アン・ハサウェイはなぜ“第2の黄金期”を迎えたのか? “嫌われセレブ”から不気味な存在へ

 アン・ハサウェイはもともと「最も嫌われるハリウッドセレブ」だった。『レ・ミゼラブル』(2012年)でファンティーヌ役を熱演し、2013年の第85回アカデミー賞助演女優賞に輝いた彼女は、オスカー像を胸に涙を湛えながら「夢が叶いました!(It came true!)」と語った。しかしそのスピーチはネット上で瞬く間に嘲笑とバッシングの的となる。「嘘くさい」「わざとらしい」「演技のよう」……謂れのない誹謗中傷の嵐は「Hathahate(ハサヘイト)」と名付けられ、社会現象化した。

 ジャーナリストのアン・フリードマンは、同年に『世界にひとつのプレイブック』(2012年)で主演女優賞を受賞したジェニファー・ローレンスと比較しながら、「なぜ女性たちは(ローレンスを愛し)、ハサウェイを嫌うのか?」と問いかける(※1)。フリードマンの診断は単純明快だ。レッドカーペット上で自由奔放に振る舞うローレンスに対し、ハサウェイは優等生すぎる。前者にあるユーモアが後者にはなく、大衆は完璧すぎる女性を嫌う。いま振り返れば、この憎悪の奥に、第一次トランプ政権誕生前の社会全体にうっすらと漂っていたミソジニーを見て取ることも可能かもしれない。

 デビュー作『プリティ・プリンセス』(2001年)と出世作『プラダを着た悪魔』(2006年)は、純朴な世間知らずの女性が徐々に自らの美しさに自覚的になっていくプロットを共有している。無邪気な少女から、知性と美貌を兼ね備えた強い女性へ。これらの作品は“高潔で真面目なプリンセス”という2000年代のハサウェイ像の形成に寄与しただろう。パーティーガール的なスキャンダルとは無縁な優等生が、髪を犠牲にして貞淑と母性の象徴たるファンティーヌを『レ・ミゼラブル』で演じ、オスカーまで手にしたのだから、皮肉と冷笑が蔓延る当時のネット文化で格好の餌食となったのも不思議ではない。キャリア初のオスカーを受賞したその夜、彼女の“嫌われもの”のイメージは決定的なものとなり、以後キャリアは停滞を辿る。

『オーシャンズ8』©Warner Bros. Entertainment Inc.

 しかし#MeTooを経てフェミニズムへの関心が高まると、評価は一変する。2017年4月、Vulture誌は「アン・ハサウェイを嫌うのはもはやクールではない」と題した記事を掲載(※2)。『オーシャンズ8』(2018年)はそうした流れを決定づける。『オーシャンズ』シリーズの女性版スピンオフとして、男性的なジャンルだった強盗映画の換骨奪胎を企図しただろう本作で、ハサウェイは女優のダフネ・クルーガーというややトリッキーな役を演じている。元々はサンドラ・ブロックら犯罪集団に利用されるコマにすぎなかった彼女は、終盤で自分が利用されていることに気づき、自らも犯罪に手を貸す。劇中の言葉を借りれば、ダフネ=ハサウェイは「案外バカじゃない(not total fucking idiot)」。この映画は、女優から監督に転身し、演技の下手な女優に毒づく彼女の姿で幕を閉じる。見られる客体から見る主体へ、ただの操り人形から狡猾にゲームを支配する側への変化を描いた本作はハサウェイの復活を華麗に印象づけた。

 ブルガリのアンバサダー、UN Women親善大使とスクリーン外での活躍も目覚ましく、彼女はいまやファッション/フェミニズムのアイコンとしての地位を確立している。今年は『プラダを着た悪魔2』『オークストリートの異変』『オデュッセイア』『ヴェリティ/真実』と出演作の公開が相次ぎ、米国の賞レースに造詣が深いクレイトン・デイヴィスは2026年を「彼女のキャリアを決定づける章になりうる」と話した(※3)。また、「2026 is the year of Anne Hathaway」と題した記事を『FAR OUT MAGAZINE』に寄せたリリー・ハードマンは、彼女に向けられてきた「頑張りすぎ」という批判に暗黙の性差別が含まれていたと指摘し、ひたむきさを冷笑する時代にあって、その情熱こそが讃えられるべきだと論じる(※4)。

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