DFM・なるおが配信画面作成ツール『Alive Studio byGMOペパボ』を体験 配信者に寄り添った設計”と遊び心に大興奮

 格闘ゲームの世界で知らぬ者はいないと言っても過言ではないストリーマー・なるお。ゲーセン全盛期の頃に配信活動を始め、そこから配信や格ゲー業界から離れた会社員を経て、2020年頃にふたたび“脱サラストリーマー”として復帰したベテランだ。現在はDetonatioN FocusMeのストリーマー部門の一員として、押しも押されぬ人気配信者として、多くのリスナーからの支持を集めている。

 しかし、なるおは配信者としてはベテランではあるものの「配信に使うツールには疎い」のだとか。普段はシンプルなレイアウトで配信をしており、ちょっとした企画を思いついても「やり方が分からないからなあ」と諦めていた。

 そこで今回は、なるおに配信画面デザインサービス『Alive Studio byGMOペパボ』を体験してもらった。VTuberやストリーマーに向けて開発され、レイアウトはもちろん、時計や投票機能など、さまざまなギミックを簡単に導入できる本ツールの体験を経て「もっと色んなことにチャレンジしてみたい!」という気持ちが一気に盛り上がったようだ。

 本インタビューでは、なるおの配信遍歴を振り返りつつ、なるおが思わず「遊び心がすごすぎる」と驚き&大笑いした『Alive Studio byGMOペパボ』体験の様子をお届けしよう。(編集部)

“横浜最強のリュウ使い”として知られたなるお 配信を始めたきっかけを振り返る

なるお

ーーまずは改めて、なるおさんの配信遍歴を振り返っていきたいと思うのですが、そもそもの配信歴ってどれぐらいですか?

なるお:配信を始めたのは21歳ぐらいのときなんで、14年前ですね。ただ僕、普通に会社員として働いていた時期があって、一回抜けていたんです。だから、実際の歴はそこまでなんですよ……って言っても、配信活動を再開してから5年経つんで、もうトータルで7〜8年ほどやっていますね。

ーー最初に配信を始めたきっかけって、何かあったんですか? 14年前……2011年ごろだと、配信者が増えてはいましたけれど、今ほどではないですよね。

なるお:それでいうと、「よし、配信をやろう」って思い立って始めた感じでは全然なくって。やっぱり当時ってまだまだゲーセン文化だったので、そちらが中心でしたから。きっかけでいうと、総師範KSKさんに誘われたのが始まりですね。

 当時根城にしてた横浜のゲーセンで、僕結構強かったんですよ。ネットの掲示板とかでも名前が挙がるみたいな感じで、わりと名前も知られていて。そこにKSKさんが来て、「良かったら配信、出てよ」と声をかけてくれて。

ーーGODSGARDENのメンバーでやっていた『顔TV!』ですね。当時としてはかなり先進的な取り組みで、ある種伝説の番組みたいな評価もされていますよね。そこから現在のストリーマーとして活動するまではどんな経緯があったのでしょうか?

なるお:今の活動を始めたのは、それこそ5年ぐらい前かな? 23歳ぐらいの時に、奥さんが妊娠したのがきっかけで、社会人として働き始めたんです。その当時のゲーム配信とか実況業界は、まだまだ「嫌儲(※)」が強い時期で、ゲームを配信してお金を稼ぐのが言ってしまえば「悪」みたいに見られている時代でした。僕自身も配信でお金を稼ぐという発想自体がなかったんです。だから、「真面目に働かなきゃ」と考えて。

 そうして格ゲーコミュニティからも少し遠ざかりつつ30歳まで働いていたんですが、気が付いたら「Mildom」(現在はサービス終了)ができていて、月給や時給制で配信者として活動できる時代になっていて。僕自身、やっぱり嫌儲文化の時代の人間だったので、リスナーからお金をもらって生活することに、最初は抵抗があったんですが「会社が事業としてお金を払ってくれるなら、いいな」と感じて。

【※嫌儲(けんもう)。元は「2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)」などにおいて、アフィリエイト収益などの営利目的で「まとめサイト」を運営することに批判的なユーザー/思想を指す言葉として使われた。ここでは、ゲーム配信や実況の収益化に対して批判的な世相を指している】

ーーありましたね、嫌儲文化。どことなく「タブー」な感じというか。それで、配信者としてやってみるか、と改めて一念発起したと。

なるお: はい。これなら生活できそうかなって思ってた時に、いま僕のマネージャーもしてくれている忍野ペペさんに、相談しにいったんですよ。「しばらく配信やっていなかったんですけど、僕もいけますかね?」みたいな感じで(笑)。そうしたらペペさんが「じゃあKSKに話繋ぐよ」と言ってくれて、またKSKさんに……。

ーーそこでもまたKSKさんが登場するんですね(笑)。

なるお:そうなんですよ(笑)。あの人は、その当時も裏でeスポーツ業界をめちゃくちゃ盛り上げていた人なんですよね。

 KSKさんに話を繋いでもらって、久しぶりに一緒にご飯を食べに行って、その時に「いいじゃん、Mildomやりなよ」「配信やればいいじゃん」みたいな感じで背中を押してもらって、それで配信業界に戻ってきたみたいな流れです。

ーーMildomで配信復帰するときは、兼業ではなく専業で?

なるお:そうですね。いけるとこまで行ってみようかな、みたいな感じでした。

ーー30歳って、割と世間的にも「挑戦するならラストチャンス」みたいな風に言われがちですもんね。そこからMildomのサービス終了を経て、現在はTwitchの配信とYouTubeの動画がメインというわけですね。

なるお:そうそう、まさに「ラストチャンスかな」と思って。節目の年齢でもあるし、ここで最後に頑張ってみるか、という気持ちでした。

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