『今際の国のアリス』シーズン3が手放した作品の煌めき 『イカゲーム』と同じ道を辿るのか

おざなりになってしまった、作品の核とも言える“げぇむ”

 シーズン3で開催された“げぇむ”は全部で7つ。原作にもあった「おみくじ」や「ゾンビ狩り」に対し、原作から少し改変された「暴走でんしゃ」やオリジナル要素となる「レーザーを避けるげぇむ(名称不明)」、「東京びんごたわー」「かんけり」そして「ミライすごろく」は、これまでのシーズンの“げぇむ”に比べ随分毛色が違っていた。というのも、そのほとんどが“運ゲー”でしかなく、アリスが頭脳を使って自らの力で抜け道や必勝法を探す形ではクリアできないものになっているのだ。

 「おみくじ」こそ一見“運ゲー”に見えて、答えがわかれば矢を避けることができたり、アリスが気づいたように抜け道を探したりする余地がある。しかし、例えば「暴走でんしゃ」に関しては、ウサギたちが運だけで進む一方、アリスたちは誰も仲間が欠けることなく進んでいて、彼が必勝法に気づいたことを示唆するのに、その説明は省いている。結局のところ、これらのげぇむのほとんどが単純に登場人物を減らすためだけに機能していて、途中で死んでいった仲間たちの死さえ、軽く感じられてしまうのが問題だ。アリスが身につけるプロットアーマーのせいで、彼を生かすためにキャラクターが死ぬことそのものが、ただの脚本的な作業でしかないのだ。

 ただ、その中でも薬物中毒者のテツが死ぬシーンは深く描かれていた。自分のもとを去った元妻を選ぶか、それとも薬と女など派手な“成功”を選ぶか。発狂しながら悩む彼が薬の袋をポケットから取り出すシーンをよく見ると、実はその袋が空になっているのだ。実際に摂取したシーンを描かずとも、実は手をつけていたことを明かすと同時に、最後の幻に導かれたことも含め薬物でハイになったまともじゃない思考での選択だったこと、その一連の映し方がうまい。

 つまり、再び薬物を選んだことが彼の人生を終わらせたわけで、このシークエンスのコメンタリーそのものが先に述べた本作が描こうとしていたテーマ(「いざ、現実世界に戻ってきても、あの時に掲げた理想論とも言える指針の通りに生きることの難しさ」)にも繋がっている。それと同時に、不安定な状態の時に一人きりになってしまうことの危うさや、人間が簡単に変われないことなどの不都合な真実を指摘している分、彼の死にはインパクトがあるのだ。

結局はグローバル展開のため?

 正直、エピソード前に何の警告も出なかった唐突で壮絶な津波シーンなど、映像的なインパクトばかりが優先され、過去の人気キャラクターの再登場など何だか形ばかりのファンサービスが目立った最終話。極め付けは、グローバル展開を匂わせるようなラストシーンである。

 他の地域に繋げるために、“地震”というセンシティブなマターをあえて使う必要があったのか。そしてすでにげぇむをクリアした主人公がまた再参加を強制される展開、そしてグローバル展開の布石のためだけに作られたと感じてしまうほど、物語そのものの深みが失われてしまった現象は、同じくNetflixの大ヒットシリーズ『イカゲーム』が辿った道と酷似しているように感じた。

 どちらの作品も世界的に注目を浴びるNetflixのコンテンツであり、簡単に終わりを迎えることができないのだろう。おそらくスピンオフという形で北米版が作られる可能性が高いが、それぞれの制作が完全に決まったわけでもない。スタジオ側も批判的な意見の多い作品をわざわざ作るだろうか。しばらくの間、制作側と作品のファンがお互いを静観する状態が続きそうだ。

■配信情報
Netflixシリーズ『今際の国のアリス』
独占配信中
出演:山﨑賢人、土屋太鳳、磯村勇斗、三吉彩花、毎熊克哉、大倉孝二、須藤理彩、池内博之、玉城ティナ、醍醐虎汰朗、玄理、吉柳咲良、三河悠冴、岩永丞威、池田朱那、賀来賢人
原作:麻生羽呂『今際の国のアリス』(小学館『少年サンデーコミックス』刊)
監督:佐藤信介
脚本:倉光泰子、佐藤信介
音楽:やまだ豊
撮影監督:河津太郎
美術監督:斎藤岩男、大西英文
アクション監督:下村勇二
VFXスーパーバイザー:土井淳
エグゼクティブ・プロデューサー:坂本和隆
プロデューサー:森井輝、高瀬大樹
制作協力:株式会社THE SEVEN
企画・制作:株式会社ロボット
製作:Netflix
©︎麻生羽呂・小学館/ROBOT

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