『死亡遊戯』『義妹生活』で話題 上野壮大監督の演出術をインタビュー証言から考察
冬アニメの話題作『死亡遊戯で飯を食う。』(以下、『死亡遊戯』)の劇場版続編『死亡遊戯で飯を食う。 44:CLOUDY BEACH』(以下、劇場版『死亡遊戯』)が2週間限定で上映中だ。
『死亡遊戯』の監督・上野壮大は『義妹生活』で初監督を務め、特徴的な演出から注目されることも多い作家だ。今回は劇場版『死亡遊戯』も踏まえつつ、上野の演出について深掘りしていきたい。
ただ、集団制作によって生まれるアニメの演出を、全て監督の作家性に還元することはできない。しかし劇場版『死亡遊戯』など、上野監督が直接コンテにクレジットされていない映像であっても、カット数の上限を決めたり、脚本の決定などにおいては監督が作品の方向性を定めていることは間違いない。よって本記事では作品の方向性や意思決定をくだす立場として監督をみなし、上野の演出について解説する。
カット数の少なさ
様々な個性のある上野の演出方針で、最もわかりやすく、最も顕著なのはカット数の少なさである。
テレビアニメにおいて基本的なカット数は約300カット。それに対して上野初監督の『義妹生活』は約半分にあたる平均150カットを指針としている(※1)。
カット数が少ないということは1カットあたりの尺が増え、全体的に長回し気味な映像になる。
例えば『義妹生活』第3話では1分以上にもわたって、主人公・浅村悠太とその義妹・綾瀬沙季の夕食のシーンを映し続ける。平均して4〜5秒でカットが切り替わる日本のテレビアニメにおいて、1分の長回しは桁違いに長い。その夕食シーンの会話は途切れ途切れで、まだ出会って日の浅い義兄妹の間を漂う気まずさが長回しによってありありと表現されている。カット割りによって不必要に映像のテンポを速くすることなく、緊張感や気まずさを伝えるのが上野の長回しの大きな魅力だ。
また、劇場版『死亡遊戯』においても20秒以上あるようなカットが確認された。ゲーム開始直後の幽鬼の起床シーン、初登場にもかかわらずコテージの外観を写し続けるキャラクターの自己紹介シーン、幽鬼が蜜羽に浅瀬で殺されかけるシーン。他にも多く見られたが、どれもカメラを動かさないFIXで、緊張感を保ちながら描かれていた。
ロングショットとキャラの表情
それと重なるように、上野のもう一つの特徴としてロングショットが挙げられる。上記の長回しシーンは、いずれも「被写体」から遠く離れた位置にカメラを設定したロングショットである。キャラクターが画面上に非常に小さく映るように描かれ、それゆえに画面に注視しつつも緊迫感のあるセリフに没入させられる。キャラクターのアップであれば、退屈してしまうような長回しであっても、ロングショットであれば、窃視のような感覚と音楽への集中によって緊張感を保ちながら視聴することができる。
また、ロングショットによってキャラクターが小さくなると、必然的に背景美術が画面を占める割合は多くなる。上野演出で生み出されるリミナルスペースらしさはここに由来する。リミナルスペースは基本的に無人を前提とするため、キャラクターを中心的に描くアニメだと成立しにくい。しかしロングショットであれば必然的にキャラクターの映る量が減り、無人の空間が増えればそれだけリミナルスペースに近づく。『死亡遊戯』でゲームの舞台とされる場所が、遊園地やビーチなど非居住用で本来は人がいる場所となっているようなロケーションでありながら、ごく少数のプレイヤーだけがその場所に存在するという設定もそれに寄与している。
『義妹生活』第6話の下校時にトンネルを通るカットなどもロングショットかつ無人の人工的な空間で、リミナルスペースらしさが漂う。
また、ロングショットのもう一つの効果として、キャラクターの表情を描かないカットの多さが挙げられる。上野演出の特徴として、キャラクターの表情の隠匿は大きい。これは必ずしもロングショットに限らないが、上野監督作品の多くで、表情を見せないカットが頻出する。『義妹生活』では「顔で感情を語りすぎない」方針を掲げていた(※2)とインタビューで明かしており、また『死亡遊戯』でも表情を描き込まない簡略化された作画スタイルを一部で使用しており、それは「デスゲーム中の不安感や孤独感を際立たせる意図がある」とテレビアニメ第1話の先行上映トークショーで述べていた(※3)。キャラクターの表情を映さないことで、キャラクターの表情を想像させ、そこに解釈の幅を持たせている。
これは最新作である劇場版『死亡遊戯』にも共通している。特に、発話しているキャラクターの口パクシーンをほとんど映さない。多くのアニメではそのキャラの姿と名前と発話者とを一致させる役割を持つ自己紹介カットですら、コテージの外観を映し、口パクを映すのを拒んでいた。
そんな劇場版でも、数カットのみ、キャラクターの口パクが描写されるシーンがあった。それは、水雲が死体から伽羅を連想して漏らした「殺人鬼」、幽鬼が幻視する伽羅の囁いた「愛」、藍里が幽鬼を信じ立ち直らせたときに歌った「星めぐりの歌」、ラストシーンで酔った白士が永世を思い浮かべながら今度はお前がおぶってくれと投げかけた際の永世の返事。主にこの4つのシーンで、劇場版『死亡遊戯』は他のシーンでは抑制的な口パクを使っている。どれも物語上大きな意味を帯びているシーンだ。殺人鬼は原作の『死亡遊戯』からキーワードであるし、愛はアニメ『死亡遊戯』のテーマだ。宮沢賢治作詞の「星めぐりの歌」は主題歌以上にこの作品に根差した歌と言っていい。最後の白士と永世の会話は、劇場版で描かれた人間関係の総括である。つまり、劇場版『死亡遊戯』では、他のアニメにおいては常用されるような一般的な技法にすぎない口パクを異常なまでに抑制的に扱い、それによって重要なフレーズにのみ口パクを映すことで、印象的なシーンとして強調することに成功している。