『オデュッセイア』から読み解くノーランの“子ども性” 誰よりも真剣に遊ぶ映画監督の素顔

『インターステラー』と『プレステージ』における大人と子ども
見る人を驚かせたい。『オデュッセイア』は、映画制作の次元におけるノーランのそうした子どものような純粋さを思う存分堪能させてくれる。とはいえ、ノーランの子ども性は視覚的な驚きにとどまるものではない。以下では、それを作品の内容のレベルでも考えてみよう。
思えば、『インターステラー』も父親が家=故郷に帰るために、巨大な波が押し寄せる水の惑星、凍てつく氷の惑星と、異界を一つずつ巡っていく映画だった。ただし、怪物が理屈抜きにそこにいる神話の世界とは異なり、『インターステラー』では、相対性理論やブラックホールをめぐる理論物理学の知識が随所に登場する。けれども、ノーランの子どもの部分を念頭におくと、作中で最も重要な場面、つまりクーパー(マシュー・マコノヒー)が宇宙探査の果てにたどり着く本棚の裏の五次元空間も、見たこともない画を撮りたかったがために生まれたものに思えてくる。父が本棚の裏側から本を落とし、娘の部屋に“幽霊”を出現させる。重力やブラックホールをめぐる膨大な理屈は、この一枚の画に説得力を与えるために用意された口実だったのではないか。
そもそも作中で、大人たちの理屈はたびたび嘘として描かれていた。方程式を解いて人類を救うという計画を掲げていたブランド教授(マイケル・ケイン)は、その実現の見込みがないことを隠したまま人々を宇宙へ送り出し、マン博士(マット・デイモン)は偽のデータで救助を呼び寄せた。理屈は、文字どおり口実だったのだ。それに対して、父が送った“幽霊”の正体を読み解き、方程式を解いて人類を救うのは、成長した娘マーフ(ジェシカ・チャステイン)の方である。宇宙の果てで驚異を追いかける父の方が子どもで、地上で理屈を引き受ける娘の方が大人であり、ノーランの世界では、大人と子どもが逆転しているのだ。

このような視点に立つと、ノーランのフィルモグラフィーでは地味な『プレステージ』(2006年)が、じつは重要な一本であるとわかってくる。本作は、19世紀末のロンドンを舞台に、二人の奇術師アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)が、互いのトリックの秘密をめぐって争う物語だ。作中でボーデンが語るように、手品の種そのものは誰も感心させない。大切なのは、それを使って観客を驚かせることだ。実際、本作ではニコラ・テスラ(デヴィッド・ボウイ)が発明した最先端の科学装置さえ、手品の道具として使われる。科学の理屈は、驚きを生むための口実にすぎない。しかも、ライバルへの対抗心だけで破滅へと突き進むアンジャーとボーデンは、意地を張りあう子どもにしか見えないのだ。思えば、本棚の裏から本を落として娘を驚かせるクーパーもまた、舞台裏で仕掛けを操る奇術師だった。これらの作品には、驚きに取り憑かれた子どもとしてのノーランの自画像があるのだ。
月に手を伸ばす子ども
もちろん、ノーラン作品の物語の面白さや、そこに込められた死者へのまなざしを否定するつもりはないし、それらも検討に値するトピックだろう。だが、ノーランの真面目さは、理屈やテーマの重さにあるとともに、子どもが遊びにそそぐ真剣さの側にもあるのだ。
ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、映画という機械が人々に「遊戯空間」をもたらすと考えた。彼の比喩を借りれば、つかむことを覚えはじめた子どもは、届くものと届かないものの区別もつかないまま、ボールにも月にも手を伸ばす。だが、その見当違いの手つきこそが、つかむことを学ぶ遊びなのだ。人類もまた、映画をはじめとする新たな技術を手にして、まだ届かないものにまで手を伸ばそうとする。それは、大人の理屈によってではなく、子どもの手つきで世界をつかみ直すことだ。ノーランのテクノロジーへのこだわりは、技術の誇示ではなく、映画が機械仕掛けの驚きとして生まれたその原点を、CGの時代にもう一度取り戻そうとする試みとして読むべきだろう。
『インターステラー』のクーパーは、人類はもう空を見上げて驚くことを忘れてしまった、と嘆いていた。「これはどうやって撮っているの?」という驚きは、まさに空を見上げる子どもの問いだ。そのときスクリーンの向こうの怪物や冥府は、手を伸ばせば触れられそうな何かとして私たち観客の前に立ち現れる。『オデュッセイア』が明かしたノーランの素顔とは、驚きを追い求める子どもの顔であり、観客をも月へと手を伸ばす子どもに変えようとする、誰よりも真剣に遊ぶ映画監督の顔であったのだ。
■公開情報
『オデュッセイア』
全国公開中
出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画
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