夫婦を交換した先にあった意外な答え 岡田惠和『マイ・スイート・ホーム』が描く人生賛歌
「いま最もおもしろい脚本家」をひとり挙げるならば、僭越ながら、私は岡田惠和と答える。1990年のデビュー以来、日本のエンタメ界の第一線を走りつづけてきた大ベテランだ。2026年に手がけた作品だけでも、芦田愛菜主演の『片想い』(NHK総合)、つんく♂の半生を描いた『24時間テレビ49 愛は地球を救う』(日本テレビ系)内のスペシャルドラマ『幸せはある』、吉川トリコの原作を実写化したNetflix映画『余命一年、男をかう』、さらにはショートドラマシリーズ『〇〇なふたり』と、その筆が止まることはない。
時代の一歩先をゆく、岡田惠和が描き続けてきたもの
岡田作品を観ていると、この世界のどこかにいる、たったひとりの“だれか”のために、物語を書いているのではないかと思うことがある。たとえば『片想い』は、効率の良い人たちが評価されるタイパ・コスパ至上主義の社会において、マルチタスクができず、上手に生きられない若者たちの物語だった。2025年のドラマ『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系)では、育休制度など社会の仕組みがまだ十分ではなかった時代に、自分の人生を子どもたちに捧げてきた中年女性の思いを丁寧にすくい上げていた。
そして、岡田作品はいつも、テーマの選定がやや早いのである。たとえば、2023年放送の『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系)は、不景気な時代をサバイブする清野菜名と岸井ゆきのと生見愛瑠の連帯を描いていたが、昨今のシスターフッドブームよりも、少し早かった記憶がある。『小さい頃は〜』には、主人公夫妻が住むヴィンテージマンションにかわいらしい女性カップル(小野花梨・石井杏奈)が暮らしているのだが、岡田は2012年放送の『最後から二番目の恋』(フジテレビ系)ですでに、万理子(内田有紀)が千明(小泉今日子)に抱く想いを、まごうことなき“恋”として描いていた。
さらに『最後から二番目の恋』には、バリキャリの千明と専業主婦の典子(飯島直子)が「結婚してるか、してないかで、なんで女はこんなにいがみ合わなきゃいけないんだろうね。子どもの頃はさ、みんな同じただの女の子だったのにね」と女性同士の分断を嘆く場面がある。いま聞いても鋭いセリフだが、これが10年以上前に書かれていたことに、少し震えたものだ。
もう少し時代が進めば、視聴者や社会の理解が追いついて、もっと話題になっていたのかも。一視聴者としては、毎度そんなことを思わずにはいられないのだが、それでも岡田作品は、時代の一歩先をゆく。その物語を“いま”欲している人が、この世界のどこかにいるからだ。最新作『マイ・スイート・ホーム』(WOWOW)を観たときも、同じことを思った。
親友の死をきっかけに始まる、予測不能な“パートナー交換”
「私はね、なんでも願いが叶うなら、一度は自分じゃない人になりたい」「だって、そう思わない?違う人に、ちょっとなってみたい」
学生時代に出会った春花(石田ゆり子)と夏希(坂井真紀)と秋絵(中嶋朋子)。偶然にも名前に「春夏秋冬」が入っていたことで意気投合した彼女たちは、職業も住む場所もライフステージも異なる“アラ還”世代になったいまも、互いのパートナーを交えて定期的に集まっていた。
そんなある日、突然舞い込んできたのは、「春夏秋冬」のうち、すっかり疎遠になってしまった冬美(富田靖子)の訃報。集まったときのテンションも話す内容も、学生時代からさほど変わらないものの、人はいずれ死んでしまうし、いつの間にか自分たちが“そういう年齢”になっていた。どうしようもない切なさを抱えた葬儀の帰り道、生前の冬美の言葉を思い出した春花は、酔った勢いで2週間の“パートナー交換”を提案する。
岡田惠和が本作を捧げたのは、春花たちと同じ“アラ還”世代の人々だろう。専業主婦の春花と、老舗和菓子店二代目社長・修平(仲村トオル)。親から受け継いだ家具メーカーを切り盛りする女社長の夏希と、家事が大好きな小説家の潤一郎(椎名桔平)。そして、画家になった秋絵と、年の離れた夫の佳彦(三宅健)。今年47歳になった三宅(女性に優しい柔らかな佇まいが『最後から二番目の恋』の坂口憲二を彷彿とさせる!)がメインキャストの最年少というのだから、層の厚さがうかがえるだろう。
子どもたちもすでに独立し、それぞれ東京・葉山・軽井沢で暮らす春花たちの日常は、さながらトレンディドラマのようにお洒落で洗練されている。その華やかさの一方で、いまよりもずっと「男らしく」「女らしく」という価値観が根強く、自分らしい生き方を選ぶことが難しかった時代を生きてきた人たちなのかもしれない。
学生時代からぶっ飛んでいたという春花のアイデアに、しぶしぶ乗ることになった大人たち。男性陣がそれぞれの家に派遣されることになるのだが、いかんせん生活拠点が3カ所に分かれているため、修平のように新幹線通勤を余儀なくされるケースもあった。