早すぎた和製シーランはゴミ屋敷の住人になっていた? 豊田道倫『夜路死苦ファンタジア』によせて

 「まるで豊田道倫のようだ」──去る4月23日、大阪・京セラドーム、約4万人のオーディエンスの前に立ったエド・シーランを見て、そう思った。というのも、ギター一本の弾き語りながらループ・ペダルによって即興的に音を重ね、演者一人とは思えない多彩な音楽空間を作り上げていくというシーランの演奏スタイルは、20年近くも前に豊田がライブでやっていたことだからだ。もっとも、あの日の会場でそんなことを考えていたのは私1人だけだろう。豊田の名を知る者さえ、下手したら10人もいなかったのではないか。それだけマイナーなミュージシャンである。

 豊田道倫、またの名をパラダイス・ガラージ(略してパラガ)は1995年、アルバム『ROCK'N'ROLL 1500』でデビューした。そこにはロック、フォーク、ポップス、ガレージ、ラップ、ノイズ、アヴァンギャルド……といった多種多様な音楽スタイルが詰め込まれ、豊田の不遜でダウナーな歌声とあいまって比類なき生々しいカオスが生成されていた。

 続くセカンド・アルバム『奇跡の夜遊び』になると、今度は全編アコーティック弾き語り。青年期の孤独と鬱屈と愛欲をひたすら掘り下げていくその音楽は、深度においてはニール・ヤングの『Harvest』やRCサクセションの『シングル・マン』をも凌ぐ。

 この始まりの2枚によって類いまれな才能の広さと深さを知らしめた豊田は、2000年リリースの『愛情』まで8枚のアルバムをリリースするが、驚くべきことにその全てが名盤だ。デタラメなようで実は膨大な音楽知識に裏打ちされた奔放自在なサウンド・スタイルと、いっけん私小説的な生々しい日常描写をシュールにずらす唯一無二の歌詞世界は天才的と言うしかない。

 ところが、これもまた驚くべきことに、どれもこれもまるで売れなかった。一度はメジャー・デビューもしたがすぐに契約は終わり、とうぜん金もないのでインディーでのレコード制作もままならなくなる。当時、豊田は新宿にあるシアターPOOというオンボロの狭い店で毎月のようにライブをやっていた。ギター&ループ・ペダルのシーラン・スタイルだったのはその頃だ。30~40人しかいない客の前で、〈何も出来ないのか 何もやれないのか〉〈オレはまだ負けている オレはひとり吠えている〉〈そう 負け犬の遠吠え〉と絞り出すように歌う「DOG DREAM」という曲を何度も聴いた。

 あの時の豊田と同じ演奏スタイルでありながら、京セラドームのエド・シーランは4万人の拍手と歓声を浴び、世界的スーパー・スターとしての輝きを放っていた。どうしてシーランのほうは、かくも圧倒的なポップ・シーンの勝者となったのか? その要因は、ライブのオープニングに演奏され、満場を一気にヒート・アップさせたロック・ナンバー「Castle On The Hill」を引き合いに語ることが出来る。

 この曲は、シーランが傾倒しているブルース・スプリングスティーンの名曲「The River」から影響を受けているらしい。確かに、故郷での青春を回顧する歌という意味では同じだ。とはいえ、この二曲は曲調も歌詞も正反対である。「Castle On The Hill」は甘酸っぱい望郷の念に溢れた、ノリのいいポジティヴな帰省ソングだが、「The River」はうだつの上がらない人生を送りながら、故郷での瑞々しい青春の思い出を呪いのように感じ、苦悩している男の歌だ。

 スプリングスティーンには、「The River」とはまた違うアプローチの、「Thunder Road(涙のサンダーロード)」という故郷についての名曲がある。こちらの歌の主人公は、負け犬だらけの故郷を飛び出し、雷鳴とどろく道の果てにある約束の地を目指す。捨て去ろうとしている故郷とは、自由や成功や享楽を渇望する若者を阻む、退屈で腐り切った旧態依然たるもの全ての象徴と言えるだろう。徐々に高揚していきラストに激しく爆発する曲調もあいまって、「反抗の音楽」としてのロックンロールの魅力がここには横溢している。

 「Thunder Road」と「Castle On The Hill」、この二曲もまた「いまいましい故郷を捨てる歌」に「愛しの故郷に帰る歌」と、まるで正反対だ。シーランは大雑把に要約すると、「いいことも悪いこともあった故郷だけど、そこで暮らしたおかげで今の自分がある。懐かしいな。早く着かないかなー」と歌っているわけだが、ここにはスプリングスティーンが「The River」 や「Thunder Road」を歌った時の、故郷への愛憎が入り混じった苦渋の影は微塵も感じられない。

 「反抗の音楽」としてのロックを愛好している向きなどからすると、「Castle On The Hill」は「どこにスプリングスティーンの影響があるのだ?」と言いたくなる、小市民的で人畜無害のヒット・チューンにしか聴こえないかもしれない。だが、これこそがスプリングスティーンに正しく影響された、現代においてもっとも優れたポップ・ミュージツクなのである。

 60年代以降、ロックを含むカウンター・カルチャーは「古く悪しきもの」に反抗し、破壊してきた。「Thunder Road」の歌詞にもあるように全ての決まりごとは破られ、社会はどんどん自由になり、今やどれだけ偉い人を死ねと罵倒しても、馬鹿扱いしても何の問題もない。だが、それがいい社会なのか。我々は「古く悪しきもの」だけではなく、「古く良きもの」も破壊してしまったのではないか。「新しく良きもの」だけでなく「新しく悪しきもの」も生み出してしまったのではないか。そう感じている人は少なくないだろう。

 丘の上にたたずむ懐かしの古城を思い出しながら、タトゥーだらけの今どきの歌うたいが「古く良きもの」の大切さを感じている。シーランにおいて故郷とは、決して「古く悪しきもの」の象徴というだけには留まらない。

 フォークとヒップホップを音楽性の原点とするエド・シーランは、その溢れる才能によって「古く良きもの」と「新しく良きもの」だけを抽出、融合し、21世紀という時代に相応しいロールモデルを、或いはモラルを再建しようとしているように見える。スプリングスティーンのような「反抗の音楽」を参照しつつ更新された「再建の音楽」。それは現在、世界中の多くの人々が、意識無意識を問わず強く欲しているものであり、だからこそシーランが圧倒的勝者になったのは必然なのだ。

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