石井恵梨子の「ライブを見る、読む、考える」 第10回:Drop's

Drop'sが新体制で見せた、吹っ切れた笑顔と強さ 『HELLO, NEW SEASON』レポート

 

 もう革ジャンも着ていないメンバー。「古典的ロックンロール」の武装がない代わりに、「今を楽しむ!」というストレートな笑顔が印象的だ。そして楽しいだけでなくずいぶんと頼もしい。いち早く理解を示してくれたファンに「見守られている」だけでは物足りない。思い切り爆音をぶつけて、自らファンを引っ張っていくのだ、というくらいの気概が感じられる。強い。

 だからこそ客のテンションも右肩上がりだ。3曲目「アイスクリーム・シアター」で自然発生する大合唱。フロアは全力で拳を上げる者、無我夢中で叫んでいる者ばかり。こういう光景をDrop’sのライブで見たのは初めてかもしれない。だが、本来はこれがロックバンドだ。大人たちに「わかってる」と言われてどうする。むしろ「大人になんかわかってたまるか」くらいの負けん気で、自分たちだけの特別な空間を作り上げていかなくちゃ。古いルーツを知っているとか、声質がそもそもブルージーとか、知識や素質の問題はさておいて、ただ気持ちの部分でこの日の彼女たちはロックバンドをやっていた。ものすごく楽しそうに。

 おそらく、今彼女たちが鳴らしたいのは「哀しみ」ではないだろう。もっとポジティブで、大胆で、思い切りのよいバンドサウンド。つまりは頭をカラッポにしてくれるロックンロールだ。1960年代も2010年代も関係なく、ドラムス/ベース/ギター/キーボードを「せーの!」で鳴らせば成立するもの。BPMがいくつと数値化せずとも、楽器が合わさるだけで自然に生まれるグルーヴというもの。それさえあればDrop’sを続けられる。言い換えれば、Drop’sを続けるためにはそれしかいらない。そういうシンプルな吹っ切れ方が潔かったし、揺れる心模様を歌うバラードがほとんどなかったのも正解だと思う。パーソナルな心象風景は今後いくらでも歌にできるが、今見せるべきは、ロックバンドのバンドらしい姿、現在のメンバーの生き生きした笑顔であるべきだ。

 また、この日初めてお披露目された新ドラマー、石川ミナ子との相性が最初から抜群であることも驚きだった。奥山の脱退から彼女の加入までは驚くほどスピーディーだったが、試運転の要素は感じない。鋭いスネアで曲を引っ張っていくし、かといって主張しすぎることもない。何より、フロントの中野が歌いやすそうなのが最高だ。ボーカルがドラムにストレスを感じるとバンドは成立しないとはよく聞く話だが、中野がいつになく楽しそうにのびのびと歌う姿は、このバンドの前向きな未来につながっていると思えたのだ。

 

 ライブハウス・シーンを見渡せば、今は若い女性バンドが特に元気だ。音楽性や方向性を一緒くたにはできないが、赤い公園、SHISHAMO、ねごと、SCANDALやSilent Sirenなどが、それぞれ同性のリスナーたちから支持され、10代から「私もバンドやってみたい!」と憧れられる存在になっている。もちろんDrop’sのライブにも、そういう若い子たちはチラホラと見受けられる。まだ10代とおぼしき彼女たちの切実な眼差し。そこに宿る感情がよくわかる。「こんなふうにタフに歌えたら」。「これくらい強烈なギターを弾いてみたい」。「ロックバンドって、すごいかも!」。それだけで十分だ。

 デビューした頃から、「若いのに、わかってるねぇ」という声はたっぶり集まってきた。そこに甘んじる時期は過ぎた。今のDrop’sが求めているのは、時代とか流行とか空気とかも気にすることなく「遠慮なく好きなことやる人たちがいるって、格好いい!」という声だろう。バンドは今、そういう段階に歩を進めている。

 

(写真=たたみ)

■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。

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