乙女新党『雨と涙と乙女とたい焼き』リリース特別企画

高橋久美子×日高央×ヤマモトショウが語る、乙女新党の音楽的魅力

「素直に自分の解釈した『シティポップ』をするのが正解なんだと思った」(日高)

日高央

――今回の作家陣って、実はきれいに世代がわかれているんですね。

日高:そうです。20代、30代、40代。

高橋:確かに。ほんまや。

――そうなってくると、今回のシングルの最初のテーマにあった「シティポップ」っていうものをどう捉えるか、それぞれの感覚も違うと思うんですよ。

日高:全然違うでしょうね。

――その辺をどう見てるのかをまずは聞いていこうと思うんですが。まずヤマモトさんはどうでしょう?

ヤマモト:僕の印象としては、僕は80年代をリアルタイムで聴いてるわけではなくて、むしろ2015年のバンドシーンのひとつのムーブメントみたいなものとして感じてましたね。「シティポップ・リバイバル」みたいなものがあるっていう。

日高:Awesome City Clubとか?

ヤマモト:まさにそうです。Awesome City ClubとかShiggy Jr.とか、Yogee New Wavesとか、そういうバンドを見ながらインディーでバンドをやってきたんで。そういう同世代の音楽を聴いて「今のシティポップ」を捉えていた。僕は自分自身の音楽はそういうものだとは思ってなかったんですけど、それを参考に「これが『今のシティポップ』なんだな」と考えたという。

日高:昔のをディグったりは、したんですか?

ヤマモト:僕は今回はあえてしなかったですね。今の解釈でやってみよう、と。

日高:あえて寄らないように。なるほどね。

――高橋さんはどうですか? たぶん世代的には「シティポップ」っていう言葉自体をあんまり通ってない。

高橋:そうなんです。だから、後から逆輸入してきたみたいな感じです。

日高:でもサニーデイ・サービスは聴いてたよね? はっぴいえんども好きだった?

高橋 もちろん聴いてます。好きです。

――でも、90年代当時、サニーデイ・サービスは「シティポップ」とは言われてなかったんですよ。

高橋:そうなんです。だから、聴いてきたという感覚がないんですよね。

――日高さんはどうでしょう? いろんな音楽を幅広く掘ってきた上で、シティポップというものをどう解釈しましたか?

日高:俺はAwesome City Clubとか今の動きも知ってるし、ちょっと強引だけどThe fin.とかHAPPYだってシティポップっぽい要素がちょっとあったりするよね。洋楽を取り入れて、それが混ざってるみたいなことを考えると、根本的にははっぴいえんどぐらいがスタートなんじゃないかな? 難しいとこだけど。

――たしかに、さかのぼっていくとそこに行き当たりますよね。

高橋久美子

日高:まあ諸説はあるんだけどね。寺尾聰の「ルビーの指輪」も「シティポップ」っちゃ「シティポップ」だし。

高橋:えー!?

日高:あとみんな意外だろうけど、矢沢永吉さんも「シティポップ」だったんだよね。ソロになった直後くらいかな。「時間よ止まれ」はロックンロールじゃなくてAORだから。バリバリのロックンロールだったキャロルをやめて、ちょっと大人っぽい音楽をやり始めた。

――でも、海外の動きに影響を受けて、それを日本なりに解釈したロックなりポップスを作っていたバンドとして、一番大きな存在ははっぴいえんどですよね。

日高:だから、そういう意味では、そういうところに影響を受けて育った人が俺の中での「シティポップ」なんだよね。実は自分の中で一番イメージが近かったのはCymbalsで。洋楽も好きだけど、はっぴいえんどとかYMOとかも好きで。シティ的な、オシャレな感覚を持ったことをやろうとしてた。

ヤマモト:うんうん。

日高:それのさらに再構築が今のシティポップになってる。実際、ヤマモトくんとかは違うかもだけど、若い世代に「Cymbalsが超好きでした」みたいなやつが意外といるのよ。

ヤマモト:あー、わかります。

日高:沖井(礼二)くん、今の方が人気あるもん(笑)。Cymbalsやってたころは、俺も隣にいて手伝ってたから。「人気ねえな」って2人でぼやきながら。

――ビークルを始める前、日高さんはCymbalsのスタッフをやってたんですよね。

ヤマモト:ええっ? そうなんですか!

日高:そうそう。まあ、LD&Kっていうレーベルの社員だったからね。

高橋:そっか!

日高:あのころは、こっちとしては渋谷系の再構築のつもりで一生懸命おしゃれにやってるのに「全然わかってもらえないね」みたいなことを言ってたのよ。でも、今は「シティポップ」っていう一言で、すーっと通じる。うらやましい。

高橋:渋谷系も「シティポップ」に入るんですか?

日高:入ると思います。バッチリ入ると思います。暴論なのかもしれないけど、90年代の渋谷系って、シティポップの再解釈だと思うんだよね。

ヤマモト:はー、そうか。

――そうですね。海外の同時代的なポップスに刺激を受けて、でも日本人としての感覚も活かして、単なるその物真似にはならない独自の音楽を作る。はっぴいえんどから連なるそういう系譜を「シティポップ」と括ると、80年代の山下達郎さんも、90年代の渋谷系も、今のシティポップの人たちも全く同じ。

日高:構図は一緒なんですよね、確かに。そういう意味ではヤマモトくんと一緒で、あんまり昔の引用をするより、素直に自分の解釈した「シティポップ」をするのが正解なんだと思ったな。3人とも微妙に時代はずれてるんだけど、その解釈はみんな一緒かもしれない。

高橋:そうかもそうかも。

――でも、90年代から00年代にかけては「シティポップ」という言葉が無かったっていうのは興味深いですね。

日高:ハイスタは大きかったのかもね。

高橋:そうかも! 私はもろにAIR JAM世代なんで。高校のときに男子はみんなハイスタをコピーしてたし、えっちゃん(橋本絵莉子)もコピーしてました。その後はモンパチ(MONGOL800)とかも流行りだして。ガガガSPとか、青春パンクとかも全盛期だった。だから、あんなオシャレな音楽はなかったです。

日高:そうなんだよね。ファッションもストリート系だった。オシャレなものが全然受けなかった。みんなハーフパンツ履きたかったからね。

――そうか、90年代と00年代は「シティ」じゃなくて「ストリート」の時代だったんだ。

高橋:そうそう! 日高さんもビークルのときはハーフパンツ履いてましたもんね。

日高:バンバン履いてたよ。ビークルはわざと印象操作をしてたんだよね。どっちかっていえばナードな音楽だったし、ナードなパーソナリティの方が強い人間の集まりだったんだけど、「ハーパン履くことでストリート感が出るなら履こう」みたいに思って、わざわざ買いにいったりして。

高橋:普段は履いてなかったってことですか?

日高:全然履いてなかったよ。

ヤマモト:ははははは!

日高:あと、当時やってたのは、ハイスタにしろ、BRAHMANにしろ、BACK DROP BOMBにしろ、あの頃のパンクバンドって、みんなステージ袖から友達のライブを観てるのよ。だからウチらも、対バンがギターポップっぽいときでも、「あえて袖で友達と立っててくれ」って言って。それでパンクっぽく見せるっていう。

高橋:なるほど(笑)。

日高:ギターポップもパンクも両方好きだし、両方の良いとこをとりたいっていうのがビークルだったんだよね。そう考えると、今のシティポップは全部のおいしいところをちゃんと取ってる感じはするよね。洋楽っぽい洗練もあるし。

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