい。「しかも、予約が取りづらくなるほどに中国からレッスンを受ける人が増えた、という話も聞きました」。その後、スクール側は人数制限をするなどの対応策を取ったようだ。

 日本でレッスンを受けたダンサーは、帰国後に自分のダンスグループを作ったり、インストラクターとして教えたりしている人が少なくないとchichiは言う。ぜひ、日本でレッスンを受けた経験があるダンサーに話を聞きたいと思い、chichiに紹介してもらった。

2018年ロサンジェルスのMillennium Dance Complexでのレッスン。右手、グレーのニット帽がアイヴァン。(写真提供:Ivan Wang)

 1987年四川省成都(せいと)生まれのダンサー兼コレオグラファーのIvan Wang(アイヴァン・ワン)は、現在上海を拠点に活動している。ストリートダンス歴は15年。メインで踊ってきたのは、アーバンダンス、ハウス、ポップなど。最近、自分の新しいダンスグループ・Vibe Boneを設立した。(注:「アーバン」という単語は、<リパブリック・レコード>やアメリカのダンサー、ショーン・エバリストらが最近、「今後はこのジャンル名を使わない」ことを提唱していたが、ここでは分かりやすくするために、あえて使わせていただく)

 初めてストリートダンスに触れたのは、成都で生活していた高校生の頃。同級生がストリートダンスを踊っているのを見て「かっこいい!自分も踊ってみたい」と思った。当時、成都にはストリートダンスを専門に教えるインストラクターはいなかったので、ラテンダンスのインストラクターの下でダンスの基礎を習った。卒業後、2005年に上海の大学に入学。大学ではストリートダンスサークルに所属。当時、上海で実力のあったストリートダンスグループのダンサーを先生に迎え、毎日のようにレッスンを受けた。

2019年ロンドンのBase Dance Studiosでビヨンセのバックダンサーを務めたこともあるダンサーJohn Grahamと知り合った。「君のダンスは僕らにはないスタイルだね」と言われ一緒に振り付けを考えて踊った。(写真提供:Ivan Wang)

 2005年にすでにストリートダンスに接していたアイヴァンだが、彼によると当時、先生として指導してくれたダンサーたちはさらに10年以上ストリートダンスに接していたという。「私たちの世代は、中国のストリートダンス界の二代目みたいな感じでしょうか。当時は、ストリートダンスはまだ知られていなかったし、踊っている人も本当に少なかったです」。現在40代、50代の一代目のダンサーたちはほとんどがすでに踊ることをやめ、ダンス関係の会社を立ち上げたり、スクールを設立したりと別の形でストリートダンスに向き合っている人が多いようだ。

 きっと一代目のダンサーたちがストリートダンスを踊っていた当時は、さらに知名度はなかったのだろうと想像できる。彼らは誰から指導を受けていたのだろうか?「一代目のダンサーたちは、実は日本からダンサーを呼んで指導してもらっていたんですよ。アジアでストリートダンスが早く浸透し、実力のあるダンサーが揃っているのは、日本と韓国なんです。日本のダンサーは韓国に比べるとお願いしやすかったと聞いています」。このあたりの話は、全く知らなかった。中国のストリートダンスと日本は、実は密接な関係があったのだ。

 大学卒業後、アイヴァンは上海のダンスカンパニーに所属し、大学の専攻をいかした金融の仕事をしながらダンスインストラクターとして生活していた。その後、膝を痛めてしまい、4年ほどダンスから離れざるを得ない日々を送った。膝の故障が回復し、なんとか踊れるようになった2016年、その年に結成されたばかりのダンスグループに所属。様々な教室でダンス指導をしたり、コレオグラファーとして活動した。去年までそのグループに所属していたが、グループが商業路線で活動することに決めたことで方向性の違いを感じ、脱退を決めた。同じ考えのダンサーもアイヴァンと一緒に脱退し、アイヴァンのVibe Boneのメンバーとして再出発した。

 とはいえ、上海でダンサーだけで生活するにはやはりお金になる商業的な仕事も受けなければ続けていくのは難しい。ただ、Vibe Boneとしては、自分たちオリジナルのダンスを発表する場を持ち、ダンサー、コレオグラファーとして指導する場を得ながら、少しばかり商業的な仕事を受けられたらと考えている。

 ダンスグループと一言では言うけれど、果たして普段どのような活動をしているのだろうか。「大きく分けると、4つの活動内容になります。一つは、ダンススクールやダンス関係の組織のインストラクターとして指導すること。二つ目は、CMや広告などでダンスを踊る、または振り付けを担当する。芸能人のバックで踊る、振り付けをするなど、所謂、商業的な活動がこれにあたります。三つ目は、会社のイベントやお店のオープンイベントなどでダンスを披露すること。これも、商業的な活動ですね。四つ目は、ダンスを習いたい人への個人レッスン」。「有名人だと、台湾の歌手、蔡依林(ジョリン・ツァイ)のバックで踊った経験もありますよ」。上海では、近年のダンス熱も後押しして、ある程度、技術があり長くダンスを続けているダンサーは、ダンサーという職業だけで食べていけるだけの稼ぎが得られるようだ。

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