初の評伝『ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍』インタビュー(後編)

「俺の根本にあるのは『歌をうたいたい』ということ」SFU中川敬が自身の表現原理を語る

『シャローム・サラーム』や『ロロサエ・モナムール』をリリースした頃のソウル・フラワー・ユニオン。

「満月の夕」は一曲あればいい

――まあストーンズがツアーやるなら「サティスファクション」はやらなあかんしね。

中川:「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」もやらなあかん。そのライヴが一生に一度っていう人もいるかもしれない。まあ、その時、結局「満月の夕」はやったけどね。

――それだけ「求められる」曲であっても、メディアの助けがあったわけじゃなく、草の根的に曲の力だけで浸透していったのが素晴らしいですね。

中川:うん。10年ぐらい前にガガガSPがパンク・ヴァージョンでカヴァーしてて。はじめは、この曲がなんでこうなんねん!と思ったけど(笑)、でもそれでいい。曲がひとり歩きして、それぞれがそれぞれの愛し方をしてくれて、成長を続けてる。嬉しかったよ。

――ある音楽家がね、10年後20年後に、自分の名前や存在は忘れられても、曲が残ってくれれば本望だ、みたいなことを言ってたけど、気持ちわかりますか。

中川:ああ、すごいわかる。曲を生み出すって、それなりにしんどい作業でもあるしね。自分と向き合わなあかんから。子供生んだ感じに近いよね。自分で生んだことないからわからんけど(笑)。

――そうして「満月の夕」が評価され、愛され、浸透していくことで、曲の作り方や音楽への向き合い方が変わったところはありますか。

中川:うーん……そういうことはあまり考えないけどね。ただ……しょうもない話をすると、似たような曲を作らんようにしようというのはあったかもね。「満月の夕」は一曲あればいい。3.11の時もね、いろんな奴らがツイッターで“コラ、中川、原発の情報ばかり流さず、「満月の夕」みたいな名曲を書け!”みたいなメンションを送ってくる(笑)。“そんなもん簡単に書けるかアホ、お前が書けボケ、「満月の夕」は一曲でええんじゃ!”みたいな(笑)。で、自分でそう書いたあとに「ほんまにそうやな~」って思った(笑)。俺の中で、同じような曲調の曲は書きたくないっていうようなことだけじゃなくて、「満月の夕」みたいな曲はもう書きたくないなという気持ちが、どこかにある。

――というと?

中川:パワフルな曲やし、前向きな曲であることも揺るぎないけど、俺にとってはちょっと悲しい曲でもある。いろんなことを思い出す。……歌う時も、結構パワーがいる曲なんよね。

――じゃあけっこう個人的な曲なんだ。

中川:ちょっと、いろんな顔が思い浮かぶ曲っていうかね。

――たとえばね、震災とか原発とか、そういう悲しくて辛い現実を音楽に反映させたくないってタイプの音楽家もいますよね。そういう人たちの気持ちはわかりますか。

中川:ああ、わかるよ。俺も、単なるミュージシャンとしてやっている部分の方が、自分の太い幹であって。石田さんの書いてるような要素も大きいけど、俺はもっとグダグダフラフラ生きてる(笑)。単なるいちミュージシャンの部分が当然太くあるわけであって。できればロックンロールだけやって、あとは阪神タイガースの応援やったり、おねえちゃんの尻追っかけたりしてるだけで生きていけたらええなあとか思うけども……まあ、自分は自分でしかないから、こうなっちゃうわけやね(笑)、性分として。

−−一言言わずにはいられない

中川:また喋ってるわ俺、みたいな(笑)。でも俺の根本にあるのは「歌をうたいたい」ということやね。子供の頃から歌をうたうのが好きで。次にあるのが詩を紡ぎ出すということ。それがメロディやアレンジとの兼ね合いでいい作品になれば何より嬉しい。歌う内容はなんであれ、出来上がった作品のレベルが高ければ満足出来る。結局はそこを目指してる。全アルバムを聞き返してもらえればわかると思うけど、俺の曲は、そんなにポリティカルでもない。人生は抵抗である、カウンターである、という意味においては、プロテスト・ソングかもしれないけど。

−−うん。行動や発言が目立つから、ポリティカルなイメージになっちゃうけどね。

中川:ニューエストの頃に書いた曲も、震災の頃に書いた曲も、今書いてる曲も、本質的には何も変わってない。自分がその時にいた場所で書いたものにすぎない。例えばファンから“反原発の曲を書いて~”とか言われるけど、自分の中からわき上がってこない限り、書かない。たとえば清志郎さんの「サマータイムブルース」とか、意訳カヴァーやけど、よくできてるなーと思うよ。3.11以降、改めて清志郎さんのすごさを感じたりもするけど、俺は俺のやり方でやる。清志郎さんみたいには書けない。

――なんかことがあると、それなりの発言や行動を期待されちゃうところもあるんじゃないですか。

中川:逆違う? お前もう喋るな!みたいな(笑)。まあ、自分は自分でしかないということ。2012年に出したソロ・アルバム『銀河のほとり、路上の花』の曲を書いてた時期が、偶然、毎週のように関西電力本店前に抗議に行ってる時期で、曲を書こうとすると頭に浮かぶのがデモとか抗議の場面ばっかりやねん。困ったもんやなと思ったけど(笑)、でもこれが今の俺やからええわ、って。結局、複数曲にそういった光景が入った。でも、そうやって俺はずっと曲を書いてきたんや。

東日本大震災以降、中川敬は積極的にメッセージも発信している。

――なるほど。

中川:仮に俺が超メジャーで、左うちわで暮らしてて、現場に出向かないタイプのミュージシャンやったら、ぜんぜん違う曲を書いてたやろうね。だから自分の居場所次第やないかな。次のソウル・フラワー・ユニオンのアルバムはバカ売れする予定やから(笑)、そうなったらええかげん暮らしを変えなあかん。そうなったらまた違うタイプの曲を書けるんやないかと思って期待してるんやけどね(笑)。

――そうやって生活や表現が変わったとして、自分らしくいるために何を守りたいですか。

中川:自決。自分で決めるということやね。

――震災でも原発でもヘイト・デモでも、そういう現場、現実の動きにコミットしていきたい気持ちはあるんですか。

中川:うーん、まあ、誰でも一緒やと思うけど、しんどい場所に、そんなにいたいとは思わないよ、ひとりの人間として。悲しい場所や、自分自身を突きつけられる場所に、ずっといたいとは思わない。できればラクなところにいたいね。でも必要とされるんやったら、やっぱりそこには行かなあかんし、ていうか、何よりも、気付いたらそこにいる(笑)。性分。使命感っていうことではないんやけど、ああ今まさに俺の出番やな~みたいな、そういう意識は若い頃よりも出てきたかな。阪神淡路の頃はそんなのなかった。けっこう流し流されながらやってたようなところもあるから。伊丹英子っていう強力な存在がいたりね(笑)。今回の3.11に関しては、ヒデ坊も沖縄に住んでて、被災地に行くかどうかは俺の考え方ひとつにかかってた。まして今回は東北やし(中川は大阪在住)、全員のスケジュールを合わせて行くのは難しい。でも……これは使命じゃないけど、そこで俺が民謡や演歌を歌って、おじいちゃんおばあちゃんが笑ってくれて、終わったあともええ感じで話ができて。もし俺がそういう場を作れるのであれば、これは俺がやるべきことやろうな、と。

――人様のために動く。

中川:みんなで歌をうたって、いい気分になって笑いあえるような場所。……そういう空間が好きなんやろうね。あと、今回は下の世代のミュージシャンたちが物資支援とかでいち早く動いたでしょ。ブラフマンのトシロウとか、スラングのKOとか。彼らの動きを見て、俺の動き方も決まった。やつらには「お富さん」は歌えないやろうから、俺が歌おうやないか……みたいな(笑)。彼らに感謝してるよ。

 カラダはあちこちガタガタだと嘆くが、中川敬は健在だった。ソウル・フラワー・ユニオンの次のアルバムは絶賛制作中。年内にはリリースされる予定だ。
(取材・文=小野島大)

■書籍情報
『ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍』
著者:石田昌隆
版元:河出書房新社
発売:1月28日
価格:¥2,520

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