『我々は宇宙人』の“写実性”がアニメーションである意義 懐かしさと苦々しさの追憶の仕掛け

 現在公開中の門脇康平監督の映画『我々は宇宙人』が話題を呼んでいる。第79回カンヌ国際映画祭監督週間に出品された長編アニメーションで、平成の田舎町で出会った2人の少年の30年にわたる関係を描く。本稿では、小学生時代の「懐かしさ」を精緻に描きながら、その先で加害と忘却、そして訣別へと踏み込む本作の魅力について語っていく。

 『我々は宇宙人』を観てすぐにわかる特徴に、どうしようもなく喚起される「懐かしさ」が挙げられる。小学生時代から大人に至るまでの主人公である後藤翼と星暁太郎の2人の視点からそれぞれ前半後半に分けて構成する本作だが、前半も後半も共通して小学生時代の描写が頭抜けてうまい。

 特に2005〜2008年ごろの小学校に対するこだわりが凄まじい。

 ポケモンパンに付いてきたであろうデオキシスのシールといった小物や、ニンテンドーDSが没収されて悲しみに暮れるなどのエピソードを、シナリオの中に細かくちりばめていくことで、その年代の質感の再現に成功している。

 しかし、その年代の小学校を経験していなくとも、『我々は宇宙人』の描くノスタルジックな学校には共感することができるだろう。

 その年代に根差したカルチャーの解像度だけではない、より普遍的な学校の描写が充実しているからだ。作中の時期よりもあとの年代に小学校に在籍していた筆者にとっても、共感でき、過去が思い起こされる描写で溢れていた。

 それは折り紙で作られた手裏剣であり、紙粘土で作る工作であり、傘をひっくり返す遊びや休んだ日に届けられる連絡帳など様々だ。

 これらはノスタルジーを刺激すると同時に、シナリオ上の役割を持たされたモチーフだが、特に言及されることのないまま画面に映し出されるものも数多く存在した。

 それは学校の壁に飾られた校訓であり、椅子にクッションのように置かれた防災頭巾であり、一瞬のカットに映るあらゆる情景が、かつて小学生であった自分たちの周囲に存在していたものである。

 また、さらに恐ろしいことに、それらの背景や小物によって引き上げられたリアリティに匹敵する生々しいアニメーション表現が本作には備わっている。

 一般的なアニメのデフォルメの強いキャラクターデザインとは異なる、写実的で情報量の多いデザインは、常に精緻な似顔絵のようでもあり、キャラクターのリアリティを高める。
 もちろんデザインだけでなく動きも秀逸だ。

 メダカの名前の由来を聞かれ、意気揚々と答える小学生時代のヒロイン・目黒小夏の姿は自分の知識を聞かれて嬉しそうにする子どもの様子をそのまま抜き出してきたかのようであるし、分かれ道で「じゃーね」と繰り返し叫び飛び跳ねながら帰る翼と暁太郎もまた小学生然とした動きだ。

 その生々しいキャラクターの年齢に即した描写は、ロトスコープ(参考用に撮影した実写映像の線を写しとる形でアニメーションの原画を制作する手法)に依っている。

 『我々は宇宙人』においては実写を参考にすることで、小物などの細かい描写に見合うリアリティのある動きを作ることに成功している。微妙な揺れや無意識的な所作を映像に取り込むことで、キャラクターの生き生きとした所作を描写しリアリティを与えている。

 『化け猫あんずちゃん』や『ひゃくえむ。』などでも用いられたロトスコープ技法は、実写映像を映すという手順から手軽に思われることもあるが、現実をそのままトレースすることが必ずしもアニメーション表現として的確になるとは限らない。

 日本のアニメーションにおいて、動きを描く際には秒間24フレームのうち2,3フレームごとに絵を1枚用いるような技法が一般的である。そのため、ロトスコープにおいてもどの瞬間の写真を用いるかを取捨選択し、アニメーションに落とし込むかが重要となる。『ひゃくえむ。』では、実写映像の段階で監督が間の動きを間引き、使う写真だけを残してアニメーターに渡すようなフローを用いたこともあるというほどだ(※)。

 本作では場面ごとに絵の切り替わるフレーム数が変化しており、躍動感のあるシーンではときに1フレームで切り替える「1コマうち」を使いつつ、基本的には2フレームごとに絵を変える「2コマうち」を用いて、落ち着いたシーンでは3フレームごとに1枚の絵を映す「3コマうち」となっている。

 このようなコントロールはロトスコープでありながら従来のアニメーション的な選択であり、ハイブリッド性を感じさせる。『化け猫あんずちゃん』も一般的なアニメーション技法とロトスコープを高いレベルで融合させていたことで知られる。『化け猫あんずちゃん』はデフォルメの効いた素朴なキャラクターにロトスコープで実写的な細かい所作を取り入れた3コマうち基調の作品である。一方で『我々は宇宙人』は写実的で線量の多いキャラクターデザインにロトスコープで生々しさを足す方向性である。

 また陸上を題材にした『ひゃくえむ。』などに比べ、アクションシーンが存在しない本作だが、そのアニメーション的な魅力はロトスコープやキャラクターデザインといった細部の描写のリアルさに限らない。

 髪や服のなびきなどは、ただ現実を模倣するだけでは見応えのあるアニメーションとして成立しにくいが、それらのシーンでは適宜通常の作画技法により実写とは違う作画を取り入れていることで、ロトスコープ的な生々しさとは別に他愛のない場面での映像的な快感の要素を両立させている。

 このように本作はロトスコープを技法として採用しながらも、それだけに依らない映像的な魅力を兼ね備えている。

 さらに特徴的なのが、本編時間が118分と長編にもかかわらず、原画人数が4人という異例の少なさである。『ひゃくえむ。』ではロトスコープの採用によって属人化を避けていたというが、『我々は宇宙人』はむしろ少数のスタッフによる制作だからこそ可能になったとも思える。

 非常に情報量の多い写実的なデザインで、丹念にリアルと快感の両方を追求する本作のアニメーションは圧巻だ。

 この、現実を参照しながらもエンタメ的な刺激を忘れない本作の手つきは作劇にも共通している。

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