『私たちが熱狂した 80年代ジャパニーズロック』執筆陣集合

80年代バンドブームとは何だったのか? 評論家3氏が語り合う「日本のロックの思春期」

提供:兵庫氏 兵庫氏が今も大切に保管するレコードコレクションの一部。氏が愛聴していたという人生の『As a Face... [顔として・・・] 』(1988年)が目を引く。

「80年代前半までの日本のロックは、歌謡曲やニューミュージックにかなわなかった」(小野島)

――今回、原稿を書いたり取材をするなかで、さまざまなバンドを振り返る機会があったと思います。あらためて聴くと、80年代のバンドはどうですか?

兵庫:なんだろうなぁ……たぶん、このなかでジャパメタを通っているのは僕だけだと思うんですけど、いま聴き直すとつらいのが多い(笑)。あの、全部が全部とは言わないけれど、日本のロックで、バンドブームとそれ以前で一番違うのって、歌詞だと思うんです。昔のロックって歌詞が稚拙だったと思う。例えばユニコーンだって、ファーストアルバムとか今聴くとびっくりするし(笑)。僕はアースシェイカーを好きだったんですけど、メタルの中では歌詞が普通だからというのも大きかった、悪魔とか出てこないし。その日本のロックの歌詞の問題は、ブルーハーツの登場あたりから変わり始めて、特にフリッパーズ・ギター以降すごく進化していくことになるんだけど。でも、今ふり返って歌詞がいいと思えるのは、RCサクセションとかルースターズ、あとローザ・ルクセンブルグぐらいかなあ。僕はARBとかECHOESも好きだったんですけど、今聴き直して「ほら、やっぱり歌詞いいじゃないか!」とは言えない。その後の日本のロックの歌詞の進化を知っていると。

中込:歌詞で言うと、アンダーグラウンドのシーンでは、とりあえず愛だ恋だと言っていないものが多かったんですよ。それを言い出したら、もう聴かなくていいもの、という感じになっていて。タブーであるとか、暴力的なこと、“こんなことを言っちゃっていいの?”みたいなものを率先して出していくのがカッコいいと思われていたんですよね。バンド名を見ても、マスターベーションとか、“電車とかでそんな名前出せないよ!”というものが多くて(笑)。でもそういうのがカッコよかった。病気の名前も多かったですよね。

小野島:ぶっちゃけいうと、日本のロックってすごく進化していますよ。

兵庫:そう思います。

小野島:実際のところ、70年代や80年代の日本のロックで“これが名曲だ”というものを挙げてみろと言われたら、本当に数えるくらいしかないもん。同時代の歌謡曲やニューミュージックの方が、音楽的な好みは別としても、楽曲のレベルは総体としてかなり高い。バンドブーム以降に日本のロック・ミュージックがメインストリームになることで、量だけでなく質的にも急速に成長して、そのなかで音楽的な技術や楽曲作り、サウンドメイキングのスキルもぜんぶ洗練されていった。電気グルーヴやフリッパーズ・ギター、ブランキー・ジェット・シティなどが果たした役割は大きいと思いますよ。あそこで日本のロックのレベルが格段に上がった。

中込:確かに音質等は、当時のものを今聴くとけっこうキツいものがある。

兵庫:あと演奏力も。

小野島:だからわれわれは、ライブハウスに行っていた当時の記憶で補いながら聴くんですよ。現場の雰囲気の中では面白く、楽しかった。でも、あとになって冷静に聴いてみると、しょぼく感じてしまうものも多い。基本的に80年代前半までの日本のロックは、歌謡曲やニューミュージックにかなわなかったというのが実態だと思います。ロックに分類するかは別として、本当にサザンくらいだった。だから、バンドブームは本当に大きかったと思います。数年前、日本の名曲ベスト30を選んでくれ、みたいなことを言われたことがあるんだけれど、80年代のロックはやっぱりほとんど入ってこなかった。

――バンドブームで、ジャパニーズロックに質的な変化が起こったと。

兵庫:確かにいま言われて思ったけど、90年代や00年代で「日本のロックの名曲を10曲選べ」って言われるとすごく困るけど、80年代ならわりとあっさり選べそうな気がする。

小野島:ただ強調しておきたいのは、それがあっての今だからね。

中込:この時代への愛着はすごくありますしね。あ、ギリギリ80年代だけど、16TONSは今聴いてもカッコいいですよ。日本初のアイリッシュパンクというか。

――中込さんは、ハイスタンダードなどに関しても重要な仕事をされています。90年代以降のパンクシーンの盛り上がりについてはどう見ていますか。

中込:やっぱり80年代があってこそですよ。分かりやすく説明できるのは、TOSHI-LOWくん(BRAHMAN)とかかな。『宝島』を端から端まで読んでいたそうで、いまでもKENZIのレコードを全部持っていて、実家に飾ってあるんだって。LOW IQ 01にしても、eastern youthにしてもbloodthirsty butchersにしても、先輩たちの失敗を観ているんですよ。90年代アタマまでにライブハウスが空洞化して人がいなくなっちゃって、お金が入らなくなって、そこでゼロからやってきたわけだから、“それでも好きなんだ”といえる人しか残っていない。80年代からの流れを受け継いだ、ある意味では“選ばれた人”だけが、90年代初めに世に出てきたという感じです。

兵庫:ちなみに、おふたりはブルーハーツの大爆発はどう見ていたんですか?

中込:あれは本当に社会現象だった。あっという間だったもん。

兵庫:この本でブルーハーツのマネージャーだった谷川千央さんにインタビューしているんですけど、ブルハって最初は賛否両論だったんですね。特にライブハウス界隈では、肯定6割否定4割くらいだったって聞きました。

中込:とにかくファン層が狂信的だったの。例えば、ラジカセを持って歩いて、全然違う客層のライブハウスに一人で行って、大音量でブルハかけて踊っている子がいたり。

小野島:布教活動だね(笑)。

中込:ちょっと怖かったし、逆効果じゃないかとも思ったんだけど、結果的に人が人を巻き込んで広がっていって。

小野島:ザ・コレクターズの加藤(ひさし)さんが、ブルーハーツにベースで誘われたって話がありましたね。インタビューで“売れるのは分かっていたんだけど、ブルーハーツに入ったら自分の音楽ができなくなるから断った”って言ってた。だから、結成した当初から、売れる予感はあったみたいですね。

兵庫:加藤さんが見てわかるくらい、ブルーハーツには特別なものがあったということですね。ヒロトとマーシーはバンドのコンセプトをかなり話し合って詰めていたというし……ふたりとも、ザ・コーツとブレイカーズでうまくいかなくて、次こそは!というのがあっただろうし。

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