映画『メラニア』を日本人が観る意義 ファーストレディの政治性と移民問題を問い直す
移民のファーストレディと社会の分断
ファーストレディは言葉を持たないと書いたが、実はこの映画でメラニアは饒舌に言葉で語ってもいる。本作のナレーションを本人が担当しているのだ。もちろん、会話するシーンも多く記録されている。
彼女の英語のアクセントが気になった観客もいるかもしれない。彼女はスロベニア出身の移民だ。彼女自身のナレーションが、彼女がアメリカの外からやってきた人物だったということを強く印象付ける。
実は、米国歴代ファーストレディの中で、本人が米国外出身であるのは2人しかいない。第6代合衆国大統領夫人のルイーザ・キャサリン・ジョンソン・アダムズとメラニアだ。ルイーザがファーストレディとなったのは1797年のことで、メラニアの就任は(2017年当時)実に220年ぶりに、米国外出身のファーストレディ誕生という出来事だった。
しかも、当時の米国の法律では米国人の親に生まれたものは米国籍を有することとなっており、ルイーザの父親は米国人だったため、ロンドン生まれとはいえ米国籍を初めから有していた。一方、メラニアは完全に移民であり、後に帰化した人物だ。彼女は、史上初の本来的な意味での移民出身のファーストレディといえる存在であり、彼女の特徴的なアクセントを持ったナレーションは、観客にそのことを強く意識させる。
作中、彼女が移民であるということの意味を見出すシーンがある。ラオス出身のインテリアデザイナー、タム・カナリカムとのやり取りのシーンだ。メラニアは故郷から持ってきたクープグラスにアメリカの国旗を入れることだってできると誇らしげに語り、それこそがアメリカという国だと語り合う。
移民を包摂することで発展してきた米国において、ファーストレディには移民がこれまでいなかったという事実を覆した点でメラニアの存在は意味のあるものであり、そのことを彼女自身意識しているのかもしれない。
だとしたら、今ミネアポリスをはじめとして全米で起きている移民排斥の政策との整合性のなさに困惑を覚えざるをえない。彼女は政治家ではないので、政策の決定権はない。しかし、彼女がスロベニア出身でありながらファーストレディにまで上り詰めることができたのは、米国が移民の国だからこそである。この矛盾に映画は答えない。
その意味で、メラニアはグローバル化が進んだ米国における移民の成功を象徴すると同時に、現代社会の深い分断の象徴のようにも思えてくる。
そうした要素はありながらもこの映画は、メラニアの政治的スタンスや素顔を明らかにするわけではない。基本的に彼女のファッションと同様、きらびやかなイメージで彼女を飾り立てるものといえる。
しかし、それゆえにファーストレディの政治性を理解する一助にもなる。言葉を求められず、それゆえに「見た目」で影響を及ぼす複雑な立ち位置にあるファーストレディに求められることとは何なのかが、この映画には詰まっているといえるだろう。
参照
※ https://www.elle.com/fashion/a42074/designers-on-michelle-obama-impact-on-fashion/
■公開情報
『メラニア』
全国公開中
監督:ブレット・ラトナー
配給:Amazon MGM Studios
104分/原題:Melania/PG
Regine Mahaux/Amazon MGM Studios
Muse Films/Amazon MGM Studios