“合憲”と司法判断された「香川県・ゲーム条例」 判決に覚えた違和感の正体

 8月30日、高松地方裁判所は「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」(以下、「香川県・ゲーム条例」)の是非を巡る裁判において、「条例が憲法に違反するものということはできない」とし、原告の訴えを退ける判決を言い渡した。

 立案・検討から成立・施行まで、なにかと世間を騒がせてきた「香川県・ゲーム条例」の話題。本稿では、“合憲”の判断材料となった2つの指摘に覚えた違和感について考えていく。

“子どもたちがネット・ゲームに依存しない社会”を目指して制定された「香川県・ゲーム条例」

 「香川県・ゲーム条例」とは、2020年4月に全国で初めて香川県で施行されたゲームに関する法令。子ども(18歳未満)のゲーム利用に平日60分・休日90分まで、スマートフォン等の使用に午後9時または10時までの目安を設定し、家庭内でのルールづくりを推奨するとともに、保護者にはそれを子どもが遵守するよう努力義務を課す。違反に罰則規定はないため、個人の行動に対し強制力はない。同県は制定の目的を「ネット・ゲーム依存症対策を総合的かつ計画的に推進し、もって次代を担う子どもたちの健やかな成長と、県民が健全に暮らせる社会の実現に寄与すること」としている。(参考:https://mindfirst.jp/pdf/Internet_game_Laws.pdf

 今回判決が言い渡されたのは2020年9月、当時高松市の高校3年生だった男性と、その母親が「条例は憲法違反」だとし、県を相手取り、160万円の損害賠償を求めた提訴について。裁判では、原告側が「ネット・ゲーム依存症の定義や、ゲームの利用・スマートフォン等の使用に関する時間制限の設定に、科学的根拠があると言えないこと」「条例が(憲法に定められた)自己決定権や幸福追求権といった基本的人権を侵害していること」を主張したものの、「医学的知見が確立したとは言えないまでも、過度のネット・ゲームの使用が社会生活上の支障や弊害を引き起こす可能性は否定できず、条例が立法手段として相当でないとは言えない」「条例が具体的な権利の制約を課すものではなく、憲法に違反するものということはできない」と、訴えが退けられた。原告側に控訴の道が残されてはいるものの、現時点では同条例を巡る議論に一つの前例が生まれた形だ。

「社会生活上の支障や弊害」という言葉が持つ危うさ

 上述のとおり、高松地裁は「ネット・ゲームがもたらすとされている支障や弊害」について否定せず、「そうした可能性があること」を理由に条例が妥当であると説明した。ここで私が疑問を持ったのは、世の中の一般的なスポーツ・レジャーにも当てはまる事柄を根拠に、条例の妥当性が論じられている点についてだ。

 たとえば私はかつてサッカー少年だったが、同競技もまた「社会生活上の支障や弊害」を孕んだスポーツだったと実感している。プロの世界においては、選手が心不全などを発症する例が後を絶たない。直近では、2021年6月にデンマーク代表(当時)のクリスティアン・エンリクセンが、同年10月に元アルゼンチン代表のセルヒオ・アグエロが、さらに同年11月にJリーグ・湘南ベルマーレに所属(当時)のヒューエル・オリベイラが、それぞれ一時的な心停止、胸の痛み、うっ血性心不全により、プレイできない状況へと追い込まれた。このことがきっかけとなり、アグエロ、オリベイラの2人は選手生命を絶たれている。

 一部からは「彼らはトッププレイヤーだから比較対象にならない」という意見も出るかもしれない。しかしながらこれらのケースでは、彼らがトッププレイヤーであったからこそ、一定の因果関係が認められたうえで私たちの耳にニュースとして届くこととなったはずだ。世の中には、その道の専門家であってもつながりを断定できないアマチュアの発症例も存在する可能性がある。

 また、私の少年時代には、ヘディングによる頭・首への衝撃が健康上悪影響だという噂が広まったこともあった。当時はいまほどインターネットが一般化していない時代。真偽が証明されていなかった噂を理由に、両親からサッカーを続けることを止められる経験もした。それから時間が経ち、現在ではその関係性が部分的に認められつつある。「社会生活上の支障や弊害を引き起こす可能性がある」という点では、サッカーもおなじ条件のうえに成り立っているスポーツなのだ。

 「社会生活上の支障や弊害」を孕むスポーツ・レジャーの例はほかにもある。テレビ視聴もそのうちのひとつだ。すでに社会には、「テレビ依存症」や「テレビ中毒」といった言葉も存在する。イギリスの科学誌においては2019年、「日常的に長時間テレビ視聴をおこなう年配の人は認知機能が有意に低下する」との研究結果も発表されている。(参考:https://www.nature.com/articles/s41598-019-39354-4

 なにも私はサッカーやテレビ視聴を否定したいわけではない。同様の性質を持つスポーツ・レジャーがほかにあるにもかかわらず、「ネット・ゲーム」に横たわるであろう危険性だけがピックアップされ、その推測をもとに合憲の判断が下されていることが、ただただ不思議なのである。先のレポートをまとめたイギリスの研究チームによると、テレビゲームやインターネットなどの「双方向の活動」は、認知機能に好影響をもたらす結果も明らかになっているという。「『ネット・ゲーム』が『社会生活上の支障や弊害』を孕む可能性を持つから、『香川県・ゲーム条例』は妥当である」という結論は、あまりにも一面的であるような気がしてならない。

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