『べらぼう』横浜流星の“凄み”と演出の裏側 「登場人物全員がいい人である必要はない」

 横浜流星主演のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。脚本・森下佳子が描く江戸のメディア変革記を、鮮烈な映像と巧みな演出で具現化してきたのが、チーフ演出の大原拓だ。大原は、英雄ではない“市井の人々”が主人公となる本作をどう撮り上げたのか。物語の核心にある「エンタメの意義」や、主演・横浜流星と作り上げた蔦重の晩年、そして話題となった松平定信(井上祐貴)や一橋治済/斎藤十郎兵衛(生田斗真)のキャラクター造形について、じっくりと話を聞いた。

制作陣もまったく予想外だった「米騒動」のリンク

――物語の後半、蔦重(横浜流星)が歌麿(染谷将太)たちと決別する展開では、視聴者から蔦重に対してネガティブな反応も出るほど、彼の“エゴ”がむき出しになりました。あのあたりは狙い通りだったのでしょうか?

大原拓(以下、大原):そうですね。「そりゃそうなるよね」というのは現場でも話していました。蔦重の目線からすれば筋は通っているけれど、一つの見方をすれば独善的でもある。でも、筋が通っていれば人の気持ちがついてくるかというと、それはまた別の話です。人間には好き嫌いがあるし、正しければ全ていいわけではない。このドラマの良さは、登場人物の個性がちゃんと出ていて、「全員がいい人である必要はない」というところが描かれている点だと思います。それが正しいのか正しくないのか、受け取り手によって見え方が変わる構造は、今の世の中にもフィットしていたんじゃないかと思います。

――「今の世の中」といえば、劇中で描かれた米騒動のエピソードは、放送時の現代の状況ともリンクして話題になりました。

大原:あれは僕らもビックリしました(笑)。そこまでリンクするとは思っていませんでしたが、「日本人というのはやっぱり米なんだな」というのを良くも悪くも感じましたね。200年前、300年前でもこうなのだから、この先も変わらないのかなと思わされたり……。そういう意味でも、森下さんの脚本の凄さを改めて感じました。

“ラスボス”一橋治済と“オタク”松平定信

――本作の“ラスボス”として圧倒的な存在感を放った一橋治済(生田斗真)についても伺わせてください。能面を愛でる姿が印象的でしたが、あれはやはり能役者である斎藤十郎兵衛への伏線だったのでしょうか?

大原:十郎兵衛が能役者だからという理由だけで能面を出していたわけではないんです。史実として治済の屋敷に能舞台があったということもありますが、一番の狙いは「想像を膨らませてもらうこと」でした。生田さんのお芝居は、何をするにしても泰然自若としていて動じない。変に悪役としての癖を強めるのではなく、能面を見つめるだけの静かな芝居で、視聴者や対峙するキャストに「何か意味があるんじゃないか?」と勝手に想像させる。そうやって周りが忖度していくことで、治済という怪物が膨れ上がっていく構造を作りたかったんです。

――もう一人のキーパーソン、松平定信(井上祐貴)は非常に愛らしく、魅力的に描かれていました。井上さんにはどのようなディレクションをされたのですか?

大原:定信に関しては、とにかく「早く喋ってくれ」と言いました(笑)。彼は根っからの“オタク気質”で、感情がむき出しになってガーッと突っ走る。そのスピード感を出してほしかったんです。逆に、第47回で蔦重と対峙するシーンなどは、唯一と言っていいほどゆっくり喋っている。あの緩急が井上さんの良さであり、かわいらしくチャーミングな定信像に繋がったのだと思います。「定信のスピンオフが見たい」という声があがるのも納得の、素晴らしいお芝居でした。

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