『東京レコ屋ヒストリー』出版記念インタビュー

「東京のレコード屋」は20年でどう変わったか? 若杉実と片寄明人が語り合う

「90年代は“レコード屋バブル”ではなく“音楽バブル”だった」(若杉)

――若い方でも大型CDショップに通う人たちは一定数いるので、そこに憧れてというのはあるでしょうね。実際に僕自身もそうでしたから。本の中では、そんな外資系CDショップが乗り込んでくるタイミングやレコード文化の衰退など、各店舗の話以外にも業界全体を観測した言及も多いです。実際にカセットやレコードからCDへと移り変わったときのことを改めて聞かせてください。

片寄:いまのCDから配信へ変わっていく寂しさみたいなものは全然なくって、単純に、すごいいいメディアが出てきたなという印象でしたね。キズも気にしなくて良いし、ノイズがなくて凄いなって思いましたよ。でも、のちに「レコードであれだけ感動したものが、なんでCDで感動しないんだろう問題」みたいな自分の感覚もあって、最終的には「レコードのほうが好きだ」という結論に至り、自分はアナログ回帰してしまいましたが(笑)。若杉さんは悲壮感を味わいましたか?

若杉:いや、それをいったら僕はもっとないです(笑)。変わらずアナログで、CDは眼中になかった。 それより、執筆してて分かったんですが、SPからLPになったときの衝撃のほうが大きかったと思いますよ。それまでは尻切れトンボみたいに途中で終わってしまったクラシックが、LPになったおかげで、ほぼオリジナル通りに長く聴けるようになった。音質という次元じゃなく、未完成だったものがほぼ完全なかたちになったわけですから、それは大きな衝撃だったわけで。

片寄:それと同じようなことはCDでもありましたよ。僕にはデッドヘッズの親友がいたんですが、彼はグレイトフル・デッドのライブ盤がCDになって裏返す手間で途切れることなく「通して聴けるようになった!」と大興奮していたのを思い出しました。

若杉:でも、面白いですよね。当時はCDが登場して「レコードはもうダメ」という風潮が世間一般にはあったにもかかわらず、宇田川町にレコード屋がたくさんオープンした。それはどういうことなんだろうと考えたんですが、要するに“レコード屋バブル”ではなく“音楽バブル”だったんだなと。いろいろな音楽を貪欲に聴きたいという人がどんどん現れて、マニアックなリスナーだった人が次々とミュージシャンやDJになった。その盛り上がりが市場を活性化させ、CDもレコードも売れるという90年代初頭の動きに繋がったんだと思います。

片寄:たしかに、どのメディアでどういう聴き方をするかというより、沢山聴くことが楽しかったという意味では、音楽に対する好奇心が何より大切で第一でしたね。その後は、ステレオセットにある程度のお金を掛けると、いままで持っていたレコードが何倍も楽しめるということに気が付いて、リスニング環境にも多少お金を投資するようになりましたが、90年代はオーディオなんて買うお金があったら、その分レコード買ってました。ここ数年で若い子がアナログを収集するようになったのは、データと違って物質としての魅力を感じるからなのかな。カセット人気もそのひとつでしょうし。

――あと、若い人が個人商店のようなレコードショップに求めるものは“キュレーター”としての価値じゃないかという考えもあります。メジャータイトルを入荷数の大小に応じて並べるのではなく、信頼できる店主が自身の感覚で買い付けたものを陳列してくれていると、大型ショップでは発見できないものに気付けたりしますから。

片寄:それは良いことですよね。僕もレコード屋さんに教えてもらった音楽はたくさんあります。ビーチ・ボーイズのベスト盤をレジに持っていくと「これはいつでも買える。でも、この『Sunflower』という70年代のアルバムは、今を逃すとなくなっちゃう」と諭されて、言われるがまま買って帰ったりとか(笑)。そうやっておススメされた音楽に多大なる影響を受けましたし、自分にとっても大きい体験でしたね。いまはインターネットでいくらでも試聴ができるけど、とにかく玉石混交だから、実際に人に会っておススメしてもらうというのは重要なのかもしれません。

――偶然性というか、現場に行くことでしか見つけられないものを発掘できるというのは、情報過多な現在だからこそ、丁度いいと感じるのかもしれません。

片寄:今の話を聞いて、90年代は『ラフ・トレード』によく通っていたことも思い出しました。僕はあそこでトータスを教えてもらったんじゃないかな。西新宿の駅バス通りから原宿に移転したあともたびたび通っていたんです。レコード屋は、ネットがない時代にはなかなか知ることができなかった音楽の情報を教えてくれて、それをその場で聴くことができる貴重な場所でしたね。

――本の中で取り上げていたように、地方レコード店や都内から少し離れた郊外のレコード店開拓もまた、新たなレコードとの出会いに繋がっていたんですよね。

若杉:そうです。特にちょっとびっくりしたのは浅草周辺で。個人経営のレコード屋さんが創業当時のままほとんど残っているんですよ。

片寄:知らなかった。レコード屋に通っていた頃も行ったことがないかもしれない。一番有名なお店ってどこなんですか?

若杉:『宮田レコード』さんや『ヨーロー堂』さんでしょうね。後者にはイベントスペースもあって、街の人が集う場所にもなっている。お客さんは土地柄もあって、基本的に高齢の方が多く、カセットやレコードがメインで、CDもうまく再生できなかったり、ましてやダウンロードなんてという方ばかりです。だからこそ、行ってみるとカルチャーショックを受けるようなお店ばかりで新鮮ですよ。

――カセットに関しては、中目黒に専門店『Waltz』がオープンするなど、盛り上がりをみせていますね。

片寄:僕も『Waltz』には行きました。カセットは昔からすごい好きで、僕にはなぜかレコードよりも当時の匂いや感覚が蘇るんです。 “タイムマシン感”がすごくて異常に盛り上がります(笑)。先日久しぶりに実家から当時のテープをいっぱい持ってきたんですけど。それを聴いたとき、レンジは狭いけど、音がよく感じたんですよね。音楽の旨味みたいなものが確実にありました。自分の原体験が、そこにあるからなのかもしれないですけど。もしかしたら今の若い子は、20年後くらいにMP3を聴いてそう思うのかもしれない(笑)。こういう貴重な店がオープンしている事は嬉しいものの、やっぱり閉店してしまうお店も少なくないんでしょうね。若杉さん、レコード屋さんはなくなってしまうんですかね?

若杉:正直、傾向としてはなくなる方向へ向かっていますが、残る店は残るというところでしょうね。

――先ほど挙げた、ネット通販を活用している『芽瑠璃堂』などがその残るであろう店舗にあたるのでしょうか。

若杉:実店舗はもうなくなっているから、すでに“残った店”とは言えないんですけど、早い段階でオンラインの可能性に気づかれたという点では成功している店ですよね。ただ、さっきも話しましたが、オンラインをやっていればいいかという問題でもない。あえてやらないという『オレンジストリート』もこの先営業はつづくだろうし、残っていてほしい。いや、どこだろうと、取材した店はみんなそうであってほしいと思ってますよ。

――近年は『レコード・ストア・デイ』などの盛り上がりもあるわけですが、若杉さんはそれらの出来事について、著書内ではやや引いた立ち位置で記していますよね。

若杉:なんというか、大切なものって変に特別なものになってほしくないんですよね。例えば空気って、当たり前のように存在しますけど、人間にとってすごく大切なものじゃないですか。これが将来すごく特別なものになって、量り売りで綺麗な空気が売られるようになったら嫌ですよね(笑)。もちろん、一方で現実にはそうもいかなくなった。当たり前のようにレコード屋が存在してほしかったけど。ただ、執筆する際、自分なりの決まり事みたいなのがあって。「もっと頑張ってください」とエールを送って鼓舞するようなものにしたくなかったし、自然に淘汰されてしまうものであれば、その現実も素直に受け入れる。そういう温度感で接しています。

――でも、その温度感だからこそ、読み手としてはすんなり入ってくるのではないかと考えられます。途中の「文化人とレコード」という雑学的な内容も含め、楽しく読みつつ、音楽について考える契機になってくれたらいいなと感じました。

若杉:その通りですね。“ヒストリー”と謳ってはいても、資料性だけに比重を置いた歴史書にするつもりはなかった。おなじく、“レコ屋”と謳ってはいても、レコード屋の先にあるもの、事実よりも真実というか、そういう大切な本質を見つけるつもりで取り組みましたから。行間からも何かを感じ取っていただければうれしいです。

(取材・文=中村拓海)

■書籍情報
『東京レコ屋ヒストリー』
発売中

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