加藤よしきの“ゲームのいけにえ”

皿洗いが没入感を高める? 『Detroit: Become Human』が示す、ゲームとシナリオの理想系

 このように往々にして、ゲーム性を担保するルールとシナリオは衝突する。そして衝突した際に優先されるのは、当然ゲーム性だ(ゲームなのだから当然である。だから将棋の駒に人格はない)。こうした衝突の結果として、「ゲームとしては面白いけど、シナリオがダメ」なゲームに仕上がってしまう。もちろん、こうした事故への対応策も存在する。連載の最初に紹介した『地球防衛軍』はシナリオを最低限に絞るという潔い決断をした(参考:『地球防衛軍5』はなぜ過度な演出がない? “足さない美学”に見る、作り手の絶対の自信)。一方、前回紹介した『GOD OF WAR』は恐ろしい程の執念でシナリオとゲーム性を合致させている(参考:『GOD OF WAR』“全編ワンカット”の狂気 その恐るべきチャレンジに迫る)。では本作はどうだろうか? 本作は確実にシナリオありきだ。そして、シナリオに没入させるためにゲーム・システムが構築されている。ややクセのあるシステムではあるものの、シナリオを楽しむゲームとしては理想的な形だ。むしろ本作は映画でもゲームでもない、独特の「面白さ」にまで達していると言っていいだろう。

 最後になったが、本作のキャスティングについて触れておきたい。この作品には、あのランス・ヘンリクセンが重要な役どころで登場する(もちろん見た目もヘンリクセンに似せており、声優も本人だ)。彼は『エイリアン2』(86年)でアンドロイドのビショップを演じ、「アンドロイドだって怖いものは怖い」と名台詞を残したことで有名である。本作のテーマを踏まえた上で見ると、何とも小粋なキャスティングだ。

■加藤よしき
ライター。1986年生まれ。暴力的な映画が主な守備範囲です。
『別冊映画秘宝 90年代狂い咲きVシネマ地獄』に記事を数本書いています。

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