Netflix『ボーイフレンド』が“純愛リアリティショー”に昇華された理由 「攻撃的な意見」が出にくい企画構成が鍵に

リアリティを求めつつも「意地汚い人間らしさ」を排除したくなる、令和的な感情

 そして本作きっての魅力とも言えるのが、参加者となった男性たちのキャスティング力だ。もちろん外見も光るものがあったが、人間力の高い参加者が集まった。どうやら一般的なオーディションで選ばれたのではなく、自身も当事者であるというプロデューサーが個別でも声をかけながら、時間をかけてキャスティングしたという。

 セクシャルマイノリティたちの特徴は一言で語れるものではないが、今回の参加者に関しては思慮深く、若くして人間が出来上がっている男性たちが集まった。好きな人に対しても決して踏み込みすぎない、作品内で交わされる会話も「深イイ」。

 ストレートの恋愛と比べると、気を遣い合わねば立ち行かない場合も多いからこそ、人との距離感が絶妙だったり、他メンバーへの声掛けも適切だ。通常の恋愛リアリティで見どころとされるような「勘違い行動」が取り沙汰されることもなく、メンバーへの好感が集まった。

 作品の配信中だけでなく、配信から時間が経ったあとに元参加者の言動が問題視されることもあるが、それもたいていは制作側から手が離れたのちに、SNSを通じて事が大きくなることが多い。しかし常日頃から他者への配慮が行き届いているメンバーたちは、SNSの運用も適切だった。または、そのリテラシーがある人だからこそ、メンバーたり得たのかもしれない。本編外で過度に盛り上げすぎることもなく、作品内とのキャラクターのギャップも生まなかった。

 いまのSNSは、インフルエンサーが自らを「さらけ出す」ことがよしとされやすい。あえてキラキラさせて見せる、偶像めいた投稿への拒否感がそういった風潮を生んでいる。しかし、本作の参加メンバーはいい意味で、SNS上でも自身のキャラクターを誇張しない。今や誰もが本質的に求めているネット上での自然なスタンスも、参加メンバーがいまも多くのフォロワーたちに愛されている所以だろう。

当事者にとっての意義、当事者でない人にとっての意義

 もちろん本作品に対する同性愛当事者の声も上がっていた。匿名アカウントがほとんどだが、特に若い世代と見られる意見のなかに、多くの視聴者と同じく「励まされた」という意見を見つけた。

 当事者のなかには、ストレートである筆者とは違った見方を持つ人もいたかもしれない。日本のフィクション作品でこのテーマが扱われる時、当事者からは否定的な意見も上がったりする。当事者の人生を過度に誇張して描いたり、間違ったイメージを持たれるきっかけになるからだという。

 しかし『ボーイフレンド』に台本がないことは、紛れもない。ノンフィクションとして描かれた作品が見せた人との関わりの尊さが、当事者の心を浄化する働きがあったのであれば、それこそがいまの日本でこの番組が配信された大きな意義であったとも思う。

 『ボーイフレンド』が見せた同性愛者たちの恋愛がリアルなのかどうか、ストレートである私には分からない。だけど、分からなくてもいい。分からないからこそもっと彼らを理解したくなるし、寄り添いたくなる。

 当事者ではなくとも、参加者のSNSなどをフォローした人は多いだろう。彼らがこの先の活動でなにを発信していくのかは分からないが、彼らの恋愛を「純愛」として終わりにしてほしくはないなとも思う。どんな恋愛にも純情な側面と、つらくおどろおどろしい側面があるものだ。

 リアルな意見を聞くきっかけは少ないかもしれないが、こうして世間に「カミングアウト」してくれた人々の生き様に、ぜひ注目し続けてほしい。そうして、彼らの考えを知ろうとしていくこと。そうすればきっと『ボーイフレンド』は、いまの時代の日本に生まれた意義を真に発揮していくことになるだろう。

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