フィッシャーズ・マサイ、レペゼン地球・ふぉい……YouTuberが動画で“家族の他界”を伝える意味を考える

 インパルスの堤下敦が、「カジサックの部屋」でもおなじみだった母・さ江子さんの死去を伝えたときも、あるいは人気YouTuberグループ・アバンティーズが、家族同然のメンバー・エイジさんが亡くなった水難事故について語ったときもそうだが、こうした動画には、「身内の死を売り物にするのか」という趣旨の心ないコメントが散見される。

 動画クリエイターにとって、多くの場合「コンテンツの発表」と「報告」の場が同一になっていることから、YouTubeの動画を「仕事」とだけ捉える人にとっては、ただ同じように「売り物」と見えてしまうのかもしれない。しかし、YouTubeは彼らにとって、仕事である以前にライフワークであり、特に現在のトップYouTuberに関しては、「好きな動画を撮り、視聴者を楽しませていたら結果として仕事になった」というケースが多い。自分にとって大切なことは動画で報告する、というのは自然なことだろう。

 もっと言えば、今回取り上げた動画は、「仕事」としても優れたものではないだろうか。YouTubeには若い視聴者が多いことも踏まえると、これから必ず経験する悲しい別れの乗り越え方を、あるいは大切な人との悔いのない付き合い方を、それぞれのクリエイターが実体験を通じて伝えることは、小さくない学びになるに違いない。

 ファンにとって「報告動画」はうれしいニュースであってほしいところだが、辛い出来事にこそ、クリエイターの本質が表れる。そのメッセージに耳を傾けたいところだ。

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