『小さい頃は、神様がいて』北村有起哉の絶妙なバランス感 “不器用な愛”が成立した理由

 『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系)が最終回を迎えるが、こんなにもラストが想像できない作品も珍しい。物語は、主人公の小倉渉(北村有起哉)が過去に妻・あん(仲間由紀恵)と交わした「子どもたちが20歳になったら離婚しよう」という約束が生きていたことを知るところから始まった。その時点で、離婚まであと54日。

 筆者はそこから渉が離婚回避のために粉骨砕身する物語だと思っていたが、第2話であんの切実な叫びを聞いて、それは難しいことが分かった。まず前提として、あんは一緒にいるのが苦痛に感じるほど、渉のことを嫌いなわけじゃない。渉は能天気で空気が読めない性格のため、悪気なく人をイラっとさせることも。しかし、浮気もDVも借金もしたことがない、家族を愛する働き者だ。むしろ、この国では多くの人が“よい父親”と判定するのではないだろうか。では、何が問題だったのかと言えば、家事や子育てに関して「一緒にやろう」のひとことが言えなかったことに尽きる。

 渉とあんは、消防士の息子・順(小瀧望)が独立したあと、大学生の娘・ゆず(近藤華)と3人で暮らしている。おそらく最も子どもたちに手がかかった90年代後半から00年代初頭は、まだ世間的に「家事育児は女性がするもの」という風潮が強く、男性が気軽に育休を取れる社会ではなかった。ゆえに渉は妊娠が判明した際、特に話し合うこともなく、あんが仕事を辞める前提で「無理することないよ! 俺、頑張るから!」と声をかけ、あんが育児に専念できるように残業も厭わず必死に働いた。それが、当時の一般的な価値観に基づく渉なりの優しさだったのだ。

 だが、ただでさえ仕事に未練があったあんは、ほぼワンオペ育児でノイローゼ気味になってしまう。あんはすぐにでも帰ってきて子どものオムツを替えたり、お風呂に入れたりしてほしくて渉に助けを求めたが、渉はあろうことか行列店に並んでホールケーキを買ってきた。そのとき、あんは「子育てや家事に関してはこの人に期待できない」と思ったのではないだろうか。だけど、目の前には放っておいたら死んでしまう小さな命があって、絶望している暇などなかった。だから、どんなに苦しくても今は自分が頑張るしかない。それが親の責任だから。でも、せめて子どもが20歳になったら離婚して、自分の人生を取り戻す。そう心に誓い、人知れず指折り数えながらその日を待っていたのだ。

 つまり離婚の原因は“過去”にあって、今から変えようがない。「後悔先に立たず」を見事に表す、渉とあんの“おままごとシーン”は岡田惠和脚本の真骨頂だった。おままごとを通じて、あんにばかり負担を強いてきた家事や育児の大変さを実感した渉。そこで初めてあんが求めていたのは「一緒にやろう」という言葉だったことに気づいて号泣し、あんもつられて涙する。何も知らずに見たらカオスだけど、2人の歴史を知った上で見ると、あまりの切なさに胸が張り裂けそうになった。

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