福地桃子「救われる気がした」 映画『そこにきみはいて』竹馬靖具監督との対話で得た想い
11月28日公開の映画『そこにきみはいて』。「詩的リアリズム」と銘打たれた本作では、さまざまな葛藤を抱えた大人たちの「わかりあえなさ」を、主人公のパートナーの自死や、
彼の親友とともに巡った旅路を通して描いていく。
「『わかった』と思うことは嘘っぽい」と語る竹馬靖具監督は、福地桃子(香里役)の演技を「見えないものに向かう勇気があり、嘘がない」と評する。一方、福地も「粘り強くコミュニケーションする」香里の姿に自身を重ね、「救われる気がした」と明かす。撮影時の実感と、完成した映像を観てから言語化された思い。互いの“仮面”と“本心”に迫る、濃密な対話が展開された。【インタビューの最後には、サイン入りチェキプレゼント企画あり】
「わかりあえなさ」との向き合い
——冒頭の飲み会のシーンなど、序盤の香里は一見すると無愛想とも思われかねない人物として登場しますが、自身のセクシュアリティも含めて少しずつ内面が明かされていきました。
福地桃子(以下、福地):初めのうちは、香里の「居心地の悪さ」というものが観ている方にも伝わらなければいけないのかなと思って演じていました。それは竹馬さんとも話していたことで、香里は常に、「どこに自分の居場所があって、どんな人だったら心を開けるのか」を探っていて……。他人との違いを敏感に感じながら、それを追求しようとする人です。きっとそれが日常生活のあらゆる箇所にあって、その象徴の一つがあのシーンなんじゃないかなと思います。世の中に落ちている情報や、誰かの言葉では、自分が腑に落ちていない感覚を捉えきれないと思っていて、そこには強く共感できました。自分が本当に求めているものは何なのかを最後まで探し続けるというのが一本の軸としてあったかなと思います。
——作中では登場人物たちの性的志向についてのラベリングに当たる言葉はあえて出さないようにされていたのでしょうか?
竹馬靖具(以下、竹馬):そういうラベルを最初から説明として置くことより、香里や健流がどんなふうに世界に触れているか、その実感のほうが大事だと感じていました。言葉で先回りしてしまうと、観客の受け取りを決めつけてしまうような怖さもあって。だから、「使わなかった」というより、必要がなかったかなと。シーンの積み重ねから自然に立ち上がってくるもので十分だと思っていました。
——セクシュアリティそのものというよりも、普遍的な「わかりあえなさ」とどう向き合うかというテーマを感じました。
竹馬:何かが「わかった」と思うことって、少し嘘っぽいなと感じるんですよ。他者のことも、自分のことでもそうですが、すべてがわかることなんてなくて、でも、人は安心を求めて「わかった」ようにしていたい。ある種の願望というか、僕自身が人とつながれたと思える瞬間がそれほど多くはないんだけど、だからこそ本当に深いつながりが何なのか求めはじめたと言いますか。
福地:今の竹馬さんの話は撮影中にも聞いていて、自分でもすごくしっくりくるなと、じっくりと撮影が進む中でそう感じていたことが、私にとってすごく特別な時間でした。一つ一つのやりとりを丁寧に、大切にやりきったなという実感があります。ただ、完成した映像の中には、撮影中に流れていた感覚とは乖離するところがあって……。完成した作品を観たときに、この感覚はいったい何なのだろうという探究心のようなものが湧いたことを覚えています。健流は最後まで人のことを疑い続けるけれど、人とつながりたい思いもあるから、本当に信じられると思ったときは疑ってしまったことに対して申し訳ない気持ちにもなると思うんです。それでも疑いを持ちつづけるというのは自分を守るための一つの方法なのかなと、健流とのやりとりの中で感じるところがありました。
——たとえば香里が健流にキスを迫るシーンは、「もしかしたら健流となら信じ合えるんじゃないか」と香里が感じていたことを象徴する場面の一つだと思いますが、やはりうまくいかず……。
竹馬:あの場面の踏み出す理由は、当時から福地さんとかなり明確に共有していました。
ただ、細部まで言語化して方向を決めてしまうと、香里の揺れが一方向に固定されてしまう。だから、怖さや確かめたい気持ち、わずかな可能性のニュアンスは、言葉で規定するのではなく、福地さんの反応が立ち上がる瞬間を見ながら調整していきました。
福地:そうですね。
竹馬:香里には、強さと触れられたくない部分が同時にあって、その揺れ方は場面ごとに違います。どこで何が出るかは、現場で福地さんと一緒に一つずつ確認しながら作っていきましたね。
福地:香里は粘り強い人だと思います。健流に対してもそうだし、彼を通して出会う中野慎吾(中川龍太郎)に突っ跳ねられてもくらいついていたのは、互いに自分の感情を追求し合った大切な人を通して出会った人間だから。粘り強くコミュニケーションする忍耐力があると思います。
竹馬:肝も座っていて、いろいろな出来事があってもそれを通して強くなっていっている。というより「強くならないといけない」と思っているのかもしれないですね。最初に健流と交わるシーンも、2人が自分のことを明かす場面でもあり、すごく演技として難しいところだと思います。ただ、2人のあいだで生まれるものを信じて撮っていたので、いいシーンになったと思っています。
——福地さんの演技の魅力はどんなところにありますか?
竹馬:やっぱり「勇気」があるんです。なんというか、見えないものに対して向かう力がすごく強いと感じていて、それは香里の強さと通じるところがあるのかなと思っています。演技を見ていても嘘がない。セリフ一つとっても福地さんの中からしっかり出ている言葉だとすごく感じて、そこが個性なのかなと思います。
福地:嬉しいです。香里の粘り強くコミュニケーションするところは自分の中にもあるので、もしかしたら相手から見るとおせっかいかも、と思ったりすることもあります。だけれど、香里を通して「それは素敵なことだよ」って言ってもらえてるような気もして。ちょっと救われる気がしていました。