『プレステクラシック』のラインナップは、なぜしっくりこないのか?

 先日、『プレイステーションクラシック(以下、『プレステクラシック』)』の全収録タイトルが公開された。ラインナップ(日本版)は以下の通り。

・アークザラッド
・アークザラッドII
・ARMORED CORE 
・R4 RIDGE RACER TYPE 4 
・I.Q Intelligent Qube
・GRADIUS外伝 
・XI [sái]
・サガ フロンティア
・Gダライアス
・JumpingFlash! アロハ男爵ファンキー大作戦の巻
・スーパーパズルファイターIIX
・鉄拳3
・闘神伝 
・バイオハザード ディレクターズカット
・パラサイト・イヴ
・ファイナルファンタジーVII インターナショナル
・ミスタードリラー
・女神異聞録ペルソナ
・METAL GEAR SOLID
・ワイルドアームズ

 発表されたラインナップに不満とはいかないまでも、イマイチそそられなかった方も多いのではないだろうか。もちろん収録タイトルの選定は、「あちらを立てればこちらが立たず」な側面があり、権利関係が複雑なタイトルもあるため、文句を言っても仕方ない。

 だとすれば、今回の『プレステクラシックのラインナップ』を見て感じるモヤモヤはどこから来ているのだろうか。この記事ではプレイステーション(以下、PS)がどんな時代に生まれた、どんなハードだったのかを辿ることで、『プレステクラシック』について考察してみたい。

プレイステーションとはどんなハードだったか

3Dゲームの到来

 初代『プレイステーション』が発売されたのは、1994年12月3日。開発元はSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)、今やソニーとゲームは切っても切れない関係だが、ソニーは『プレイステーション』からゲーム業界に本格参入した。

 94年末はセガサターン、PC-FXなど32ビットの次世代機が発売され始めていた時期であり、まさに「次世代ハード競争」の時代だったと言える(その後96年には『NINTENDO64』も発売)。

 この時代に注目された技術は、やはり3D描画技術だろう。『セガサターン』はアーケードで人気を博した、3D格闘ゲーム『バーチャファイター』の移植版をローンチタイトルに含めている。「ゲーム=2D」の時代は、もはや終わりを迎えつつあった(とはいえセガサターンは、「究極の2Dゲーム機」として、アーケードゲームを高いクオリティで移植していた)。

 プレイステーションは当時のハード(PC含め)の中でも、3D描画性能に優れたハードだった。これにはメインCPUに加えて、3Dポリゴン処理専用のジオメトリエンジンを搭載しており、ハードウェア上でグラフィックを処理できたという理由がある。

玉石混合のPSソフトと「カルトゲーム」

 結果的に次世代ハード競争に勝利したのは『プレイステーション』だった。『FFVII』も『ドラゴンクエストVII』も『プレイステーション』での独占販売であり、他にも『プレステクラシック』のラインナップに入っているような名作タイトルがPSの売り上げを後押しした。

 そして、『プレイステーション』というハードを語るときに、忘れてはならないのがカルトゲーム(※1)の多さだ。薬物によるトリップ感覚をゲームで味わえる『LSD』に、サイバーパンクのビジュアルを取り入れた『クーロンズゲート』、RPGの構造を逆手に取った『moon』。PSからはデザイン面でもゲーム性でも、これまでのゲームとは毛色の違う作品が数多く発売されている。

 では、なぜPSにはここまで個性的なタイトルが集中したのか。それにはいくつかの理由がある。

※1カルトゲーム……一部のファンに熱狂的に支持される映画を「カルト映画」と呼ぶように、本稿ではそのようなゲームをカルトゲームと呼んでいる。

なぜPSには個性的なゲームが多いのか

90年代後半という時代

 1995年、それは世紀末に相応しい混沌とした時代だった。バブルは崩壊し阪神淡路大震災に続いて、地下鉄サリン事件の発生。97年には14歳の少年による連続殺傷事件『酒鬼薔薇事件』が世間を騒がせた。

 『プレイステーション』が発売されたのは94年の12月3日。不景気にショッキングな事件が重なった混乱の時代に、『プレイステーション』はゲーム市場に登場したのだ。

サブカルチャー狂い咲き

 90年代の日本のサブカルチャーは、上記のような時代の空気の影響もあってか、未だに語り継がれる名作・怪作が多く生まれている。

 アニメなら『新世紀エヴァンゲリオン』に『少女革命ウテナ』、漫画なら『ザ・ワールド・イズ・マイン』。また、自殺の方法が列挙された書籍『完全自殺マニュアル』が、93年に出版されミリオンセラーとなったのも非常に象徴的である。

 当然の『プレイステーション』のゲームにも、そのような影響があると考えてもおかしくない。『serial experiments lain』や『クーロンズ・ゲート』のアングラさは、90年代という特異な時代だったからこそ、はじめて生まれ得るものだったのではないだろうか。

サードパーティーの充実

 ゲーム業界には新規参入だったソニーだが、ゲームという分野で戦う上でソニーには豊かな資金力の他に、ある武器があった。その秘密がCD-ROMにある。

 SCEはそれまでのゲームの流通網を使わずに、自社の音楽CDの流通ノウハウを流用することで、より迅速でより柔軟な流通を実現した。またCD-ROMはカセットよりも遙かに原価が安いことも大きなメリットだった。

 流通の柔軟化はサードパーティー(※2)の充実にも繋がる。『現代ゲーム全史』(早川書房)のなかで、著者の中川大地はこのように記述している。

 “この流通特性は、対サードパーティー施策としても大きなアドバンテージで、体力のない中小ベンダーであっても、あまり大きな初期投資の負担や在庫リスクに悩まされずにゲームソフトが提供できることを意味していた。”(『現代ゲーム全史』p267より引用)

 また、SCEのサードパーティー充実戦略はこれだけではない。当時高価だったゲームの開発機を安価に抑えたことで、SCEはより多くのサードパーティーを集めることに成功した。

 サードパーティーの参入障壁を下げることは、アタリショック(※3)のようなケースを招くリスクもあった。だが結果的にサードパーティーの参入障壁が高い任天堂ではあり得ないような、尖ったタイトルが『プレイステーション』に集中することになった。

※2 サードパーティー…ゲーム業界においてサードパーティーとは、ハードウェア(ゲーム機)を取り扱わずに、ソフトウェアだけを開発・販売している企業を指す。

※3 アタリショック……アメリカ合衆国で家庭用ゲーム機Atari2600のヒットに伴いソフトが粗製濫造され、ビデオゲーム全体の市場が崩壊した事件。この時に発売された『E.T.』は伝説のクソゲーとして歴史に名を残してしまう。詳しくはドキュメンタリー映画『アタリ ゲームオーバー』を参照されたし。

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