『着せ恋』への“好き”を叫びたい 女性ファンが感じる“推し活”時代ならではの誠実さ

 コスプレを題材にしたラブコメ作品として話題を集め、7月からは待望の第2期がスタートしたTVアニメ『その着せ替え人形は恋をする』。ヒロインの水着姿やフェティッシュなコスチューム描写など、一見すると“男性向けラブコメ”の定型を思わせる演出が目立つ本作だが、視聴を重ねるうちに、そうした表面的な印象は自然と薄れていく。

 筆者自身、恋愛や創作にまつわる丁寧な描写を通じて、女性視聴者のひとりとして深く共感できる価値観が作品全体に織り込まれていることを実感した。いや、より広くいえば、「女性だから/男性だから」という枠に縛られない面白さが本作にはある。

 視聴者を限定しない本作の懐の広さを体現しているのが、ヒロイン・喜多川海夢の存在だ。海夢は、趣味もファッションも“好き”にまっすぐで、かつ他者の“好き”にも自然に寄り添う優しさを持つ。クラスの中心にいる華やかな存在でありながら、アニメや漫画といった趣味を隠すことなく語る姿勢は、同様の趣味を持つ視聴者にとっては憧れの存在としても映ったはずだ。

 一方で、海夢は決して“完璧なヒロイン”として描かれてはいない。たとえば、リズのコスプレに挑む過程で「ハーフツインて可愛すぎて、さすがにあたしには……みたいな?」と尻込みする場面。「可愛いと思うもの」と「自分に似合うもの」の間で揺れる感情は、多くの女性がふとした瞬間に直面する、極めて身近な葛藤ではないだろうか。この一連の描写ひとつとっても、本作は“共感”と“憧れ”のちょうど中間に位置するリアリティを丁寧にすくい上げており、海夢というヒロインが等身大の存在として女性視聴者に響く理由がよくわかる。

 本作の大きな特徴として、「男だから/女だから」といったジェンダー観に対して非常に敏感であることは、作中のさまざまな描写からも見て取れる。なかでも象徴的なのが、第13話で新菜が海夢に連れられてクラスメイトたちとカラオケに行くエピソードだ。

 幼少期、友人から雛人形が好きなことを否定された経験が、新菜にとって長く心の傷となっていた。メイクができることを“男性らしくない”と揶揄されるのではないかと身構えていたが、この場面でクラスメイトたちは、彼を否定することも笑うこともなく、「そういう人もいるよね」と、あっけないほど自然に受け入れていく。

 この描写に象徴されるのは、“男らしさ”や“女らしさ”といった古い価値観を声高に否定するのではなく、そもそもそうした枠組みに重きを置かないという、現代的でしなやかな感覚だ。ジェンダーの境界線をことさら強調するのではなく、それらを良い意味で意識の外に置いたまま人と人が関わっていく。作品を包む「多様性があること自体が自然である」という地平に立った空気感こそが、視聴者のジェンダーや立場を問わず、誰にとっても心地よく居られる作品世界をつくり出しているのだろう。

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