『メロディがひらめくとき アーティスト16人に訊く作曲に必要なこと』発売記念対談

沖井礼二と黒田隆憲が語る“ポップスの暴力性”とは?「気持ちいいところは過剰にした方がいい」

「ロックというタガが外れた世代がどう音楽を育ててくれるのか楽しみ」(沖井)

――“ポップスゆえの暴力性”は、アニソンやアイドルソング、声優さんの楽曲などに顕著な部分もあると思うんです。それが特化していった先にボーカロイド楽曲があるのかもしれませんね。

黒田:そこまで来ると、歌ものよりも器楽というか、インストに近いもの――歌として再現不可能なものになってきますよね。ナチュラルな気持ちよさと違う部分として、もとからあったものと違う快楽のスイッチを一つ作られて、それをずっと往復させられている感じというか。

沖井:人間って機械に人間の真似させるのが好きなんですよね。ボコーダーもボーカロイドも、Siriもオートチューンもそうだし、遡ればYMOやクラフトワークもそう。僕だって、リズムボックスが無機質に「タン、ト、ト、タン」と鳴って、有機物のまねごとをしているというだけで、なぜか泣けてくる。でも、人間の声でポップスを歌えるようになったのなんてここ100年くらいの話なわけで、器楽がメインだったことを考えれば、ポップスは正統進化しているのではないかと感じるわけです。

黒田:完全な違和感じゃなくて、「人間とちょっとだけ違う」みたいなところが逆にグロテスクで、不気味さの中に強烈な魅力を感じるのかもしれないですね。不協和音やノイズに惹かれるのと同じ感覚というか。

沖井:それは人間の快感原則にものすごく忠実だと思いますよ。コードで言うと♭5<フラットフィフス>みたいに、全然共鳴していなくて気持ち悪いけど、そこがかっこよかったりするような。ロックというのは非常にフィジカルな音楽だったから、そこになじんできた人たちには抵抗があるのかもしれないけれども、たかだか60年しかない歴史の音楽であって、それとは別軸で新しいものが出来ていることは健全ですね。ロックというタガが外れた世代がどう音楽を育ててくれるのか楽しみです。

黒田:沖井さんがそうやってオープンでいられるのは、やはり清浦さんと一緒にやっていることが大きいですか?

沖井:そうかもしれないですね。自分が20代だった頃、当時40代のミュージシャンに対して「あの人全然わかっていない」みたいに思っていたし、今から考えると、その思考が絶対正しいんですよ。刺激にどん欲だし敏感なのはやっぱり若い人たちで、ポップスというのはその人たちのためにあるものだから。そこへ我々が「それ違うだろう」と言って、何だそれといって眉をひそめるのというのは、それこそ我々20代のころに一番ウザいと思っていた大人そのものだったりするから、そうはなりたくないなという。

――そんな沖井さんが、この本を今から読む人たちに一言伝えるとしたら、何を言うのか気になります。

沖井:こういうものを読む人たちは、どこかで自分も曲を作りたいとか、もしくは作っている人が多いと思うのですが、誰でも一生に一曲は素晴らしい曲を作れると考えているので、どれか一つ自分に合う作り方を見つけて、好きなように音楽を作って欲しいですね。

黒田:音楽を作ることって、そんなに特別なことじゃないし、天才がやるべきことだとも全然思わなくて。みんなが音楽を作って、自分の物語に置き換えたりしたら、生きやすくなることもあるし、少なからず自分の人生に作用するものも出てくると思います。

沖井:せっかくパソコンがこれだけ便利になっているわけだからね。鼻歌が歌えて、口笛が吹ければ誰だって作曲はできるし、いまはそれをコンピューターがサポートしてくれる。タクシーの運転手さんにも、大工さんにも素晴らしい曲を産み出してもらって、人口分の良い曲を世に送り出してもらいたいですね(笑)。

(取材・文・写真=中村拓海)

■リリース情報
『メロディがひらめくとき アーティスト16人に訊く作曲に必要なこと』
発売中
価格:1,944円(税込)

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