栗原裕一郎の音楽本レビュー 第6回:『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』
軍歌は国をあげてのエンタメだった!? 新たな史観を提示する新書『日本の軍歌』を読む
逆に、日本の軍歌が他国へ流出して根付いた例も紹介されている。日清・日露戦争後、日本の軍歌は、植民地となった朝鮮ほか東アジアに広まっていった。北朝鮮では現在も、当時伝わった「日本海軍」の替え歌が、金日成の作詞作曲した不朽の古典的名作として残っているという。
「北朝鮮だけではなく、韓国や中国にも、同じような替え歌が少なくない。日本発の音楽が、ここまで影響力を持ったことはかつてなかっただろう」
「軍歌は民族精神の結晶などではなく、グローバルな規模で流通し消費される創作物だった」
日本帝国時代、東アジアには日本の流行歌が流布していったが、軍歌もまた同様の、あるいはそれ以上の流行歌だったということだろう。
軍歌を「エンタメ」として解放する
「政治的エンタメビジネスとしての軍歌」「グローバル音楽としての軍歌」、この二つの視点を軸にして、1885年の日本初の軍歌である「軍歌」の誕生から、日清・日露戦争時の第一次軍歌ブーム、大衆文化が盛んになり下火になった昭和初年前後、日中戦争から第二次世界大戦へと差し掛かるとき再び一大エンターテインメントに返り咲いた第二次軍歌ブーム、そして終戦を前についに命脈を終える栄枯盛衰の歴史を、楽曲それぞれや時勢に付随したエピソードをふんだんに盛り込みながら描き出したのが本書ということになる。
詳述される歴史的事実を見ている分には、一風変わってはいるものの、軍歌の通史を概説した新書だし、そういう理解でも別に構わないといえばいえるのだが、それに留まることを拒むようなメッセージが全編を通じて強調されている点に特徴がある。
著者は、いま軍歌を取り上げる意義についてこう述べる。
「今日もし「軍歌」なるものを取り上げることに意味があるとすれば、それは現代社会の問題と接続することでしかあり得ないのではないか」
「「エンタメ」と捉え直すことで、軍歌は床屋政談や音楽史研究の一隅から解放され、眼前の「政治とエンタメ」の関係を考える上で豊かな先例となってくれるだろう」
つまり、アニメや漫画などと同列の趣味に並べてしまうことで、軍歌にまつわる政治性を解体し、イデオロギー争いの具であることから引きずり下ろすこと。あるいは、先の幼稚園のような今日の政治的エンタメ利用に対し、歴史を踏まえた適切なリテラシーを備えることが、軍歌の歴史を描く理由として前面に出されているわけだ。
たとえば仮に、あくまで仮にだが、右傾化が憂慮される安倍政権が、AKB48やEXILEを使って新しい「軍歌」を歌わせたとき、われわれはどう対峙すればいいかというようなことである。