『アンメット』は私たちの“日常”に光を当てる 杉咲花&若葉竜也らの熱意が結実した傑作に

「強い感情は忘れません。記憶を失っても、そのとき感じた強い気持ちは残るんです」 
「記憶がなくても、心が憶えてるってことですか?」

 私たちの今日を明日に繋げている「記憶」に焦点を当てたドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)。

 主人公のミヤビ(杉咲花)は将来を嘱望される若手脳外科医だったが、不慮の事故で過去2年間の記憶を失ったばかりか、その日の記憶も翌日でリセットされてしまう記憶障害に。それでも、看護助手として「私には今日しかない」と一日一日を懸命に生きていた。そんな中、アメリカの病院から赴任してきた変わり者の脳外科医・三瓶(若葉竜也)との出会いをきっかけにミヤビは再び脳外科医としての道を歩み始める。

 本作には、医師として致命的な障害を負ったミヤビをはじめ、脳梗塞から失語症になった女優、右脳の損傷により左側の感覚を失ったサッカー選手、脳の腫瘍が原因で嗅覚が落ちた料理人など、命こそ助かったものの、後遺症が残る、あるいはその可能性を突きつけられた人々が登場する。病気や怪我、日々降りかかってくる悲しい出来事もそうだ。私たちの人生は何かの拍子で影り、心にぽっかりとアンメット=満たされない部分が生まれる。そこをいかに希望の光で満たし、今日を明日に繋げるか、という命題にこのドラマはとことん向き合った作品だった。

 希望の光とは、例えば、ミヤビにとっての病院スタッフと語らう時間だったり、居酒屋「たかみ」の大将が作ってくれる美味しい焼肉丼だったり、三瓶の寝顔やくるくるの髪の毛だったりする。ほんの些細な、けれど記憶がなくなっても心が憶えていたくなるような愛おしい「日常」。そういうものはもっと大きな出来事に埋もれて、少しずつ忘れていく。わかっているのに、あれだけ強く憶えていたいと願ったはずなのに、私たちはわざわざ日記に書き留めるほどのものではないと思ってしまう。

 あるいはドラマなら、地味で退屈だからとカットされてしまうかもしれない。だけど、本作は杉咲の直筆でびっしりと綴られたミヤビの日記しかり、ときに言い間違いですら採用した温度感のある台詞しかり、手の動きや唇の震え、まばたきの回数ですら意味を持つ俳優の生々しい演技しかり、まるでその場に居合わせたかのように感じさせる臨場感に満ちたカメラワークしかり、すべての要素が登場人物たちの今日を明日に繋げている「日常」に光を当てていた。

  最終話でも、それは変わらない。終盤にかけてミヤビの脳梗塞が完成し、三瓶がその血液を8分間遮断してノーマンズランド(医学的に人がメスを入れてはならないとされている領域)にある血管を縫うという手に汗握る展開はあったが、前半で描かれていたのは2人の「日常」だった。キッチンに立つミヤビの姿、ミヤビをベッドまでお姫様抱っこで運ぶ三瓶の優しい手つき、2人の安心しきった寝顔、冷蔵庫に並ぶ2つのヨーグルト、カーテンを揺らす穏やかな風。そのどれもが涙が出てくるほどに愛おしくて、私たちの「日常」はこんなにも光に溢れているのかと気付かされた。

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