ポンコツAIを描く『ロン』と『アイの歌声を聴かせて』が教えてくれる、寛容な社会のつくり方
現在公開されている2つのアニメーション映画『ロン 僕のポンコツ・ボット(以下ロン)』と『アイの歌声を聴かせて(アイ歌)』は共通点の多い作品だ。
両作品とも、AIを搭載したロボットと人間が友情を育む物語であること、そして、そのロボットが「ポンコツ」気味であるという点だ。
ドジなロボットと人間の友情は、これまでも数多くの物語で語られてきた。テクノロジーの発展で、ロボットもAIも現実に私たちの生活に身近なものになりつつある。そうしたものと私たちはどう付き合っていけばいいのか、また、社会はどのように変わっていくのかについて、この2本の映画は鋭い考察を投げかけている。
キーとなるのは、「なぜ両作品ともポンコツなのか」という点だ。それが、これからの社会を考えるために重要な問いかけになっている。
不完全なロボットは人の利他心を引き出す
高度なロボットやAIは、私たちの生活を便利にしてくれる。便利になることは、社会的に「よいこと」だと思われている。生活が便利になればそれだけ豊かな暮らしをおくれるようになると、みんなが考えているからだ。
しかし、現実には格差が存在し、世の中には怒りや絶望が広がり、社会全体が不寛容になっているような気がする。生活はどんどん便利になっているはずなのに。
そんな社会の現状に対して、ユニークなカウンターを試みている人々がいる。
豊橋技術科学大学の情報・知能工学系教授である岡田美智男氏は、「他力本願の弱いロボット」のあり方を研究している。弱いロボットは、「弱みや不完全さを隠さず、適度に弱さを開示する(助けがないと何もできない〈弱いロボット〉が教えてくれた、いま私たちに足りないこと)」そうで、つまりは「ポンコツなロボット」だ。
例えば、以下の動画の「ゴミ箱ロボット」はお掃除ロボットなのだが、自分ではゴミを拾えない。落ちているものを見つけると「もこもこ」しゃべって周囲の人間に物が落ちていることを知らせるだけだ。
子どもの声でしゃべるせいもあるだろうが、このロボットを見ているとなんだか可愛く感じて、ついついゴミ拾いを手伝いたくなってしまう。このように、人の手助けを引き出しながら、目的を達成するロボットを「弱いロボット」と岡田氏は呼んでいる。
岡田氏は、不完全なロボットが子どもたちの優しさや思いやりの感情を引き出した現場を目撃した経験が、こうしたロボットの研究に取り組むきっかけだったと言う。
「20年ほど前、子どもの学習をサポートするロボットを開発する中でのできごとからでした。僕は、今後の開発の参考に子どもたちの反応を見てみようと、ロボットを幼稚園に持っていったんです。すると、予想外のことが起きました。できることが限られているロボットだったので、大した手助けはできません。時間が経つにつれ、子どもたちは、自分よりも拙いロボットの世話をし始めたんです。ロボットの拙さが、子どもたちの優しさや可能性を引き出している。これはおもしろいと思いました」(助けがないと何もできない〈弱いロボット〉が教えてくれた、いま私たちに足りないこと)
ちょっと不完全なくらいのロボットの方が、人はロボットに親近感を持つ。この現象を適正な実験で証明しようとした例もある。
京都工芸繊維大学、大学院工芸科学研究科と京都工芸繊維大学工芸科学部の実験によると、不完全でよく失敗するロボットと協力してゲームをした人は、失敗しないロボットとゲームした人よりも利他的な行動をとりやすくなる可能性があるそうだ。(不完全なロボットとのインタラクションが第三者への利他行動に与える影響)
また、ロボットによるプレゼンテーションに対する人間が持つ印象を、実験で調査したところ、プレゼン中に失敗するロボットの方が、失敗しないロボットよりも人間的だと感じられ、より親しみを持つことがわかったという。(失敗する演出を施したロボットは人と円滑な関係を築くか)