男性の立場から観た『虎に翼』のフェミニズム 染み付いた“男らしさ”からいかに脱却するか

 半年間に渡って放送してきたNHK連続テレビ小説『虎に翼』が、いよいよ完結する。4月の放送開始以降、多くのファンを巻き込み、社会現象となり、これまで朝ドラを観たことのなかった人びとまでも魅了した話題のドラマであり、あらすじや詳細はもはや説明不要だろう。かくいう私も、NHKの朝ドラを続けて観ること自体が初めてだったが、それまでやや退屈そうなイメージのあったNHKの朝ドラに、これほどに夢中になるとは思わなかった。フェミニズムを力強く肯定し、現代的なテーマである夫婦別姓、同性婚、民族差別、トランスジェンダー、女性の社会進出などを意欲的に取り上げる、挑戦的な脚本に胸を打たれた。ほぼ百年近く前、日本で初めて女性専門に法律を教える学校ができた1929年(昭和4年)が起点となるこの物語だが、扱われるテーマは現代の日本に直接つながっていることばかりだ。『虎に翼』は、戦前から始まる物語ではあるが、いまの日本を描いた作品なのである。

 思い返してみれば、過酷な展開の続くドラマであった。初めての朝ドラを新鮮な気持ちで見始めた私は、開始当初の展開に胸を躍らせていたのである。法律を勉強しようと大学へ進学した主人公の寅子(伊藤沙莉)が、学友たちと繰り広げる青春ドラマのような輝きが嬉しかったのだ。夢いっぱいの学生生活。仲間たちと共に勉強をして、やがてみな弁護士になり、法曹界で活躍できたなら……。彼女らには前途洋々の未来があり、日々の勉強のあいまには、甘味処であんみつを食べながらガールズトークに花を咲かせる。そんな未来への希望、学友とのつながり、しあわせな時間が続いてほしいという願いは残酷なまでに打ち砕かれる。この落差がなにしろ激烈なのである。国籍のため、夫の不貞のため、華族である家を継ぐため、それぞれの理由で弁護士をあきらめた女性たち。あまりに悲しくて、このまま観るのを止めようかと思うほど重い内容であった。

 さらには戦争によって大切な人びとが次々と失われていき、物語はまさに死屍累々となる。明るい未来を予感させておいて、一気にどん底まで突き落とす非情の展開に、朝ドラの洗礼を受けた気分だった。女子部編だけを学園ドラマとして半年続けてくれれば、どれほどに楽しかっただろうか。しかし、こうした過酷な展開のなかでこそ、フェミニズムという題材はよりリアリティを持って感じられたように思うのだ。

 本作のすばらしさは、なによりフェミニズムを主題にしたストーリーにある。女性がただ暮らしているだけで発生するさまざまな苦悩や障壁を、男性である私は真剣な気持ちで受け取ろうと意識しながら観た。男性からのいやがらせ、傷つく言葉、人びとの内側にひそむ偏見、結婚へのプレッシャー、妊娠・出産であきらめなくてはならないキャリアなど、どれもいまなお続く問題として語られるのがみごとである。わけても、大学の授業に講師として招かれた自分の夫に、公衆の面前ではずかしめを受ける梅子(平岩紙)が、それをうつむいてやりすごす表情には胸が痛んだ。身内の容姿や人格をおとしめる発言が「ユーモラスな冗談」としてとらえられることのいびつさを、あらためて感じる描写だ。女性の視点から描かれる生きづらさ、不公平さを見るにつけて、できるだけ謙虚でありたいと自分を戒めるきっかけにもなる作品であった。男性は無意識のうちに女性が語ろうとする言葉を遮ってしまう。それまで、なにかを語ろうとしても、男性に言葉を遮られてしまっていた女性が、ついに自分の言葉で話し出す、というのが、『虎に翼』の力強さにつながっていると思うのだ。

 また男性の立場からすれば、花岡(岩田剛典)が周囲の男性に語る品のない女性蔑視など、既視感を覚える内容で印象ぶかい。「男らしさ」の問題に言及してくれたのは本当によかったと思う。容姿端麗な花岡は、彼に手紙を渡そうとする女性を無下に追い払ったのち、周囲の男性に「女ってのは、優しくするとつけ上がるんだ。立場をわきまえさせないと」と語るのだ。私は過去に、周囲の男性から全く同じ話を聞かされたことがある。脚本を手がけた吉田恵里香は、男性のあいだでのみ交わされ、女性の耳に入らないはずのこのような会話をどうして書けるのか、不思議でならない。

 また、中年男性の私にとって注目せざるを得ない人物だったのが、寅子の大学進学を後押しし、女性が法曹界へ進むことを歓迎したリベラル思想の持ち主、穂高(小林薫)である。いっけん寛容で進歩的な意見を述べているように見える穂高だが、ジェンダーが絡んだものごとを判断しようとすると、とたんに旧来的な保守性がにじみ出てしまう。出産を控えた寅子に、「子を産み、良き母になること」こそが務めだと口にして彼女を失望させてしまう場面など、しみついた価値観を変えるのは本当にむずかしいのだと感じてしまった。ジェンダーが絡むと発言がいびつになってしまうのは世代的なものなのだろう。似たような例をいくつも見てきた。私も、穂高と同じような過ちを犯してしまうのではないかと、彼が出るたびにヒヤヒヤしてしまった。

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