『俺のこと、なんか言ってた?』ラストで変化した“問い”の行き先 宮藤官九郎が描いた再起

振り返れば、かつての宮藤ドラマは、『池袋ウエストゲートパーク』(2000年/TBS系)や『木更津キャッツアイ』(2002年/TBS系)に代表される、ホモソーシャル的なワチャワチャ共同体の物語だった。それが『ゆとりですがなにか』(2016年/日本テレビ系)あたりからオトナの事情を抱え込み、『俺の家の話』では親の介護へ、『ふてほど』では時代とのズレへと重心を移していく。主人公は作家自身と並走するように年を重ね、バカ騒ぎの奥から中年のシリアスな問題がせり上がってきた。
そして本作の高瀬川は、もはや中年ですらない前期高齢者。本作にも、サウナ「白樺」や劇団「ウイスキーボンボン」というたまり場(=共同体)が登場するが、これまでと決定的に違うのは、そこへの参入の仕方だ。かつての若者たちにとって、仲間は地元や同級生として最初から与えられていた。高瀬川は、若い劇団員たちの輪に最年長の新参者として飛び込み、ひとつずつ信頼を勝ち取って居場所を手に入れていく。

そして最終話、高瀬川はウイスキーボンボンの劇作家・岡本(賀来賢人)が高瀬川の半生をもとに書いた舞台『誰も知らない大物俳優』で、自分自身を演じる。そこで彼がたどり着く俳優の定義は、「観客の気持ちを入れるための容器」だ。一見すると、エゴを捨てて自分を空っぽにする境地に見える。だが俳優という容器は、まず誰かに選ばれなければ、何も注がれることはない。オーディションに落ち、エキストラから這い上がってきた高瀬川は、そのことを誰よりも知っている。見られたいという欲望は、容器であることの前提条件なのである。
だからこそ高瀬川は、ラストでもう一度「俺のこと、なんか言ってた?」と訊く。承認欲求は最後まで消えていない。ただ、その問いの意味は冒頭とは違っている。最初の問いが「俺は価値のある人間なのか」という名声の確認だったとすれば、最後の問いは「俺はあなたの記憶のなかにいるのか」に近い。

その相手が、松山ケンイチ演じるチーフ助監督・川島だ。現場を仕切る腕は確かなのに、40歳を過ぎても監督になれずにいる男。撮影現場で高瀬川に普通の芝居を叩き込み、やがて自らの初監督作に、無名となった彼を起用した人物である。思えば第4話で、高瀬川は岡本に、不遇の時代を共に過ごした演出家こそ、役者がいちばん認めてもらいたい存在だと説いていた。そのとき彼の頭にあったのは、世界的権威の『リア王』演出家。だが最終話でその席に収まっていたのは、体を壊して業界を去った川島だった。
しかし川島は舞台を見届けると、高瀬川に声をかけることなく帰ってしまう。それでも高瀬川は、彼のことを問わずにはいられない。父の愛情が言葉にされなかったのと同じく、ここでも答えは示されないまま、物語は幕を閉じる。承認を求める先が、顔の見えない世間から、苦楽をともにした身近なひとりへと移ったことだけが示されるのだ。
欲望を手放さないまま、ちょっとだけマシな人間になる。これまでダメな人間を決して切り捨ててこなかった宮藤官九郎の、誠実な着地がここにある。
参照
※1. https://www.gqjapan.jp/article/20261019-orenokoto-koji-yakusho-interview
※2. https://thetv.jp/news/detail/1449497/
■配信情報
Netflixシリーズ『俺のこと、なんか言ってた?』
Netflixにて、世界独占配信中
出演:役所広司、賀来賢人、松山ケンイチ、江口のりこ、河合優実、濵田雅功、磯村勇斗、上川周作、山本博(ロバート)、中井千聖、坂井真紀、吉田羊、宮舘涼太
監督:金子文紀、坂上卓哉、渡部篤史
脚本:宮藤官九郎
企画・プロデューサー:磯山晶
エグゼクティブ・プロデューサー:岡野真紀子(Netflix)
プロデューサー:下村和也
制作プロダクション:THE SEVEN
製作:Netflix





















