『スピナーベイト』加藤清史郎×平瀬遼太郎対談【前編】 主人公像を探り続けた日々を回顧
『シナントロープ』で第44回向田邦子賞を受賞した此元和津也は、いま最も注目されているクリエイターのひとりと言っていいだろう。このたび、初の漫画連載作品『スピナーベイト』も満を持して実写化された。
さえない男子高校生・三井宏太(加藤清史郎)は、親友に誘われてフィッシング部に入部するものの、その実態は正義を盾に恐喝を繰り返す自警団「スピナーベイト」だった。絶対的な序列に支配された日常のなかで、彼らはやがて連続殺人事件の謎へと足を踏み入れていく。
『スピナーベイト』は今夏イチのダークホース! 此元和津也原作の映像化、怒涛の展開を総括
第9話を終え、いよいよ大詰めを迎えた『スピナーベイト』(フジテレビ)。 リアルサウンドでは、最終話に向けて盛り上がりを見せる…リアルサウンド映画部では、最終話に向けて盛り上がりを見せる『スピナーベイト』を3週連続で特集。第1弾では、ドラマ評論家の成馬零一氏が第9話までを振り返りながら、本作の魅力を紐解いた。
第2弾・第3弾では、主演の加藤清史郎と平瀬遼太郎監督による対談をお届け。監督の平瀬と主演の加藤は、此元作品の原点ともいえる本作の実写化に、どのように挑んだのか。前編では、ふたりを惹きつけた此元作品の魅力、そして「こういう人」と定義することのできない主人公・三井の輪郭を探り続けた撮影の日々に迫る。
「まるで自分の青春を見ているようでした」
――吉野プロデューサーと初めて会った際に、監督がすでに全話分のプロットを用意していたと聞いて驚きました。どのようなところに惹かれたのでしょうか。
平瀬遼太郎(以下、平瀬):原作を拝見した時、まるで自分の青春を見ているようでした。なによりも主人公の三井を含め、スピナーベイトのメンバーが「高校生」であることに面白さがあるなと。大人と子どもの狭間にいるからこそ、彼らは向こう見ずで拙くて青い。自警行為を躊躇なくできてしまう危うさも、特別になるためになにかを成し遂げようと突っ走るエネルギーも、すべての行動が“未熟さ”に帰結することに魅力を感じましたね。
――加藤さんにとっては2クール連続の主演作となりました。
加藤清史郎(以下、加藤):実は同じタイミングでお話をいただいたんです。僕自身、主演は人生で一度できるかどうかだと思っていたので、それが同時に二つ。しかも一つは此元さんの作品だと聞いて、最初はただただ驚きましたね。
此元和津也のセリフは“サービスエースの打ち合い”
――やはり本作を語る上で、此元さんの存在は欠かせないと思います。実際に作り手として此元作品に触れてみて、どうでしたか?
平瀬:『スピナーベイト』は後の此元先生の作品と比べて、不気味さやダークさがよりむき出しになっている印象があります。たとえば『オッドタクシー』は、物語が進むにつれて奥に潜んでいたものが見えてくるけれど、『スピナーベイト』はそれが最初から表に出ているというか。
加藤:僕も原作を読んだ時は、作品を「ドン」と突きつけられたような感覚がありました。特に漫画はギュッと凝縮されていて、終盤は怒涛の展開が押し寄せてくる。一度では汲み取りきれないほどいろいろなものが詰まった作品ですが、原作が持つ色味や形を崩さず、最後まで走り切れたことはものすごく嬉しかったです。
平瀬:やはり独特のボキャブラリーや会話のラリーには、此元先生の作家性が出ていますよね。分かりやすいところで言うなら、三井のモノローグ。現場でも加藤さんと「オン(実際のセリフ)にするかどうか」はよく相談していました。
加藤:「普段はこんな言い方しないけど、でもこれを言ってこその『スピナーベイト』だよね」って(笑)。たとえば吉見さん(駿河太郎)の「憎悪の分散」というワードのように、言われれば意味は分かるけど、自分ではなかなか口にしない表現がたくさんあるんです。しかも、一つひとつの言葉が背負っている意味が大きいから、別の言葉に置き換えるとニュアンスもガラッと変わってしまう。他のドラマがラリーだとすれば、『スピナーベイト』は常にサービスエースの打ち合いみたいだなと僕は思っていて。
――球の威力が凄まじいんですね(笑)。
加藤:三井と内(萩原護)が卓球のラリーをしていたと思ったら、急に内がデカいラケットとボールを持ってきて、最後には特大のファイアーボールになっている、みたいな(笑)。ただ、不思議と「セリフを覚えた」という感覚はあまりないんです。撮影中は特に意識していませんでしたが、振り返ってみると、「そのボールをどうするかはお前次第だよ」と言われているようなセリフが多かったなと思います。
――印象的な言葉といえば、「オメガ個体」も強く残っています。
平瀬:内が語る「オメガ個体」の話は、集団社会における不条理さや虚しさを描く『スピナーベイト』の根幹を象徴していると思います。魚に限らず、動物の世界には残酷なまでに序列があって、群れから外れた個体は生きづらくなる。それはルールや秩序のなかで生きる人間にも、なぜか当てはまってしまうことで、むしろ生き物としてのや本能なのではないかと考えさせられましたね。