『まどマギ』の“作画回”をアニメーターが分析 “情報量が多い”とはどういうことか?

「見えた」は1つではない

 こうして2つの場面を見ていると、「見えた」という言葉の意味そのものが曖昧になってくる。

 最初の場面では、さやかの衣服と奥のセーラー服を、別々のものとして見ることができた。しかし、それぞれの輪郭や明暗の違いをすべて確認したから別のものだと分かったわけではない。動き方の違いも、それらを分けて見るための手がかりになっていた。
 
 2つ目の場面のアクションでは、さらに別のことが起きている。途中に描かれたさやかの姿勢や、飛び散る破片の形を1つずつ確認できなくても、さやかが物体を斬り、それが砕けたことは見えている。

 つまり、「見る」と一言で言っても、その中では複数の異なることが起きている。

 形そのものが見えること。何かが動いたことが見えること。複数の動きを、別々の対象として見分けること。そして、いくつもの変化を1つの出来事として認識すること。

 これらはすべて「見えた」と表現できる。

 しかし、同じ意味ではない。そして、細かな形まで確認できるほど優れている、という単純な順番でもない。

 たとえばアクションの途中で、さやかの姿勢を長く止めて見せれば、その形はもっと詳しく確認できるだろう。破片を1つずつ追えるほど長く映せば、それぞれの輪郭も分かりやすくなる。

 だが、そのぶん「一気に斬った」「瞬間的に砕けた」という出来事の見え方も変わってしまう。反対に、1つ1つの形を見るための時間が短くなっても、その変化が何を意味しているのかまで分からなくなるとは限らない。

 何を形として見せるのか。何を動きとして見せるのか。何を別々の対象として見せるのか。そして、いくつもの変化をどこで1つの出来事として見せるのか。

 アニメーションの鑑賞においては、同じ「見る」という行為のなかに、こうした違いが含まれている。

「情報量が多い」だけでは分からないこと

 ここで冒頭の「情報量」という言葉へ戻ってみたい。

 長田の作画には、たしかに多くのものがある。1枚の絵には細かな明暗や形が描かれている。短い時間のなかで輪郭が何度も変わり、複数のものが同時に動く。高速のアクションでは、画面そのものが次々と別の状態へ移り変わっていく。

 そのどれもが、「情報量が多い」という印象につながっている。しかし、それらのすべてが視聴者に同じように見えているわけではない。

 なびきのカットでは、動き方の違いによって、多くのものが互いに分かれて見える。剣戟のアクションでは、個々の形をすべて確認しなくても、それらの変化がつながることで、1つの出来事が認識できる。

 だとすれば、アニメーションの「情報量」を、画面にある物や線の数だけで考えることはできない。

 問うべきなのは、何が描かれているかだけではない。それがどのように動き、どのくらいの時間を与えられ、その結果としてどのような出来事が「見えた」のか。

 長田の作画のおもしろさは、多くの形を動かすことそのものではない。その中で何をどう見せるのかを、時間によって組み立てているところにある。

■公開情報
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』
全国公開中
キャスト:悠木碧、斎藤千和、喜多村英梨、野中藍、水橋かおり、阿澄佳奈、若山詩音、黒沢ともよ、加藤英美里
原作:Magica Quartet
総監督:新房昭之
脚本:虚淵玄(ニトロプラス)
キャラクター原案:蒼樹うめ
監督:宮本幸裕
キャラクターデザイン/総作画監督:谷口淳一郎
総作画監督:山村洋貴
異空間設計:劇団イヌカレー(泥犬)
絵コンテ/ビジュアル・コンセプトデザイン:古川知宏
ビジュアル・コンセプトデザイン:川田和樹
色彩設計:日比野仁
美術:内藤健/草森秀一
美術設定:大原盛仁
撮影監督:会津孝幸
編集:松原理恵
音楽:梶浦由記
音響監督:鶴岡陽太
アニメーション制作:シャフト
配給:ANIMEC
主題歌:FictionJunction「彼方」
©Magica Quartet/Aniplex,Madoka Project
公式サイト:https://www.madoka-magica.com/wr/
公式X(旧Twitter):https://x.com/madoka_magica

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