乃木坂46、活動初期の裏事情を明かす 西野七瀬「心がそんなに強くなかったから辛くて……」

 『乃木坂って、どこ?』(テレビ東京)の1月5日分にて、乃木坂46のメンバーによる企画「乃木坂46オモテ年表・ウラ年表(前編)」が放送された。

 同企画は、1stアルバム『透明な色』の発売を記念し、3年間の歴史を年表形式で振り返るもの。そのなかでグループとしての変動である“オモテ年表”と、メンバー内で起こっていた出来事である“ウラ年表”を明かしていった。

 まずは2011年8月の結成時を振り返り、同番組の放送が始まった10月には、高山一実がウラ年表で「キャラ迷走」と暴露。高山は初回の自己紹介にて「当時は山口百恵さんみたいなアイドルになりたいと言ってしまった」と明かすと、バナナマン・設楽統から「今は全然違うじゃん」と指摘を受けた。また、若月佑美もこの回で「ロリ声が得意と言っていたし、ニックネームを“みうみう”にして可愛い路線で行こうと思っていた」と、今の男前キャラとはまったく違う方向づけをしていたことを明かした。

 続いて、同年12月のウラ年表では、生田絵梨花が料理企画で起こした「IH事件」が取り上げられた。生田は当時、出し巻き玉子をIH調理器で作る際にフライパンも使わずに直接IHの上に投下した映像を振り返り「ひどすぎて、お母さんから『これ、台本があるの?』って聞かれた」と当時の衝撃的なエピソードを明かした。これに対し、井上小百合が「自分の作った料理は生駒(里奈)ちゃんに100点と言われたのに、放送ではカットされて『テレビって怖え~』って思った」と悔しい体験を語った。

 2012年2月には1stシングル『ぐるぐるカーテン』をリリースした乃木坂46。この頃に地方組が続々と上京した。西野七瀬は「土日だけレッスン出るために新幹線とか夜行バスに乗ってた」とデビュー前の環境を語ると、川後陽菜は「上京して、東京の生活に慣れるまでは、学校の校門にまいまい(深川麻衣)がついてきてくれていた」と、深川がメンバーから“聖母”と呼ばれる理由を語った。同年3月の『おいでシャンプー』選抜発表について、中田花奈は「『おいでシャンプー』の時期にフロントメンバーでテレビに沢山出させて頂いてて、この頃がピークでした」と自虐的に語った。続けて川後は「4枚目(『制服のマネキン』)くらいまでは常にヒマだった。握手会で人が来なくて、ずっと歌を歌ってたし、隣のレーンに並んでいる人も手は振ってくれるけどこっちには来なかった」と、大変だった時期の悩みを明かした。

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