吉沢亮は我が身を小泉八雲文学と化して見せた 『ばけばけ』が描いた“心の旅”に想いを寄せて

 小泉八雲が虫について書いた随筆『草ひばり 一寸の虫にも五分の魂――日本のことわざ』というものがある。筆者は『小泉八雲集』(新潮文庫・上田和夫訳)で読んだ。草ひばりとはコオロギのことだ。

 小泉八雲が虫の鳴き声について、深遠な哲学のような文章を綴る。でも、思考に深く潜っていく入り口は「このちっぽけな歌は恋の歌である」なのだ。八雲は恋に焦がれた虫の声の美しさを語り、その小さな小さな虫の想いをさらに天高く飛翔させていく。

 松江の朝の風景を書いた(ドラマでも引用されていた)随筆に勝るとも劣らない名文である『草ひばり』を読んでから『ばけばけ』第19週を観ると、また見え方が変わってくる。例えば、錦織が『草ひばり』の虫に見えてくるのだ。

 錦織のヘブンへの想いはどこか恋のようだとは、以前から筆者は思っていた。最初に、ヘブンが単なる通訳のように彼のことを言ったときの激しい落胆、今回、熊本行きを自分に話してもらえなかった絶望、「文学的にも気が合う唯一の親友」の一文を何度も何度も読み返す喜び……これらは恋のようではないか。ヘブンも第95話でトキに錦織と「ワカレル、シマシタ」と語るこの言葉が、恋人と別れたような印象をもたらしていた。といって、同性愛的なことではないと思う。友情以上の強い信頼や尊敬の念がふたりの間にはあったと考えられる。

 虫が恋を求めて全身全霊で鳴く。でもその声は耳をつんざく絶叫ではなく、心を震わすか細く、強い、絹糸のような、薄い硝子のような声。吉沢亮は我が身を小泉文学と化して見せた。

 恋とは手に入らないものを求めてわきあがる切実な想い。ヘブンもまた、孤独を抱えながら、国から国へ渡ってきた。虫かごが舟の形をしていることも暗喩的だ。人間が何かを求めて旅する乗り物。トキが熊本行きを決意するときも、桟橋に一艘の小舟があった。

 舟を通じて第19週では人間の心の旅というものに思いを馳せることができる。人も虫も、何かを求めて心を震わせ声を天に向けてあげるのだ。この世界は、かような小さな細い声が無数に絡まって存在している。でもその声が報われることはおそらく滅多にない。鳴きながら人は生まれ、鳴きながら消えていく。ヘブンが松江を出ると知って動揺する松江中学の生徒たちにヘブンは「理由はとてもシンプル。これが人生だから」と言う。極めて乾いた認識だ。でも、ヘブンはこうやって生きてきたのだろう。

 家族のなかのわちゃわちゃした小さな物語を描きながら、そうして生きている人々を天高くから俯瞰したような広い眼差しを感じるときもある『ばけばけ』。大河ドラマを作ってきた村橋直樹がチーフディレクターであることの成果がここにあるのかもしれない。

 錦織のその後の物語もまだ描かれると聞いてホッとした。朝ドラではその後をナレーションで済ますことが少なくないからだ。第19週よりも深く錦織の物語を『ばけばけ』でどう完結させるかは作り手の腕の見せどころになるだろう。

■放送情報
2025年度後期 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、寛一郎、円井わん、さとうほなみ、佐野史郎、北川景子、シャーロット・ケイト・フォックス
作:ふじきみつ彦
音楽:牛尾憲輔
主題歌:ハンバート ハンバート「笑ったり転んだり」
制作統括:橋爪國臣
プロデューサー:田島彰洋、鈴木航、田中陽児、川野秀昭
演出:村橋直樹、泉並敬眞、松岡一史
写真提供=NHK

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