『光る君へ』でも話題の“呪詛”、実際はどうだった? 陰陽師の中に存在した明確なカースト
大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合)第38回「まぶしき闇」にて、藤原伊周が藤原道長(柄本佑)に呪詛をかけるシーンが話題を呼んだ。伊周役の三浦翔平が見せた鬼気迫る演技に目を奪われた視聴者も多いのではないだろうか。
近年、「呪詛」に対する注目度が高まっている。特に呪詛をキーワードとする大ヒット漫画『呪術廻戦』の影響は大きいだろう。ここでは日本における呪詛とはいったいどんなものなのか紹介したい。
日本で呪術が最盛期を迎えたのは平安時代中期である。安倍晴明に代表される陰陽師が多種多様な呪術を操っていた。雨を降らす、病気を治療する、災厄を遠ざけて幸運を招くべく天空の星々に働きかけるなど、その力は甚大だった。そして、陰陽師はときに人々の生命を脅かす呪術を行った。それが「呪詛」と呼ばれるものだ。
呪詛は平安貴族にとって身近なものだった。清少納言は『枕草子』にて、呪詛から身を護るためのお祓いを「心ゆくもの(すっきりと気分のいいもの)」の一つに数えている。中級貴族の妻であり、権力者とは言い難い清少納言ですら標的にされるほど呪詛が横行していたのだ。
では、呪詛はどのように行われたのか。例えば呪符を用いる方法がある。道長とその親縁を狙ったとある陰謀では、円能という陰陽師が呪符を作り、円能を雇った貴族たちが従者を使って呪符を内裏の床下に設置した。呪符以外の呪物でいえば、素焼きの器を口と口で合わせて黄色い紙でまとめたものや、餅と頭髪で構成されたものなどがある。『光る君へ』で伊周が道長の名前を一心不乱に書き込んでいた人の形の木札も、人形代(ひとかたしろ)と呼ばれる呪物だ。
また、陰陽師の呪詛といえば式神を使う姿を誰しも思い浮かべるのではないだろうか。『今昔物語集』には安倍晴明が式神で蛙を平らに潰した逸話が残されている。この話の真偽は定かではないが、陰陽師が式神を使役すると古くから考えられていたことは確かだ。さらに、安正という陰陽師が道長を狙う呪詛の容疑で投獄されたとき、人々は安正が式神を殺人の手段として使ったと見ていたという。陰陽師が式神に呪詛の標的を殺させることは、平安時代中期の人々にとって疑いようのない現実だったのだ。