Nintendo 64とわたし、『マリオカート 64』と「4号線のレインボーロード」

 大阪の市内で育ったわたしは、盆や正月になると、大阪南部の泉州にある父の実家によく帰った。その時、必ず通るのが阪神高速4号湾岸線、地元でいう「4号線」だった。

 4号線は大阪湾を沿うように府を縦断する高速道路で、大阪市から南港、堺市、大和川と渡り、関西国際空港まで敷かれている。私たち一家のように、特に泉州や和歌山から大阪市へ働きに出た者たちはみな、ここを通って故郷へ帰るため、地元では「高速」といえばこの4号線を指していた。

 いまとなっては懐かしく感じるが、少なくとも当時のわたしにとって4号線のドライブは刻苦に他ならなかった。なぜなら、幼かったわたしの三半規管は、1kmも離れていないコンビニへドライブするにも耐えられないほど貧弱だったからだ。ゲームボーイなど取り出して遊ぼうものなら、その数分後に恐ろしい後悔におそわれた。

 必然的に、助手席に座るわたしは空を眺めた。特に夜空が印象深い。4号線からのぞく夜空には星など見えなかったが、ただ中央分離帯を等間隔に並ぶオレンジ色の電灯だけが闇を照らしていた。それがどうにも、わたしには美しく思えた。きっとそれは、コンビナートの煙が空を覆う工業地帯に育った少年にとって、唯一観測できる星と呼べるものが、4号線の電灯だったからだ。

 幼いころのわたしにとって、ドライブという行為そのものはつらいものだったが、それでもこの4号線の灯が、外から聞こえるかすかな風音と同じリズムで流れ続けるのを見るのが好きだった。そして、いつか自分が運転席に座り、この無機質な天体観測を独占したいと考えるようになった。

 ある時、わたしはクラスメートより少し遅れてNintendo 64を手に入れることができた。Nintendo 64はまさに夢のハードだった。いままで平面的に描かれたゲームを、立体的な世界として冒険できるようになったことで、本当にゲームの世界に自分が迷い込んだような感動があったからだ。

 『スーパーマリオ 64』では“はねマリオ”で空を飛翔し、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』ではエポナとハイラル平原を駆け回り、『バンジョーとカズーイの大冒険』ではコミカルとシリアスが入り混じる景勝地を見物した。そのどれもが2020年代のゲームと比べればはるかにぎこちない表現だったものの、いまでも鮮明に思い出せる冒険で、子どものわたしにとって現実の旅行と変わらない思い出が、脳裏に刻まれている。

 そのなかで、わたしが特に没頭したのが『マリオカート 64』だった。典型的なレースゲームで、マリオたちがカートに乗って誰が先にゴールに到達するかを競う。対戦モードも充実するなど、とにかく友達と盛り上がって遊ぶゲームだったが、わたしはもっぱら一人でずっと、それもタイムレコードを更新しようともせず、ただひたすらカートを走らせていた。寝食を忘れてプレイし、あきれた母に64ごと没収されたこともある。

 『マリオカート 64』は歴史的名作ではない。名作ではあるが、Nintendo 64には『時のオカリナ』をはじめもっと評価すべき作品があるとゲームファンは考えるだろうし、わたしもそう思う。第一、『マリオカート 64』の表現は確かにすごかったが、決められたコースを走るだけで『時のオカリナ』のような自由に冒険できるゲームではない。しかし、美しいコースを徒歩ではなくカートで疾走したときの開放感は、他のゲームと比較にならない体験だった。

 なかでも、暗闇を引き裂くように敷かれた七色のハイウェイを駆け抜ける「レインボーロード」は、もう何周走ったのかも覚えていない。サーキット、ビーチ、ジャングル、砂漠、地球上のあらゆる風景を走りきったその終着点が宇宙と虹だったというカタルシスや、電子的なリズムの繰り返し(これも中毒性があったが)の曲が続いた末にオーケストラのような全能感あるサウンドを流す粋な演出に打ち震えたばかりではない。

 これは、れっきとした「道」だった。京都で働くどこかのおじさんが作った「コース」ではなく、恐らくは無数の人間の知識と労力と忍耐が奇跡的に作り出した、「道」なのだ。とりわけわたしにとって「道」とは、自分を故郷から優しい祖父母のいる泉州まで続く、人工的な赤い星が夜空を照らし続ける、あの4号線にほかならない。そして実際、あそこは虹色の道が、ガードレール代わりのスターが、何より空に浮かぶマリオやピーチやルイージたちのネオンが闇を照らす様が、父の隣で得た安らぎをわたしに思い返させた。

 わたしにとってレインボーロードを走ることは、何一つ満足に自分で挑戦することが不可能だったわたしにとって、唯一自分一人で4号線をめぐり、そしてまだ見たこともない世界へ旅立つことの予行演習のようなもので、同時にいまいる狭い世界から抜け出そうと試みる、一種の療養でさえあった。当時、誰も理解してくれなかったが、偽物の星と、虚構の道、わたしにとって希望とはその2つで十分だった。

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