King Gnu、『CEREMONY』で劇的進化を遂げた“ポピュラリティ” メロディのフックを軸に考察
フックの効いた歌メロ
そのような特色や武器を生かしながら、バンドがよりスキルアップしていくことはたやすく想像できた未来だ。しかし今回のアルバムを聴く限り、彼らは想像を絶する進化を遂げていた。冒頭でも述べた、ポピュラリティの突然変異的レベルアップである。ここまでの急激な成長は、はぐれメタルでも倒さない限り普通はあり得ないことだ。
彼らのやっていることは、質が高くなっただけで本質的には何も変わっていない。唯一ベクトルが若干変わったとすればソングライティングの部分、とりわけメロディラインのキャッチーさということになるだろう。“キャッチーさ”というとどうしても抽象的になってしまうが、微分していくと、その変化はメロディのフックにあることが見て取れる。
もちろん彼らは一貫してメロディアスな歌メロを歌い続けてきており、それは今作でも一切変わっていない。それでも印象がよりキャッチーになっているのは、意識的にフックをちりばめたメロディメイクに起因している可能性がある。単に美しくメロディアスなだけではなく、心理的な引っかかりをもたらすラインが目立つ今作。その歌メロに引っ張られる形で、アレンジ的にも何を聴かせたいのかがより鮮明になった。
たとえば「どろん」のようなオルタナ色が濃い楽曲はもっとマニアックな仕上がりになっていてもおかしくないところだが、マイナースケールの美しい旋律にフックを効かせることで歌メロオリエンテッドな構造となっており、仮にギター1本で弾き語りをしても十分に美しい楽曲として機能するはずだ。それほど強度のある歌メロを、緻密なアレンジや鉄壁のリズム隊による盤石のボトム、礼儀作法の行き届いたコード進行などで増幅させた結果、「攻撃的なムードを損なわずにキャッチーかつポップな楽曲として仕上げる」という離れ業が成し遂げられた。今のKing Gnuが表現できる要素をさりげなくおしゃれに、しかし余すところなくちりばめた、見事なオープニングナンバー(実質)と言えよう。
メロディアス≠キャッチー
そもそも論として、「メロディアスな歌メロ」と「キャッチーな歌メロ」はイコールではない。まったくメロディアスでないキャッチーなメロディなんて世の中にいくらでもあるし、その逆もしかり。わざわざ言うまでもないほど当たり前の話ではあるが、だからこそ意識からはうっかり抜け落ちてしまうものだ。
前作までのKing Gnu楽曲で言えば、メロディアスではあってもキャッチーであるとは言い切れないメロディラインも少なくなかった。しかし今の彼らは、その部分を相当意識的にコントロールしているように見える。タイアップ曲がアルバムの大半を占めていることも、決して無関係ではないだろう。これまた言うまでもないことだが、それは意識さえすればできるというような単純なものではない。だからこそ、バンドを取り巻く状況が一変した多忙な創作環境の中でそれをやってのけた常田は、ソングライターとして頭ひとつ抜きん出る存在になり得たのだ。
さらに今作には「Teenager Forever」のようなハッピーなオーラに満ちた楽曲さえ収録された。これを「シーンの中心でロックバンドとしてポップミュージックを奏で続けていくのだ」という所信表明の意味に受け取ったリスナーは、おそらく筆者だけではないはずだ。
■ナカニシキュウ
ライター/カメラマン/ギタリスト/作曲家。2007年よりポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー」でデザイナー兼カメラマンとして約10年間勤務したのち、フリーランスに。座右の銘は「そのうちなんとかなるだろう」。