ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第六回

『Getting Over It with Bennett Foddy』に込められた作者の願いとは 壺おじを通じて“対話”をする私たちとフォディ

『Getting Over It』は対話のためのゲームでもある

 これまで見てきたように、彼は「ゲームを遊ぶひとたち」にも視線を注いできた。

 そんな彼のもうひとつの意図のヒントとなるのが、ゲームのタイトルそのものだ。

 TIGS時代のフォディが名付けの名人として鳴らしていたことを、あなたはおぼえているだろうか? フォディは2019年に、まさに「名前」に関する講演を行った。

2019年のGDCにおけるフォディの講演

 フォディはここで、70年代のATARIのころからゲーム会社がクリエイター個人の名前を抹殺しようとしてきた歴史に触れつつ、ゲーム開発者が作品内のクレジットやトレイラーに名を載せることの重要性を訴えた(*1)。

 「ゲームは人間が作ったものである」という認識の欠如が、いまのゲーム文化を危機に陥れている、と彼は主張する。会社とクリエイターとの関係としてもそうだが、特にクリエイターとプレイヤーが互いに「人」として接することが喫緊なのだ、と。いわゆるゲーマーゲート事件(*2)以降、フォディはプレイヤーと開発者の分断が加速度的に進んだという危惧を抱いていた。

 この状況に歯止めをかけなければならない。作者を個として認識し、対話するようにゲームをする。そうすれば憎しみ合うこともなく、作品についてもより深い理解が可能となる。

 フォディはいう。「わたしはプレイヤーから人間として扱われたい。それは自分自身のためだけではなく、かれらにとっても望ましいことだとおもいます。なぜなら、そうすることで初めて、わたしのゲームを美しくしている事柄のもう半分を見ることができるようになるからです」

 留意しておかねばならないのは、フォディが「プレイヤーは作者の意図を逐一調べ、それを全面的に汲むべきだ」という作家論的な意図主義を掲げているわけではないことだろう。ロラン・バルトが宣言した「作者の死」の影響が色濃く残っていた時代に英文学を学び、自作のポストモダン的傾向を認めるフォディは、ゲームの経験や解釈のコントロールを作者の側で握ることについてむしろ否定的だ

 彼が願うのは、もっと根本的な意味での相互認知――互いに知り合い、存在を認め合うこと、そういったレベルの話だ。

 フォディは「人間化」のため、『Getting Over It』に『with Bennett Foddy』と自らの名を連ねた。

 つまり、『Getting Over It』は対話のためのゲームでもある。

 デイヴィー・レデンの『The Beginner’s Guide』(*3)に影響を受けたナレーションも、その一環だ。ゲームを遊んでもらっているあいだに、ゲームの成り立ちを話す。そうやって、フォディはプレイヤーと“知り合い始める”。そして、ゲームが進むにつれ、より深く踏みこんでいく。この困難なゲームをある程度進められるプレイヤーは、少なくともプレイに値するゲームであるという信頼や共感を寄せてくれているだろうから。

 このとき、フォディの側でもプレイヤーとの対話を感じていた。クリア感謝のメッセージを書いて収録しているときに、彼は自分の心境が以前と変化していることに気づいたという。

 かつての彼は、自分のゲームの哲学や意図を無視して、即物的なおもしろへんてこゲームとして消費するひとびとに内心恨みめいたものを抱いていた。しかし、『Getting Over It』を遊ぶプレイヤーのことを想像しながらナレーションを収録するうちに、フォディは想像上のかれらに親近感をおぼえはじめた。

 そして、フォディはその親近感を究極までに高める方法を探した。それがクリア後の“とある仕掛け”につながった。

 『Getting Over It』をクリアすると、プレイヤーは名前を訊ねられ、チャットルームへと招待される。そこには開発者のフォディと直近でクリアしたプレイヤーたちが待っている。(*4)

最初のクリア者のチャットログ。「子どものころからあなたのゲームを遊んできたよ!」と『QWOP』の思い出を語っている

 リリース当初はだれかがクリアするたびにフォディの電話に通知がいく仕組みになっており、フォディは毎回チャットルームへかけつけ、プレイヤーと交流を持った、という。プレイヤーは『Getting Over It』を通して得た感情をフォディに伝え、フォディはゲームをプレイしてくれたことへの感情ーーもちろん、感謝だーーをプレイヤーに伝える。

 クリアしたプレイヤーのひとりはフォディにこういった。

「最近は、ゲームが山に登っているあいだよりも下に落ちているときのほうが安心できることに気づいたよ」

 フォディは答える。

「ぼくもそうだ」

 彼も人であり、あなたも人である。80年代やFlash時代の不服従的なゲームを愛し、なぜ人は不要なものに依存するのかを研究し、ふたつのゲーム開発コミュニティで仲間たちと交流し、ネットで自分のゲームを遊んで感情を爆発させるひとびとを見てきた彼が、最終的にたどり着いた頂。

 それが『Getting Over It』だった。

 売れるとは考えていなかったという。

 実際、2017年10月にHumbleでリリースされた直後の反響はそれほどでもなかった。しかし、11月に当時のトップYouTuberであったPewDiePieがプレイ実況を投稿すると、他の人気YouTuberたちも飛びついた。そして、12月にSteamとiOSで発売されるころには一般ゲーマーたちにも広く認知されるタイトルとなっていた。瞬間的ながら、Steamのランキングで『PUBG』を抜いてトップに立ちさえもした。『QWOP』のバイラルヒットの再現だ。

 しかし、10年前と異なるのは、実況配信が中国でも話題になったことだろう。実況者の失敗やリアクションにすぐコメントを投げられるbilibiliのシステムは『Getting Over It』と相性が良かった。ゲーム売り上げ推定サイト「Gamalytic」の推計によれば、今日までに『Getting Over It』は300万本〜500万本売れており、そのうち約二割が中国語圏のユーザーだとされている。インディー市場でのグローバルヒットにおける中国の存在感は2010年代後半から急速に強まってきた。『Getting Over It』もその波に乗ったひとつ、ということになるだろうか。

 いまや、『Getting Over It』は世界中でゲーム実況の定番タイトルとして親しまれ、年に何百万人もの人が「ベネット・フォディ」と知り合っている。“壺おじ”をプレイしたことがあるのなら、あなたもそのひとりだ。

 『Getting Over It』は、フォディに初の栄冠をもたらした。

 2018年度のIGFで最高賞「Seumas McNally Grand Prize」「Nuovo Award」「Excellence in Design」の三つの部門にノミネートされ、「Nuovo Award」を獲得した。同部門では2012年の『GIRP』以来、二度目のノミネートにして初の受賞となった。

 このときの「Nuovo Award」ファイナリストのなかには、第5回で紹介した通りNYUの教え子であるカリーナ・ポップもいた。「Excellence in Design」を譲ることになる『Baba is You』のHempuliことアーヴィ・ティカリ、それにGrand Prizeの『Night in the Woods』開発陣のひとりアレック・ホロウカはTIGSフォーラムで馴染みの顔だった。

Nuovo Award受賞時のフォディ(Official GDC - D5X_8219, CC2.0)

 押しも押されもせぬ有名インディー開発者となったフォディは、NYUで教鞭をとりつづけながら、クッジーロの『APE OUT』やランツの『Universal Paperclips』に助力していく。

 その傍らで、彼は『Getting Over It』とはまた別の側面から、ソロ開発者として長年抱えていたドグマの総括を行う。

 2022年の『Zipper』だ。

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