【新連載】カンザキイオリ「正しい命の浸かり方」 小説デビュー作の参考となった『告白』

 個人的に、忘れられない光景があります。映画が始まって、23分。薄暗い部屋。男子中学生2人組の少年が、悪いやつをやっつけようと模索している。その2人の奥に映る、デジタルテレビの中で、「RIVER」を踊るAKB48。

 僕は当時AKB48というグループがどういうアイドルで、どういう志で活動をしていて、どうファンと接していて、どんな曲を出していたか、というのを、ほとんどざっくりとしか知りませんでした。だからこそ、輝かしく、美しく、明るく、前向きになれる存在だというイメージを、抱いていました。おそらくそれは間違いではないと思います。

 そのAKB48が、「これから誰をやっつけようか」と計画をしている少年2人の背後に、儚く写っているんです。僕はその光景の気味の悪さが忘れられません。

 例えば花が咲いていたとして。真新しい白い花瓶に静かに映える美しい綺麗なその花が、洗っていない食器が大量に置かれたキッチンや、掃除の行き届いていない赤黒い黴がした浴室、風邪で寝込んで埃やポカリスウェットのゴミまみれになってしまった寝室にあるとしたら、少し可哀想と思うでしょう。どこか別の綺麗な場所へ、日の差す方へと思うのが普通かと思います。

 逆でもそうです。綺麗なカーペット、埃一つないソファ、新品のテレビ、発色の良い間接照明、高性能な空気洗浄機、干したてのベッド。何もかもが完璧のその部屋に、茶色く、触れれば簡単に崩れ落ちそうな、細い枝と葉、そして乾燥し切っている癖に白カビがうっすらと見える土。花だったその成れの果てがそこにあったら、同様に、可哀想、生きるものだからしょうがないのだけれど、ほんの少しの謝罪を込めて、捨てるか、どこか別の土へ還すのが、一般的かと思います。

 湊かなえさんが原作であり、中島哲也さんが監督を手がけた『告白』という映画は、そういう闇と光が混同している不安、汚れと美しさが同調している気味の悪さ、そしてその中で眠っていた怒りが、余すことなく暴かれる作品だと感じます。

 『告白』と出会った時、僕は初めての小説を執筆するために、情報収集をしている最中でした。

 数人の登場人物の視線で物語が進んでいき、それぞれの視線が絡み合って、最終的に一つの結末へ進んでいく。そういう流れの物語が書きたいと思っていました。例えばPlayStation 2のゲーム『SIREN』のように、さまざまな人間が複雑に織り混ざった、群青劇を書きたいと考えていました。

 その中で参考にしていたのが『告白』です。主演である松たか子さんが演じる森口先生が、3学期の終業式にある告白をする。娘を殺した犯人AとBの飲んだ牛乳に、HIV感染者である夫の血液を混ぜたと。

 犯人は森口の生徒2人。

 恐怖。小説の第一章は「聖職者」というタイトルで語られます。その聖職者である教師が、未成年である生徒2人に、HIVという、今の現代医学では快復の見込みのない、永遠に付きまとうウイルスが含まれた血液を仕込んだ。松たか子さんの、美しく白く、そして乾いた表情の全てが、冒頭からたっぷり30分かけて描かれます。観れば必ずわかる。あなたは必ず、その狂気に引き込まれるはずです。

 この映画は「音」が、耳に生々しく残ります。中学1年生という、世間も、人生の半分も知らない年端の行かない思春期の子供達の無邪気な騒音。陰鬱に調整されたカラーグレーディングとともにじっとりと聞こえるピアノのインストゥルメンタル。その中でいったい誰に向かって話をしているのか、虚空に消えていく癖に、その奥には確かに芯を持っている松たか子さん演じる森口のセリフ。それに反応し、ときには反論する生徒の声。

 が、一瞬止まる14分10秒。

 そこからもう、あなたはこの映画から逃れることはできない。怒り、憎しみ、好奇心、無垢さ、その中で奇妙かつ気持ちよく交差する音に、必ずあなたは引き込まれているはず。

 『告白』を最後まで観たとき、人間の底から滲み出る悪と、復讐の気持ちに、確かに感銘を受けました。ただ、僕も殺したい人を殺そうとか、嫌いな人を病気にしようとか、実際に行動に移そうと思ったとか、そういうことではありません。

 しかしこの映画を観て確かに思ったのは、自分の中に眠る「悪」の感情は、無視できるものではなく、そして拒絶する必要もないということです。

 僕の考えること、感じたこと、その全ては、僕の創作物になる。その信念が芽生え始めたのはこの辺りでした。

 湊かなえさんや、中島哲也さんは、どういう気持ちで、何を思い、あの物語を、映画を作り上げたのでしょうか。僕が僕の怒りをぶつけたように、『告白』の中にも、きっと彼らの投影とも言えるべき部分が、きっとあるのかもしれません。

 偉大な作品を生み出した彼らと肩を並べたいと言う訳ではありません。しかし少なくとも、「悪」を心の中に潜めているという点では、僕たち人間は皆一緒です。だから僕は、自信を持って書きました。人が死に、転落し、破滅し、そしてその中でもがき、生きる、人間たちの小説を。

 僕が僕のままでいいと感じさせてくれた、映画『告白』に感謝しています。

 悲しいことだけが全てじゃないけれど、楽しいことだけが、全てでもない。

 何を感じて、何を込めてもいい。

 いろんなことを考えて、創作は生まれます。

 創作をする人たちは、その全てが正解と信じて、きっと作っていると思うんです。その感性を浴びて、飲み込んで、時には否定して、僕たちは人間らしくなっていくと思うんです。

 僕が何かを感じた映画やドラマを、これから定期的に、皆さんに共有します。好きな時に、ぜひ見にきてください。

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