『今際の国のアリス』が提示する現在の社会に必要なこと シーズン3を哲学的視点で読み解く
最後のゲーム「ミライすごろく」は、映画『キューブ』(1997年)の“平面版”といえるような正方形の部屋が並んだ建造物から、1ターンごとに次の部屋に移動し、15ターン以内に出口を探して脱出するというもの。サイコロを振ることで各ドアを通れる最大人数が決められてしまうという、やっかいな条件はあるが、各々が協力して連絡を取り合えば、全員が助かることもあり得るルールだ。
しかし、このゲームで最も脅威なのは、移動する際に各部屋の壁に、生還した後の自分の未来を暗示する映像が投影されること。そしてその未来が投影された壁のドアを通れば、必ず実現してしまうのだという。生還者たちはおそらく現世において記憶を失ってしまうだろうから、予言された未来が悲惨なものであっても、それを事前に回避することはできないはずだ。
大多数の人間は、幸福感を得るために生きることを望む。なので、悲惨な未来を経験するために生還するというのは、自己矛盾を引き起こす行為であるといえる。ゆえにプレイヤーたちは、生存のための最良の選択肢を取ることが困難となる。
このゲームでの見どころは、プレイヤーである薬物依存症のテツのエピソードだ。彼は生還した後にも違法薬物に手を出す未来を目の当たりにして、進むことを躊躇することとなる。しかし、やがてどこに行っても絶望の未来しか訪れない部屋にたどり着いてしまうのである。ここで次第に追いつめられていく大倉孝二の演技が真に迫る。
思い出すのは、ギリシア悲劇の戯曲『オイディプス王』だ。この戯曲の主人公、オイディプス王は、「父を殺し、母と同衾する」という、受け入れ難い未来を予言される。その未来を回避しようと、彼は最大限に予言から逃れようとするが、その行動がむしろ予言の未来を引き寄せていくこととなる。
『オイディプス王』の物語が暗示するのは、人間の運命と自由意志についての哲学だ。人間は、自分でものごとを決め、人生を選択していると思っている。しかし、その実人間というものは、単に生まれた環境に左右され、人生の道を“選ばされている”に過ぎないのではないか。であれば、人生を生きることに何の達成があるのか。この種の哲学的不安が、「ミライすごろく」のプレイヤーに襲いかかる。おそろしいのは、その不安を視聴者も多かれ少なかれ共有することになるということだ。
本シリーズのクライマックスでは、生と死の世界……そしてそれを一望する、はざまに存在する“今際の国”の全貌が、一つの光景としてあらわになる。それは、生きとし生けるものは、結局は死へと流されていくという、当然といえる自然のシステムを分かりやすく表したものに過ぎない。しかし、こうして単純に戯画化されてみると、生物が死ぬという大きな意味において、われわれはオイディプス王と同じく運命に囚われていることを意識せざるを得ない。
それでも“生”を目指そうとするアリスの選択は、素直で楽観的なものだ。しかし何にせよ彼のように、そこに価値があることを信じなければ、人間は生きることに意味を見出すことができないのではないか。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「実存は本質に先立つ」と言った。それは、人間には先天的な本質がなく、まず存在することを認めなければならないという考え方を指している。そのように感じるからこそ人々は、人生への意味を求めて不安をおぼえるのだ。
同時にサルトルは、だからこそどう生きるかを自分で考え、自分で選びとることをしなければ、本質は生まれ得ないと主張する。人生や生きることに意味があるのか……万人に通じる答えを出した者は、歴史上、誰もいないかもしれない。しかし、人生のなかで自分の生きる意味を探すことこそが、それぞれの人生を生きる意味そのものになり得るのではないだろうか。
そういった哲学的な考えや、本シリーズで描かれた選択は、現代の日本にどう響くのか。いま日本社会は、経済的な落ち込みや貧富の格差から、多くの人が困窮し、さまざまな意味で余裕のなくなっている人々が増えている状況にあるといえる。闇バイトの暗躍による強盗や殺人が発生し、通り魔事件が目立ち、弱者やマイノリティを排外する言説が飛び交っている。それはある意味で、この社会そのものが“今際の国”のような酷薄なものへと近づいていることを示唆しているのではないか。
池内博之が演じたカズヤが、協力するチームのために献身的に戦い続けたように、アリスやウサギが、一人でも多く助かるよう奮闘し続けたように、他者のために自分のやれることをするという選択は、死が隣り合わせの世界でこそ、分かりやすく輝くことになる。そんな彼らの行動は、“今際の国”に近づいた現在の社会に、いま何が必要なのかを教えてくれているような気がするのである。
■配信情報
Netflixシリーズ『今際の国のアリス』
独占配信中
出演:山﨑賢人、土屋太鳳、磯村勇斗、三吉彩花、毎熊克哉、大倉孝二、須藤理彩、池内博之、玉城ティナ、醍醐虎汰朗、玄理、吉柳咲良、三河悠冴、岩永丞威、池田朱那、賀来賢人
原作:麻生羽呂『今際の国のアリス』(小学館『少年サンデーコミックス』刊)
監督:佐藤信介
脚本:倉光泰子、佐藤信介
音楽:やまだ豊
撮影監督:河津太郎
美術監督:斎藤岩男、大西英文
アクション監督:下村勇二
VFXスーパーバイザー:土井淳
エグゼクティブ・プロデューサー:坂本和隆
プロデューサー:森井輝、高瀬大樹
制作協力:株式会社THE SEVEN
企画・制作:株式会社ロボット
製作:Netflix
©︎麻生羽呂・小学館/ROBOT