『ラムネモンキー』はなぜ“愛しい”のか 古沢良太の手腕が発揮された“歪”な物語の魅力

 Bialystocksの主題歌「Everyday」で毎週、浄化されている。

〈僕らは何を書き換えたんだ〉
〈俺たちは何を忘れちまったんだ〉
〈思い出せ 思い出せ 思い出せ〉

 連続ドラマ『ラムネモンキー』(フジテレビ系)は51歳になった中年男性3人が37年ぶりに再会、中学生だったあの頃――1988年にもう一度向き合う物語。ちょっとビターなノスタルジーがハマる人にはどハマリする。とりわけ就職氷河期、ロスジェネ世代には刺さるだろう。ちなみに、就職氷河期世代(だいたい1970年代半ば~1980年代半ば生まれ)は全国に約1700万人以上いるとされている。

 野球に挫折したユンこと吉井雄太(反町隆史)、映画やアニメ好きで理屈っぽいチェンこと藤巻肇(大森南朋)、漫画が好きなキンポーこと菊原紀介(津田健次郎)は、1988年、中学の映画研究部で自主映画制作に励んでいた。部室はレンタルビデオショップの倉庫、顧問は「マチルダ」こと宮下未散(木竜麻生)。マチルダは不思議に魅力的な人物で、オタク心もあり、3人の憧れだった。だが、ある日、彼女は失踪してしまう。3人の記憶では、UFOに乗って宇宙(M78星雲、イスカンダルの近く)に帰っていったという奇想天外なものになっている。それが37年後、地元・神奈川県・丹辺市の工事現場で人骨が発見されたというニュースをきっかけに、にわかに禍々しく現実化してきた。

 人骨はマチルダではないか。長らくまったく別々の道を歩んでいたユン、チェン、キンポーは再会を果たし、1988年の謎を追いかける。マチルダとは何者だったのか、彼女は誰かに殺されたのかーー。

 人間の記憶とは極めて曖昧なうえ、妄想力が豊かな彼らは多分に記憶を盛っていた。37年ぶりに記憶をたどると少しずつ本当のことが見えてきて……。

 昭和や平成を懐古するドラマが最近増えている。作り手や受け手の多くが少年期や青年期を過ごした時代のカルチャーを題材にするとウケがいいようだ。『ラムネモンキー』では『ガンダム』や『マクロス』やカンフーアクション映画などの話題が出てくる。彼らが入り浸る喫茶店ガンダーラの店員で若者の西野白馬(福本莉子)は彼らが語る昔ネタをいちいちケータイで検索している。

 好きだった漫画やアニメの詳細が曖昧になったり記憶違いしていたりすることはよくあること。カルチャーの記憶はわりと鮮明だが、3人の昔の実体験の記憶は自分に都合のいいものに書き換えられている。いまどきの言葉でいうとナラティブ(自分の物語)である。マチルダ失踪の真相を求めて、当時の同級生、元カノ、教師、不良グループのリーダーなどと再会するたび、その記憶の物語は現実とかけ離れた、中二病の妄想であることが明らかになる。なぜ彼らは妄想の思い出を作り上げてしまったのか。

 2026年、3人は50代になってそれぞれ人生に行き詰まっていた。こんなはずじゃない状況に陥っていた。ユンは一流企業に勤務する勝ち組だったが、贈賄容疑に巻き込まれ社会的地位を失いかけていた。チェンは映画監督、演出家として将来を期待されたときもあったが、いまやオワコン化の危機に瀕していた。キンポーは漫画家の夢を諦め家業の美容室を営んでいるが、母(高橋惠子)が認知症を患い、その介護に心を悩ませている。

 ガンダムのシャアのセリフに「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを」というのがあるが、直視したくない現実があると、あの頃は楽しかったという思い出が逃げ場になる。若さゆえの過ちには目をそらし、いいことだけを拠り所にしてしまう。

 だが、マチルダ失踪の真実を順に探求していくと、あの頃はちっとも美しくも楽しくもない。3人は学校で孤立していて、体育教師は体罰ばかりで、不良にはやりこめられてばかりだった。だからこそ、映画というフィクション作りが輝いていたのだろう。なんといっても憧れのマチルダさんの失踪が、彼女が宇宙に帰ったという映画のような記憶に書き換えられているのだから。

 だが実際は工事現場で人骨と化していたという陰惨なものである。この現実に至るまでの空白の期間に何があったのか。いや、まだ人骨=マチルダが真実かはわからない。もしかしたらそれすらも彼らの現実逃避かもしれない。アイデア豊富な作家・古沢良太の脚本だから物語がどこに向かうか最後の最後まで気が抜けない。

 マチルダに3人が知らなかった側面があることを知っていくという『藪の中』方式のミステリーは、古沢の初期の代表作にして傑作の映画『キサラギ』(2008年)がそうであった。アイドルファンの5人が集まってアイドルの死を悼むうちに真相が浮かび上がってきて……。人の数だけ真実があるという古典的かつテッパンな手法を『ラムネモンキー』では、当人たちの記憶の改変というさらに輪をかけたものにしている。

 確たる構造とそこに漂う情緒。そうでありたい愉快な記憶と過去の知り合いたちとの再会によって突きつけられる事実には苦く砂を噛むようなリアリティがある。そもそも3人の間に勝ち組と負け組との格差があり、3人が単純にいい仲間だったわけではなく、ユンはチェンとキンポーを見下していたんじゃないかという乾いた感覚もあった。そんなユンもいまや負け組側に。まるでバブル期のイケイケから急落していった日本の物語のようではないか。

 『リーガル・ハイ』(フジテレビ系)の古美門研介(堺雅人)に顕著であったように古沢脚本はちょっと世の中を斜めに見たセリフを書くと舌鋒が鋭い。第2話では、ユンの元カノ(西田尚美)がお好み焼き店を営んでいる。「おばさん」と客にいじられるのをユンがかばうが、そんな客でも大事な常連なのだと彼女は現実をユンに突きつける。

 第3話では、体罰を振るい怖かった体育教師(石倉三郎)が老いて入院している。いまや体罰は黒歴史で、ちょっといい人になりかかっている教師にチェンは最後まで厳しい体罰教師として生きることを選ばせる。第4話では不良だった少年が成人後すっかり改心し老人介護の仕事をしている。昔の蛮行を謝る彼を、キンポーは断固拒絶する。

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