矢野利裕のジャニーズ批評

Sexy Zoneにマリウス&松島は必要だーー新体制を「間違っている」と考える理由

 このようなジャニーズの歴史性を踏まえたとき、一般的な知名度こそないものの重要なグループとして、75年にデビューしたJJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)が挙げられる。というのも、バラを着けた衣装とともに「ベルサイユのばら」という曲でデビューしたJJSは、宝塚のイメージを一身に背負っていた。しかし、残念ながらJJSは3年ほどで解散してしまった。

 Sexy Zoneは、そんなJJSの再来だと言える。ジャニーズの根幹である宝塚のイメージは、時を経て、バラを片手に王子様のような衣装で登場したSexy Zoneに引き継がれた。5人は、宝塚的な派手さを見事にパフォーマンスに昇華していた。宝塚との関係という点でキーマンとなるのは、もちろんマリウスである。マリウスは宝塚に所属していた母親に憧れたものの、男性ということでジャニーズに入ったという経緯を持っており、言わばジャニーズと宝塚を接続する人物である。ジャニーズの出自と歴史を考えたとき、このようなメンバーを擁し、宝塚的な派手なステージングにも耐えうるSexy Zoneは、非常に意義深い存在なのである。Sexy Zoneの歴史的な位置づけを思い出すべきだ。

 Sexy Zoneのコンサートを観たことがあるが、年下組のマリウス、松島に比べると、たしかに佐藤、中島、菊池の3人は頼もしかった印象がある。今回の新体制は、その年上組3人がSexy Zoneの中心なのだという判断だろう。しかし、その判断は表層的だ。一方でコンサートでは、3人の頼もしさは、マリウスと松島によって引き立てられていたものだとも思った。Sexy Zoneの中心点は、けっして年上組の側のみにあるのではない。年下組もまた、中心である。Sexy Zoneはふたつの中心からなる楕円なのだ。年下組の切り離しは、この楕円構造を無視している。ましてやマリウスの切り離しは、ジャニーズの歴史性そのものを切断することを意味している。致命的だ。

 あらためて言うが、Sexy Zoneのメンバー流動化は、絶対的に間違っている。この新体制が、筆者の見解を裏切るものであることを祈る。

■矢野利裕(やの・としひろ)
批評、ライター、DJ、イラスト。共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)などがある。

関連記事